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なぜ乾貴士はスペインで成功できたのか?言葉の壁を乗り越えて…

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エイバルで主力定着を果たしているMF乾貴士

 エイバルで完全な主力となった乾貴士は、移籍2年目の今シーズンもリーガのディフェンダーたちの脅威となっている。ガルガルサSDに口説かれ、通訳として招かれた岡崎篤氏の言葉から彼の飛躍の理由を読み解く。

 日本人選手はリーガ・エスパニョーラで成功できない。ずっと、そう言われ続けてきた。

 城彰二(バジャドリー)、西澤明訓(エスパニョール)、大久保嘉人(マジョルカ)、中村俊輔(エスパニョール)、家長昭博(マジョルカ)、ハーフナー・マイク(コルドバ)……。これまで何人もの猛者がスペインに活躍の場を求めた。だが、どの選手も激しい競争に身をさらされ、ある者は母国、またある者は他国リーグに去っていった。

 日本人選手はリーガの1部で2シーズンと持たない。スペインでは、そんな声も聞こえていた。そんな中、人口2万7000人の小さな街エイバルにやって来たのが乾貴士である。

 ボーフムで1年、フランクフルトで3年と、ドイツで4年を過ごしてから念願のスペイン移籍を実現させた乾は、昨季エイバルでリーガ27試合に出場した。今シーズンも第18節を終了した時点で11試合に出場している。よほどの変化がない限り、出場機会を確保したまま2シーズン目を終えるのは間違いないだろう。では、乾はなぜスペインで成功をつかめたのか。最も気になるのは、言葉の問題である。

■学習能力の高さと日本人通訳の存在

 乾の獲得を決めたのはエイバルの敏腕スポーツディレクター、フラン・ガルガルサだった。さらに、獲得に際してホセ・ルイス・メンディリバル監督の厚い信頼を受けるアシスタントコーチのイニャキ・ベアの進言も大きな後押しとなった。乾は当初、そのベアと頻繁にコミュニケーションを取っていた。ベアがドイツ語に堪能だったからである。

 さらにエイバルは通訳を付けるため、迅速な動きを見せた。海外に渡りUEFAプロライセンスを取り、現在バスクでユースチームの監督をしている岡崎篤氏に白羽の矢を立てたのだ。クラブは乾に最高のパートナーを用意したかった。ガルガルサSD直々にスペインで監督として闘う岡崎氏に電話をかけ、「(乾の通訳として)君に来てほしい」と口説いたのだ。

 岡崎氏は乾の移籍当初をこう振り返る。「ドイツでやっていたからヨーロッパの雰囲気には慣れていました。けど、最初はポジティブな驚きがあったと話していましたね。『スペインはレベルが高い』と」。

 乾が感じたレベルの高さとは、どういうものだったのか。「タカシは最初から『すごく練習が面白い』と言っていたんです。ポゼッションの練習でもすごくボールが回るし、どの選手も巧くて速い。とにかく『純粋に練習のレベルが高くて面白い』とよく言っていました」

 新たな環境、レベルの高い選手たちに刺激を受けたこともあり、乾は加入当初から練習で凄まじい集中力を発揮していたという。岡崎氏は「選手に複雑な動きを要求する練習でも、スペイン語の指示を聞いて(言葉を完璧に理解していないにもかかわらず)スムーズに動けていましたね」と回想する。その学習能力にはメンディリバル監督をはじめ、スタッフ陣も舌を巻いたようだ。

 こんなエピソードを紹介しよう。乾の賢さが、ときにエイバル内である“事件”を巻き起こしていた。集中力に欠けた選手たちの姿勢が、メンディリバル監督の逆鱗に触れることがあったというのだ。

「1か月前にやったような練習を、繰り返してやる時があるじゃないですか。そういう時、タカシは他の選手より先に動いていました。スペイン人選手は覚えが悪かったり、集中していなかったりして、何回もメンディリバル監督に止められていました。おまけにこう言われるんです。『おい、見てみろ! お前ら、あそこで日本人が一人でできているじゃないか !』と。そうやって監督が檄を飛ばしているのは何度も聞きましたね(笑)」

■『もうタカに通訳はいらないよ』ってイジられてました(笑)

 時間をともにするにつれ、乾と岡崎氏は信頼を深め合っていく。それも乾にとってプラスに働いた。2人は相乗りして練習の行き帰りをするようになり、自然とトレーニングにおけるインプットとアウトプットは濃密になっていった。「あの時、監督なんて言ってたのかな? 」「どうしてあの選手はあんなに怒られていたんだろう」。乾の疑問を岡崎氏が車中で解決し、二人三脚でコーチングスタッフの考えを落とし込んでいった。

 また、エイバルのスタッフは岡崎氏を温かく迎えていた。普通では考えられないが、岡崎氏はコーチ陣と同じロッカールームに入って一緒に着替えることができた。加えて、ミーティングに参加することも許された。常にオープンな姿勢で接するスタッフが岡崎氏との意見交換を嫌がることなど一度もなかった。

 「練習後に『あのプレーが欲しいんだよ!』みたいな会話をコーチたちとすることがあって、そういうのはタカシに伝えていました」。信頼を勝ち取るのは、日々の積み重ねだ。試合に出るためには、どうすればいいか。乾は常にアンテナを張り、指揮官の求めるサッカーを全身で吸収した。

 その結果、乾はものすごいスピードでメンディリバル監督のコンセプトをモノにしていった。「けっこう早い段階で『もうタカに通訳はいらないよ』ってイジられてました(笑)」という岡崎氏の言葉が、乾の適応力と評価の高さを物語っている。

 そして今シーズンが始まる頃、岡崎氏の肩書は「乾の“元”通訳」となった。通訳がいなくてもチームに馴染み、周囲の考えを理解し、最高のパフォーマンスを披露できる状況が整ったと、今夏のプレシーズンが終わった後にクラブが決断したのだ。

 実際、乾は今シーズンも信頼を失うことなくポジションを手にしている。相手チームにとって脅威となり、警戒される存在として現地でも認知されているのだ。

 学習能力と向上心、そして周囲の考えを理解する力が乾にはあった。さらに周囲も乾がスペインで成功できるよう、しっかりとしたサポート体制を築いていたわけだ。だからこそ今、リーガのピッチで相手DFを切り裂く姿を見ることができているのだろう。

 今回、日本人選手にとって鬼門の地であるスペインという環境や過去の事例、そして最近の充実ぶりを加味して「成功」という表現を用いたが、乾本人はまだまだ満足していないはずだ。シーズンが閉幕するまでに、日本人選手が到達したことのない領域にどこまで切れ込めるのか。得意のドリブルを武器に、どれだけ多くの相手に恐怖を与えるのか。まだまだ楽しみが尽きることはない。

文=森田泰史(スペイン在住フリーライター)

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