[関西]周囲からの期待に重圧を感じた時期に身につけたのは「頑張ろうって思える底力」。山口内定の甲南大FW諏訪晃大は自分のドリブルに「とにかくワクワクしてほしい」
[7.5 関西学生L第10節 関西学院大 1-1 甲南大 関西学院大学 第4フィールド]
決してエリート街道を歩んできたわけではない。思い描いたような日々を過ごせない時間は長かったが、そのたびに自分の力と、周囲の協力を得て、下から這い上がってきた。だから、大丈夫。プロの世界でも自分を信じ、努力を重ね、みんなが笑顔になるようなプレーを披露し続けてみせる。
「今はもう自信しかないです。結局いつもどこでも下からのスタートで、桐一でも下からでしたし、甲南でも高校選抜という肩書があっても、下から始まりましたけど、試合に出られないのなら、その状況を変えなあかんし、甲南ではそこを変えられたので、山口でもまずは下からの立場でも、どんどんアピールしていきたいです」。
2027年1月からのレノファ山口FC加入が内定している、甲南大の10番を背負ったアグレッシブなアタッカー。FW諏訪晃大(4年=桐生一高)はプロサッカー選手としての未来に想いを馳せつつ、今は静かに、ピッチで躍動するための牙を研いでいる。
関西学生リーグ1部前期第10節。関西学院大とアウェイで対峙する一戦。本来は甲南大のエースを担うべきその人は、ピッチサイドに設置された応援エリアから、全力で声を出し続けていた。
「去年の11月にヘルニアっぽい症状が出始めて、12月26日にMRIを撮ったらやっぱりヘルニアでした。それまでも練習前はお風呂に入って、腰を温めてからストレッチして、練習に行ったりしていたんですけど、今年の5月にはもうプレーできないぐらい痛くなってしまったので、手術しました。復帰は9月ぐらいをメドにしていて、今はリハビリもまだジョギングまでは行っていないという感じですね」。
大学ラストイヤーとなる1年。自分で選んだこのチームを、全力で牽引する覚悟を定めて今年に挑んだだけに、もどかしい気持ちがあることは言うまでもない。「こんな長いケガをしたのは初めてですし、サッカーができないとやっぱり『何もなくなる』みたいな感じがありますね。総理大臣杯の出場が決まった時は本当に嬉しかったですけど、やっぱり試合でチームメイトの軽いプレーとか見てしまうと、ちょっとイラついちゃったりして、正直複雑な気持ちはあります」。
それでも、焦らず、丁寧に、今できることを全力でやるしかない。「今だけ頑張ってムチャしても、また体を壊すと思うので、そこはもう焦らずに、目の前のことではなくて、もっと先のことを長期的に見ながら、失った時間はプレーできるようになってから努力して、まずは関西で一番のプレーヤーになりたいなと思っています」。


もともと兵庫出身の諏訪は、関西圏の高校からも話があったものの、「チームがプリンスに所属していたことと、練習会に行って雰囲気が良かったこと」が決め手になり、群馬の桐生一高に進学。2年時まではなかなかAチームでの出場機会を得られなかったが、3年時はキャプテンとして同校初の挑戦となったプレミアの舞台で奮闘。チームは降格したものの、個人としては8ゴールを奪い、一躍その名を知られることになる。
また、高校選手権への出場は叶わなかった一方で、高校選抜候補合宿に参加。全国のハイレベルな選手たちとボールを蹴る機会に恵まれたが、中でも印象に残っているのは、今回のワールドカップにも出場した、あるフォワードの圧倒的な個の力だったという。
「あの高校選抜には塩貝(健人)もいたんですよね。一緒にゴハンとか食べてたんですけど、気づいたら近くにおらんくなって(笑)。でも、当時も凄かったですよ。一緒に練習試合も出ましたけど、ちょっとみんなと速さも上手さも馬力も違っていて、あのくらいまでは行くと思っていました」。
当時は國學院久我山高のエースとして、高校選手権で脚光を浴びたばかりだった塩貝健人と同じピッチでプレーした経験も、自身のモノサシを測るという意味で、諏訪にとって貴重な学びになったことは言うまでもない。


