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「エンケが僕を助けてくれた」8年前に自殺した盟友にメルテザッカーが感謝の言葉

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元同僚メルテザッカーがエンケの命日に伴い、盟友に感謝の言葉を寄せている

 2009年11月10日、ハノーファーのドイツ代表GKロベルト・エンケが亡くなった。享年32歳。当時、ドイツ代表の正GKを務めるほどの有力選手が自ら死を選んだことについて、サッカー界のみならず幅広く一般メディアでも取り上げられた。エンケの命日に伴い、ドイツメディア『キッカー』がエンケの特集記事を展開している。

 同選手の死去から8年が経過し、ハノーファーやドイツ代表でエンケとともにプレーしたペア・メルテザッカーが、ロベルト・エンケ財団の公式メディアに盟友へのコメントを寄せた。

「ロベルトがハノーファーにやって来たのは2004年夏のこと。彼は当時27歳で、バルセロナを退団してドイツに戻ってきたところだった。僕は当時19歳で、まだ若手の一人にすぎなかった。僕はDF、彼はGKというポジションで、いつもロベルトは僕の後ろで支えになってくれた。彼は僕を励ましてくれて、ディフェンスという同じ仕事を一緒に担うことで、絆を深めていった。選手として成長するうえで、ロベルトは大きなサポート役となってくれたんだ」

 メルテザッカーは他界した元同僚エンケに感謝のメッセージを寄せるとともに、「彼がうつ病に悩まされていたことを知った時は衝撃的だった。人が精神的に落ち込んでいるときは、表立って活動しづらいもの。そんな中でロベルトは周りに助けられながら、何とか幸福に、健康に生きようとしていたことをみなさんに分かってもらいたい。結果的に自らの命を断ってしまったが、彼がいなくなったことで、ロベルトは我々に対して、精神の病と戦う仕事を与えてくれた」とコメント。自殺はドイツ国内でも減少傾向にならない社会問題となっており、この状況にメルテザッカーは一石を投じている。

 ロベルト・エンケ財団は、エンケの死後に立ち上げられた財団。ドイツサッカー連盟、ブンデスリーガ、ハノーファーのサポートを受けており、主にうつ病への理解を深めるほか、自殺防止の啓蒙活動を行っている。

 1977年生まれのエンケは、故郷イェーナのカールツァイス・イェーナでキャリアをスタートさせ、ボルシアMG、ベンフィカを経て2002年バルセロナに入団。しかし、バルセロナではルイ・ファン・ハール監督(当時)に冷遇され、フェネルバフチェやテネリフェへのレンタルを経験した後、2004年からハノーファーでプレーしていた。

 その後、ハノーファーで今一度評価を高め、2010年の南アフリカ・ワールドカップを前にドイツ代表の正GKとして期待を寄せられる存在となっていた。しかし、エンケは国外移籍の失敗、生まれつき心臓に障害を持って生まれた愛娘、ララの早逝(享年2歳)などにより数年にわたってうつ病に悩まされ、2009年11月10日に走行する特急列車に身を投げ、自ら死を選んだ。その2日前にはブンデスリーガ第12節ハンブルガーSV戦(2-2のドロー)でフル出場を果たしたばかりだった。

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