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カペッロ氏がロナウドのレアル退団を振り返る「彼はパーティーと女が好きだった」

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ファビオ・カペッロとロナウド

 元ブラジル代表のロナウド氏は2007年1月にレアル・マドリーからミランに移籍した。当時指揮官を務めていたファビオ・カペッロ氏は、ロナウドの売却について胸を張る。「今でも誇りに思っている」と振り返った。英『ミラー』が伝えた。

 カペッロ氏は2006-07シーズンにR・マドリーの指揮官に2度目の就任を果たした。就任中に大きな議論にまで発展したのはロナウドのシーズン途中での売却。“怪物”の名を轟かせていたブラジル代表FWは2度もW杯を制覇し、バルセロナやインテル、そしてR・マドリーで活躍。サッカー史上最高のFWとしてその地位を確立していた。

 だが、この頃にはロナウドの力も衰退の一途。カペッロ氏はロナウドとの関係を絶つ決断を下した。この決断に至った理由には、ロナウドの私生活や仕事ぶりへの不満もあった。実際にこの売却によってR・マドリーはラ・リーガのタイトルを奪還する契機となり、指揮官も後悔はしていないようだ。

 カペッロ氏は『ア・ボーラ』の取材で「R・マドリーの監督には大きな責任がある」と当時を振り返る。「私の2度目の就任では、ロナウドを送り出し、カッサーノと契約するという決断が、チームに勝利の精神を生み出すのに役立った。残り10試合でバルセロナとの勝ち点差を9に戻したことは、今でも私の誇りだ」。ロナウドのミラン移籍の裏側を赤裸々に明かした。

「シルビオ・ベルルスコーニ(元ミランオーナー)からロナウドの様子を尋ねる電話があったのを覚えている。私は彼に、自分ではトレーニングもしていないし、パーティーや女性がとても好きだから、彼を雇うのは間違いだと言ったんだ。次の日、新聞の見出しを見たら、ミランにロナウドがいる、と書いてあった。とても面白かったよ」

 その後、ロナウドは体重と怪我の影響によりミランでも20試合しか出場できず。イタリアで2年を過ごし、ブラジルのコリンチャンスでキャリアを終えた。一方のカペッロ氏はロナウド売却で優勝を果たしたものの、結局復帰後1年足らずで解任されてしまった。

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