大学は地元の兵庫に居を構える甲南大を選択。入学した2023年は2部に降格した年ということもあって、高校選抜候補のルーキーは小さくない期待を寄せられていたが、その見られ方がプレッシャーになってのしかかってくる。
「高校選抜に入っていたことで凄いと思われていたというか、そういう見られ方がしんどかったですね。周りからの期待も凄く感じていましたし、それなのにアピールできへん自分にも腹が立つし、メッチャ悩んでいた時期もあったと思います」。
前期第2節ではいきなりゴールを記録。以降はスタメン起用も増えていく中で、なかなか明確な結果を残すことができず、後期の先発出場は一度もなし。優勝争いを繰り広げるチームに対し、そこに貢献できていない自分を感じつつも、この時期がマインドを変える大きなきっかけになったという。
「試合に出られない時間に、練習試合でも走らんし、守備せんし、みたいに、正直腐りそうになった時もありました。でも、『やっぱりこのままじゃ絶対アカンな』と思って、そこで良い意味でプライドを捨てたんです」。
「まずはみんなより早く練習に来て、筋トレもしましたし、リーグ戦もベンチには入るんですけど、出られない試合が多かったので、試合が終わったらそのまま甲南のジムに行って、筋トレして、ボールを蹴って、というところから始めました。試合でも別に自分は上手くないから、周りよりやらなあかんと思って、もう守備でガンガン行くようにしたんです。そのあたりからいろいろなことが変わったと思います」。
リーグ戦の数字だけを見ると、1部復帰を果たした2年時は15試合で3得点、3年時も21試合で3得点と、派手な結果を残せたわけではない。途中出場も少なくなく、完全な主力という立ち位置には至らなかったが、もうベクトルはいつでも自分に向き続けていた。
「甲南で過ごした時間で、なんか『頑張ろう』って思える“底力”が付いたと思うんですよね。そこはたぶんプロになっても生きてくると思っていて、今の自分ならどんな状況でも頑張れるので、あとは個の部分をどれだけ伸ばせるかだと思っています」。


前述したように、諏訪は来年1月からの山口加入が内定している。昨季のリーグ戦でのパフォーマンスを評価され、今年1月に練習参加の打診があったが、その時期はヘルニアの影響でプレーできる状態ではなく、改めて春先に山口へと向かい、プロチームの練習へ飛び込む。
「その練習参加での感触がメッチャ良くて、自分的にはアピールできたなと思いました。その1週間後に、また練習参加に呼んでもらって、その練習試合ではたいしたプレーはできなかったんですけど、翌週に京産とのリーグ戦の試合があって、そこでいい感じで活躍できたら、そのあとに正式なオファーが来たんです」。
Jクラブからの正式なオファー。少し迷いがあった諏訪の背中を後押ししたのは、高校時代の恩師だった。「カテゴリー的な部分でちょっと迷っていたんですけど、そこで桐一の中村(裕幸)先生にも電話したら、もう即答で『行け!』って言われて。そこからいろいろな人にも相談して、山口に行くという決断ができました」。
腰の状況を考慮しても、まずは今季の大学サッカーをやり切って、来年の1月から正式にチームへ加わるのが、現実的な時間の進め方だと考えている。ただ、もちろんオレンジのサポーターの前でプレーするイメージが、十分すぎるほどに膨らんでいることは、あえて言うまでもないだろう。
「自分がボールを持った時は、とにかくワクワクしてほしいですね。自分が持ったらゴールを決められる、仕掛けられる、相手を抜ける、誰よりも何かをしてくれるという期待感を持ってくれたら嬉しいです」
「もっともっと成長しないといけないのはわかっていますけど、自分はサイドや前線でのドリブルを売りにしているので、僕を見に試合に来てもらえるように、ベンチに入った時も早く出てくれと思ってもらえるように、もうドリブルでガンガン行きたいです」。
決してエリート街道を歩んできたわけではない。思い描いたような日々を過ごせない時間は長かったが、そのたびに自分の力と、周囲の協力を得て、下から這い上がってきた。だから、大丈夫。そのプレーで見る者をワクワクさせる、甲南大の異質なドリブラー。諏訪晃大はこれからも地道に纏ってきた底力を信じて、より大きな世界へと羽ばたいていく。


