「高校最後の試合後、4年後に自分はW杯に出ると書いていた」國學院久我山の同級生が後輩が明かすW杯戦士塩貝健人
この間まで一緒にサッカーをやっていた仲間がワールドカップの舞台に立つかもしれない。FW塩貝健人と國學院久我山高時代の同級生、後輩がその心境を語った。


●同級生1
「小中高と一緒にやっていた身近な選手が日本を背負って戦うことは誇らしいし、素直に応援したい気持ちがある。同世代が活躍する姿をみて、もう少し頑張らないとという悔しい気持ちがあるので、刺激になっています」
現在は同志社大に通うMF中山織斗(4年=國學院久我山高)だが、塩貝とは小学生時代の横浜FCのスクールから、横浜FCジュニアユース、國學院久我山と同じキャリアを歩んだ選手だった。
横浜FCではユース昇格を逃した境遇も同じ。当時、塩貝が“高校で化けた”という言われ方をしたが、努力を見ていたからこそ、驚きもなかったという。「いい意味で人間離れしていた。努力のベクトル、自分を追い込む力は当時からあった。おかしいくらいにやっていたので」。
とにかくこなす量が半端なかった。「量がこなせるのが塩貝の一番すごいところ。そして怪我をしない。昼休みも筋トレしていたし、たまに走りとか。高3の時は授業が4時間目で終わっていたので、練習までの間に走りに行くぞと言われて走りに行ったり、筋トレも塩貝の筋トレと言って真似して自分たちでやったりしていた」。自然とリーダーになっていたようだ。
高校最後の試合後、高校選手権を戦ったメンバーで作ったグループLINEに一つのメッセージが入ったことを覚えている。――4年後に自分はW杯に出る――。「高校最後の試合後、キャプテンだったので今までありがとうのところに、4年後に自分はW杯に出ると書いていた。今の時代、ビッグマウスは難しい部分があると思うけど、それを実現させた。塩貝の周りにいる人は、塩貝ならできるんじゃないかと思っていたと思います」。


●同級生2
中央大に所属するDF鷹取駿也(4年=國學院久我山高)は、高校3年間を一緒に過ごした。同じ推薦組で、スポーツクラスで3年間クラスメイトだった。
今でもよく電話がかかってくるという。先日も同校サッカー部出身でオランダに語学留学している八瀬尾太郎さんと塩貝が現地で買い物をしているところで電話がかかってきた。「プライベートな話ばかりで、サッカーの話はしない」。そこには20歳前後の青年にどこにでもある関係がある。
メンバー入りを聞いた瞬間、当時から話していたことを思い出した。「レアル・マドリーでプレーしたいとずっと言っていた。志が高い中で、W杯に行きたいと直接は聞いていないけど、そういった過程にあったのかなと思います」。
一方で「悔しい」という素直な感情も沸いたという。「一緒にやっていたので嬉しいですけど、塩貝という一個基準がある中で、悔しいです。シンプルに。W杯で日本代表という環境の中でやれることを聞くことはできる。塩貝から話を聞いて、基準を落とし込みたいと思っています」。


