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帝京長岡で活躍したMF本田翔英が“東大、京大超え”の難関・UCバークレー合格!!学業と両立し、「ヨーロッパでプロ」の夢に挑戦

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MF本田翔英帝京長岡高3年時に埼スタの選手権準決勝で青森山田高相手に奮闘

 選手権でも活躍した異質の才能が、東大、京大を超えて“公立世界一”と言われている最難関大学への合格を勝ち取った。帝京長岡高(新潟)のサイドアタッカーとして19年度全国高校選手権で活躍し、新潟県勢初の3位に貢献したMF本田翔英(19歳)がこの程、カリフォルニア大学バークレー校(アメリカ。以下、UCバークレー)に合格。21年の世界大学ランキングで36位の東京大や54位の京都大を大きく上回る7位、公立では1位という“公立世界一”の名門大学でサッカーと勉強を両立し、「ヨーロッパでプロ」という目標に挑戦する。

 UCバークレーは、ソフトバンクの孫正義会長の出身校。サッカーでもプロ選手を輩出している強豪なのだという。本田は「トップ中のトップで強いという訳ではないのですけれども強い。自分の力と味方のサポートも借りて全米選手権で優勝もできると思っています。」と語り、「(個人としては)高校時代、フィジカルは強い方でしたが、(アメリカの大学サッカーで)それをさらに鍛え上げて、日本人らしい繊細さをここからまた伸ばしていって、上手くて身体も強い選手になって、一番はチームに貢献できる選手になっていきたいと思っています」と意気込んだ。

 本田は高校時代、帝京長岡の左サイドで圧倒的な推進力を発揮。“重戦車”と評された迫力十分の動きと、スプリントの連続でサイドをこじ開けるなど、MF谷内田哲平(現京都)やFW晴山岬(現町田)やDF吉田晴稀(現愛媛)ら技巧派揃いのチームに強烈なアクセントを加えていた。攻守に渡る献身性も魅力の本田は、同校のアスリート進学コースに籍を置き、当時の評定平均5.0。高校卒業後はアメリカの大学進学を目指して渡米し、3か月間で日常会話が可能なまでに英語を上達させた。

 本田はサッカーでもプロからの評価を勝ち取っていた。昨夏、コロナ禍で帰国していた本田の下にオランダ1部・フローニンゲンから練習参加のオファー。本田は7月末に渡蘭し、フェイエノールトでの調整を経て、フローニンゲンへ練習参加した。そこで、持ち味の推進力を発揮した本田は高評価を獲得。ただし、コロナ禍で厳しい財政状況だったことから、フローニンゲンは本田の獲得を見送ったのだという。

「『コロナでなかったらチームの一員になっていただろう』みたいな手紙を頂いて、それが素直に嬉しくて、認められたことが少し自信になりました。ロッべン選手と同じピッチで練習したり、板倉選手にも食事に誘って頂き、経験談を聞けたりして、とても良い経験になりました。」と本田。実現しかけていた欧州でのプロ入りの道が閉ざされたが、彼はこの経験を糧にする。

 目線を下げるのではなく、彼は自分の成長のために難しい道を選択した。海外で、突き抜けた文武両道を目指して再び英語力向上に挑戦。10月から11月にかけて猛勉強した成果が出てTOEFLテスト(国際基準の英語能力測定試験)で世界大学ランキング上位校合格条件を満たす基準点をクリアした。

 そして、主にスポーツ選手の海外留学をサポートする株式会社WithYouの協力を受けた本田は、5.0の評定、課題だった英語力の習得(TOEFLの基準点クリア)、選手権やプリンスリーグ北信越(創部以来初優勝)での活躍、フローニンゲンからの推薦文も合わせて、超難関大学に絞って審査に申し込む。そして、関心を寄せたUCバークレーからの評価を得て、5月中旬に合格の運びとなった。

 本田は「とにかく高校の時に勉強もサッカーもどっちも頑張ってきたので、それが報われる形で大学へ進学して、プロになりたいなとずっと思っていました。勉強も、サッカーも頑張ってきた中で去年の1年間それを継続できたことで、このような凄い大学に受かったことは率直にとても嬉しいです。でも大学入学がゴールでなく、ここから新たなスタートとして、さらに活躍して、勉強にも励みながら、また目標を成し遂げたいなと思っています」とさらに先を見据える。

 世界トップクラスのUCバークレーに進学を果たしたことは、帝京長岡の恩師や長岡JYFCの関係者たちも大興奮したほどの快挙。だが、以前からの夢、ヨーロッパでプロサッカー選手になる」ことは変わらない。むしろ、彼はそのために学業を活用しようとしている。

 米国留学準備中にフローニンゲンでプレーしたことで手応えを得た。「勉強して、言語を話せるようになったというプロセスがあった中で(自分の)プレーが良くなった、コーチと話せた、チームメートとコミュニケーションを取れたというのがやっぱり自分の中で勉強して良かったと本当に思い、自信になりました。勉強がサッカーに繋がったということを認識できたのがヨーロッパでの経験。言語、勉強も大切だなと思いました」。彼は、自分が4年後に欧州またはMLS(米国メジャーリーグサッカー)ドラフト指名でプロになるために、UCバークレーで心理学や栄養学も本気で学び、それを自分のプレーに繋げる考えだ。

「夢はプロサッカー選手なので、上手く大学で培ったものを使いながら活躍したいというのが一番です。もちろん人生はそこで終わりじゃないので、その先のビジョンも踏まえた上で米国の大学というのが一番良い選択だったかなと思っています」。昨年末から科目履修生として環太平洋大サッカー部でトレーニングを行っている本田は現在、地元・埼玉へ戻り、3日には帝京長岡で調印式を実施。9月の入学へ向けて7月下旬に渡米し、その後チームに合流するという。

 サッカーで夢を追いながら、本気で勉強にも取り組んで成し遂げた快挙。だが、本人はまだスタートラインに立っただけという考えだ。「『彼も頑張っているので、私も頑張ろう』という存在になりたいですね」と語る本田は、サッカーと勉強の両方で努力を続けてまた夢を実現し、高校サッカーの後輩や多くの人々を勇気づける。


(取材・文 吉田太郎)

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