(取材・文 土屋雅史)
●第104回関西学生リーグ特集
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決してエリート街道を歩んできたわけではない。思い描いたような日々を過ごせない時間は長かったが、そのたびに自分の力と、周囲の協力を得て、下から這い上がってきた。だから、大丈夫。プロの世界でも自分を信じ、努力を重ね、みんなが笑顔になるようなプレーを披露し続けてみせる。
「今はもう自信しかないです。結局いつもどこでも下からのスタートで、桐一でも下からでしたし、甲南でも高校選抜という肩書があっても、下から始まりましたけど、試合に出られないのなら、その状況を変えなあかんし、甲南ではそこを変えられたので、山口でもまずは下からの立場でも、どんどんアピールしていきたいです」。
2027年1月からのレノファ山口FC加入が内定している、甲南大の10番を背負ったアグレッシブなアタッカー。FW諏訪晃大(4年=桐生一高)はプロサッカー選手としての未来に想いを馳せつつ、今は静かに、ピッチで躍動するための牙を研いでいる。
関西学生リーグ1部前期第10節。関西学院大とアウェイで対峙する一戦。本来は甲南大のエースを担うべきその人は、ピッチサイドに設置された応援エリアから、全力で声を出し続けていた。
「去年の11月にヘルニアっぽい症状が出始めて、12月26日にMRIを撮ったらやっぱりヘルニアでした。それまでも練習前はお風呂に入って、腰を温めてからストレッチして、練習に行ったりしていたんですけど、今年の5月にはもうプレーできないぐらい痛くなってしまったので、手術しました。復帰は9月ぐらいをメドにしていて、今はリハビリもまだジョギングまでは行っていないという感じですね」。
大学ラストイヤーとなる1年。自分で選んだこのチームを、全力で牽引する覚悟を定めて今年に挑んだだけに、もどかしい気持ちがあることは言うまでもない。「こんな長いケガをしたのは初めてですし、サッカーができないとやっぱり『何もなくなる』みたいな感じがありますね。総理大臣杯の出場が決まった時は本当に嬉しかったですけど、やっぱり試合でチームメイトの軽いプレーとか見てしまうと、ちょっとイラついちゃったりして、正直複雑な気持ちはあります」。
それでも、焦らず、丁寧に、今できることを全力でやるしかない。「今だけ頑張ってムチャしても、また体を壊すと思うので、そこはもう焦らずに、目の前のことではなくて、もっと先のことを長期的に見ながら、失った時間はプレーできるようになってから努力して、まずは関西で一番のプレーヤーになりたいなと思っています」。


応援席からピッチへ声援を送る諏訪(左の5番)
もともと兵庫出身の諏訪は、関西圏の高校からも話があったものの、「チームがプリンスに所属していたことと、練習会に行って雰囲気が良かったこと」が決め手になり、群馬の桐生一高に進学。2年時まではなかなかAチームでの出場機会を得られなかったが、3年時はキャプテンとして同校初の挑戦となったプレミアの舞台で奮闘。チームは降格したものの、個人としては8ゴールを奪い、一躍その名を知られることになる。
また、高校選手権への出場は叶わなかった一方で、高校選抜候補合宿に参加。全国のハイレベルな選手たちとボールを蹴る機会に恵まれたが、中でも印象に残っているのは、今回のワールドカップにも出場した、あるフォワードの圧倒的な個の力だったという。
「あの高校選抜には塩貝(健人)もいたんですよね。一緒にゴハンとか食べてたんですけど、気づいたら近くにおらんくなって(笑)。でも、当時も凄かったですよ。一緒に練習試合も出ましたけど、ちょっとみんなと速さも上手さも馬力も違っていて、あのくらいまでは行くと思っていました」。
当時は國學院久我山高のエースとして、高校選手権で脚光を浴びたばかりだった塩貝健人と同じピッチでプレーした経験も、自身のモノサシを測るという意味で、諏訪にとって貴重な学びになったことは言うまでもない。