●後輩
筑波大に所属するMF普久原陽平(3年=國學院久我山高)は塩貝の1学年後輩になる。以前はやや厳しさもあったという同校の上下関係だが、当時はコロナ禍もあってレギュラー組の少人数で過ごすことも多く、仲はよかったという。
そんな先輩について、普久原は「いい意味で久我山らしくない選手」と話した。進学校としても知られる同校。スポーツクラスと言えど文武両道を求められるが、塩貝は「誰よりも朝早く来てボールを蹴っていたり、昼休みに筋トレをしていたり」していたという。
「全体練習は1時間半でそれ以降は下校しないといけない。グラウンドも野球部と共通の半面。そんな中で考えてやっていたという点では、一個飛び抜けていた。高校1年生のころからずっとバケモンだったかと言われるとそうじゃなかったかもしれないけど、自分が2年で塩貝君が最後の代は毎試合点を決める選手になっていたので」
ただ「トントン拍子であそこまで行っているのはすごい」と尊敬を向ける一方で、普久原もまた刺激に変える。「めちゃくちゃ刺激を受けます。自分もこんなところで燻っている場合じゃない。刺激を受けてまだまだだなと痛感している。もっとやらなきゃなと思っています」。身近な選手のW杯メンバー選手は、大学生たちに間違いなくいい影響をもたらしている。
(取材・文 児玉幸洋)
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MF中山織斗(同志社大4年)
●同級生1
「小中高と一緒にやっていた身近な選手が日本を背負って戦うことは誇らしいし、素直に応援したい気持ちがある。同世代が活躍する姿をみて、もう少し頑張らないとという悔しい気持ちがあるので、刺激になっています」
現在は同志社大に通うMF中山織斗(4年=國學院久我山高)だが、塩貝とは小学生時代の横浜FCのスクールから、横浜FCジュニアユース、國學院久我山と同じキャリアを歩んだ選手だった。
横浜FCではユース昇格を逃した境遇も同じ。当時、塩貝が“高校で化けた”という言われ方をしたが、努力を見ていたからこそ、驚きもなかったという。「いい意味で人間離れしていた。努力のベクトル、自分を追い込む力は当時からあった。おかしいくらいにやっていたので」。
とにかくこなす量が半端なかった。「量がこなせるのが塩貝の一番すごいところ。そして怪我をしない。昼休みも筋トレしていたし、たまに走りとか。高3の時は授業が4時間目で終わっていたので、練習までの間に走りに行くぞと言われて走りに行ったり、筋トレも塩貝の筋トレと言って真似して自分たちでやったりしていた」。自然とリーダーになっていたようだ。
高校最後の試合後、高校選手権を戦ったメンバーで作ったグループLINEに一つのメッセージが入ったことを覚えている。――4年後に自分はW杯に出る――。「高校最後の試合後、キャプテンだったので今までありがとうのところに、4年後に自分はW杯に出ると書いていた。今の時代、ビッグマウスは難しい部分があると思うけど、それを実現させた。塩貝の周りにいる人は、塩貝ならできるんじゃないかと思っていたと思います」。


DF鷹取駿也(中央大4年)
●同級生2
中央大に所属するDF鷹取駿也(4年=國學院久我山高)は、高校3年間を一緒に過ごした。同じ推薦組で、スポーツクラスで3年間クラスメイトだった。
今でもよく電話がかかってくるという。先日も同校サッカー部出身でオランダに語学留学している八瀬尾太郎さんと塩貝が現地で買い物をしているところで電話がかかってきた。「プライベートな話ばかりで、サッカーの話はしない」。そこには20歳前後の青年にどこにでもある関係がある。
メンバー入りを聞いた瞬間、当時から話していたことを思い出した。「レアル・マドリーでプレーしたいとずっと言っていた。志が高い中で、W杯に行きたいと直接は聞いていないけど、そういった過程にあったのかなと思います」。
一方で「悔しい」という素直な感情も沸いたという。「一緒にやっていたので嬉しいですけど、塩貝という一個基準がある中で、悔しいです。シンプルに。W杯で日本代表という環境の中でやれることを聞くことはできる。塩貝から話を聞いて、基準を落とし込みたいと思っています」。


MF普久原陽平(筑波大3年)
●後輩
筑波大に所属するMF普久原陽平(3年=國學院久我山高)は塩貝の1学年後輩になる。以前はやや厳しさもあったという同校の上下関係だが、当時はコロナ禍もあってレギュラー組の少人数で過ごすことも多く、仲はよかったという。
そんな先輩について、普久原は「いい意味で久我山らしくない選手」と話した。進学校としても知られる同校。スポーツクラスと言えど文武両道を求められるが、塩貝は「誰よりも朝早く来てボールを蹴っていたり、昼休みに筋トレをしていたり」していたという。
「全体練習は1時間半でそれ以降は下校しないといけない。グラウンドも野球部と共通の半面。そんな中で考えてやっていたという点では、一個飛び抜けていた。高校1年生のころからずっとバケモンだったかと言われるとそうじゃなかったかもしれないけど、自分が2年で塩貝君が最後の代は毎試合点を決める選手になっていたので」
ただ「トントン拍子であそこまで行っているのはすごい」と尊敬を向ける一方で、普久原もまた刺激に変える。「めちゃくちゃ刺激を受けます。自分もこんなところで燻っている場合じゃない。刺激を受けてまだまだだなと痛感している。もっとやらなきゃなと思っています」。身近な選手のW杯メンバー選手は、大学生たちに間違いなくいい影響をもたらしている。
(取材・文 児玉幸洋)
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