桐生一高時代の諏訪。10番でキャプテンの重責を担った
大学は地元の兵庫に居を構える甲南大を選択。入学した2023年は2部に降格した年ということもあって、高校選抜候補のルーキーは小さくない期待を寄せられていたが、その見られ方がプレッシャーになってのしかかってくる。
「高校選抜に入っていたことで凄いと思われていたというか、そういう見られ方がしんどかったですね。周りからの期待も凄く感じていましたし、それなのにアピールできへん自分にも腹が立つし、メッチャ悩んでいた時期もあったと思います」。
前期第2節ではいきなりゴールを記録。以降はスタメン起用も増えていく中で、なかなか明確な結果を残すことができず、後期の先発出場は一度もなし。優勝争いを繰り広げるチームに対し、そこに貢献できていない自分を感じつつも、この時期がマインドを変える大きなきっかけになったという。
「試合に出られない時間に、練習試合でも走らんし、守備せんし、みたいに、正直腐りそうになった時もありました。でも、『やっぱりこのままじゃ絶対アカンな』と思って、そこで良い意味でプライドを捨てたんです」。
「まずはみんなより早く練習に来て、筋トレもしましたし、リーグ戦もベンチには入るんですけど、出られない試合が多かったので、試合が終わったらそのまま甲南のジムに行って、筋トレして、ボールを蹴って、というところから始めました。試合でも別に自分は上手くないから、周りよりやらなあかんと思って、もう守備でガンガン行くようにしたんです。そのあたりからいろいろなことが変わったと思います」。
リーグ戦の数字だけを見ると、1部復帰を果たした2年時は15試合で3得点、3年時も21試合で3得点と、派手な結果を残せたわけではない。途中出場も少なくなく、完全な主力という立ち位置には至らなかったが、もうベクトルはいつでも自分に向き続けていた。
「甲南で過ごした時間で、なんか『頑張ろう』って思える“底力”が付いたと思うんですよね。そこはたぶんプロになっても生きてくると思っていて、今の自分ならどんな状況でも頑張れるので、あとは個の部分をどれだけ伸ばせるかだと思っています」。


前述したように、諏訪は来年1月からの山口加入が内定している。昨季のリーグ戦でのパフォーマンスを評価され、今年1月に練習参加の打診があったが、その時期はヘルニアの影響でプレーできる状態ではなく、改めて春先に山口へと向かい、プロチームの練習へ飛び込む。
「その練習参加での感触がメッチャ良くて、自分的にはアピールできたなと思いました。その1週間後に、また練習参加に呼んでもらって、その練習試合ではたいしたプレーはできなかったんですけど、翌週に京産とのリーグ戦の試合があって、そこでいい感じで活躍できたら、そのあとに正式なオファーが来たんです」。
Jクラブからの正式なオファー。少し迷いがあった諏訪の背中を後押ししたのは、高校時代の恩師だった。「カテゴリー的な部分でちょっと迷っていたんですけど、そこで桐一の中村(裕幸)先生にも電話したら、もう即答で『行け!』って言われて。そこからいろいろな人にも相談して、山口に行くという決断ができました」。
腰の状況を考慮しても、まずは今季の大学サッカーをやり切って、来年の1月から正式にチームへ加わるのが、現実的な時間の進め方だと考えている。ただ、もちろんオレンジのサポーターの前でプレーするイメージが、十分すぎるほどに膨らんでいることは、あえて言うまでもないだろう。
「自分がボールを持った時は、とにかくワクワクしてほしいですね。自分が持ったらゴールを決められる、仕掛けられる、相手を抜ける、誰よりも何かをしてくれるという期待感を持ってくれたら嬉しいです」
「もっともっと成長しないといけないのはわかっていますけど、自分はサイドや前線でのドリブルを売りにしているので、僕を見に試合に来てもらえるように、ベンチに入った時も早く出てくれと思ってもらえるように、もうドリブルでガンガン行きたいです」。
決してエリート街道を歩んできたわけではない。思い描いたような日々を過ごせない時間は長かったが、そのたびに自分の力と、周囲の協力を得て、下から這い上がってきた。だから、大丈夫。そのプレーで見る者をワクワクさせる、甲南大の異質なドリブラー。諏訪晃大はこれからも地道に纏ってきた底力を信じて、より大きな世界へと羽ばたいていく。


(取材・文 土屋雅史)
●第104回関西学生リーグ特集
▶お笑いコンビ「ヤーレンズ」がサッカーをしゃべり倒すポッドキャスト「ボケサカ」は毎週金曜配信



