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久保建英、仏バロンドール賞の主催誌に大型インタビュー掲載!! 克明に語った過去と未来「世界最高の選手になりたい」

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インタビューを行ったTom Bertin記者

 今月10日に発売されたフランスの大手サッカー専門誌『フランス・フットボール』の最新号で、ラ・リーガ開幕を間近に控える日本代表MF久保建英(ソシエダ)の独占インタビューが掲載された。久保が約1時間に及んだというロングインタビューに応えるのは異例。Tom Bertin記者との1時間に及ぶ対話の中では、自身のキャリアや将来像が克明に語られている。

 同誌は欧州年間最優秀選手を表彰する「バロンドール」の主催としても知られる大手サッカー専門誌。今月号では日本サッカー特集が組まれ、表紙は人気マンガ『ブルーロック』(講談社)のキャラクターが担当した。久保の記事はメイン企画として8ページにわたって掲載。スペイン語を通じて行われた約1時間のインタビューのほか、フランス『レキップ』紙のPierre Mérimée氏が写真も撮り下ろした大型特集となっている。

 インタビューの大半では、久保の幼少期から現在に至るまでのキャリアが描かれている。“日本のメッシ”と呼ばれた幼少期については「世界最高の選手と比較されることは誇りではあるけれど、プレッシャーはあった」ことを明かし、「僕はただ久保建英になりたかっただけなんだ」と当時の心境も吐露した久保。当時は「子供の頃からテレビや新聞を見るよりも本に没頭することで、そこから逃れようとしていた」のだという。

 バルセロナのアカデミーキャンプで高い評価を受けたことで、2011年に10歳でスペインに移住。久保は「ラ・マシアは独特で特別な場所だったし、トレーニングはとても楽しかった。勉強して、サッカーをして、サッカーをして、とにかく練習していた」と当時を懐かしみつつ、「いい思い出しかない。言葉を覚えるのには少し苦労したけど、すぐにスペインの文化に溶け込めた。ここでは人々がより身近でたくさん話しかけてくれる。そこは日本と全く違った。幸いにも僕は人と話すのが好きなオープンマインドな子どもだったし、イナズマイレブン、キャプテン翼といった大人気の漫画もこっちでの会話を助けてくれたんだ」というエピソードを明かしている。

 13年にはバルセロナがFIFAの国際移籍違反禁止規約に反したとして処分を受け、13歳で日本帰国を余儀なくされた結果、そこからはFC東京の育成組織に在籍。久保は当時を「日本の文化に再び適応するのは特にサッカー面では難しかった」と振り返りつつも、クラブには「彼らは僕に大きな信頼を寄せてくれた。(19年6月の)退団当時はリーグの首位だったので『なんであと半年残ってくれないんだ』と思った人もいただろうけど、僕の選択を応援してくれた。東京の多くの人たちが僕の夢を後押ししてくれた。彼らがいなければいまの僕はいない」と大きな感謝を語っている。

 19年夏からはレアル・マドリーに加入し、プレシーズンキャンプにも参加。結果的にはEU圏外枠の都合により、マジョルカに期限付き移籍する道を選んだが、R・マドリーでの日々を「日本でチームメイトと一緒にプレーしていたのに、突然世界最高のクラブで練習している。そこは別世界だった」を回顧しつつ、「ポゼッション練習でボールを失わないために大きな負荷を自分に課していた。自分を証明しないといけなかったし、そのプレッシャーは自分にとって良いものだったと思う」と前向きに総括している。

 その後はマジョルカのほか、ビジャレアル、ヘタフェをローン移籍で渡り歩いたが、そのキャリアについて「自分の選択に後悔はしていない。クラブを責めるつもりはないし、それがあとあと役に立った」と断言。ビジャレアルで冷遇されたウナイ・エメリ監督についても「僕をスカウトしたのはエメリだった」と前置きした上で「彼とは何の問題もない。彼はとても良い監督だし、アストン・ビラでもそれを示している」と敬意を示している。

 その後、22年夏にソシエダに加入し、ラ・リーガでの飛躍の転機を迎えた久保。現在の成功の秘訣は「自信を持つこと」と話した。またターニングポイントに挙げたのは初年度のラ・リーガ開幕戦。開幕戦ではカディスからゴールを決め、1-0での勝利の立役者になっており、「ベンチにいることになると思っていたけど監督が先発で起用してくれて、ゴールを決めることができた。ファン、スタッフ、チームが信頼してくれたから恩返ししないといけないと思ったんだ」と振り返っている。

 またソシエダでの役割にも具体的な言及が行われている。当初は2トップの一角、現在は右ウイングでの起用が続く中、「右ウイングでも、左ウイングでも、セカンドストライカーでも、中盤でもプレーしたけど、自分がプレーしている限りはそんなことは問題じゃない」と述べた上で、「僕がやりたいのは、主役になること、重要な試合でプレーすること、そして危険を作り出すことなんだ」と話している。

 さらに自身の望むプレースタイルについても「何より他の選手がやらないことをやるのが好きなんだ。DFと1対1でプレーしたり、ライン間でボールを受けたり、前に出てプレーしたり。だからゲームの中心にいるのが好きだし、“10番”に昔から憧れがある」と詳細に表現。その上で「僕は特別なサッカー選手になりたいと思っているし、みんなに楽しんでもらいたい。だから僕に会いに来てほしい!ファンの人たちにはお金を払ってでも僕のプレーを見に来る価値があると思ってもらいたいし、そういうサッカー選手になりたいんだ」と理想像を口にしている。

 インタビューの話題は久保の将来にも及んでいる。今後の目標については「子どもの頃からそうしてきたように、一歩ずつ進んでいきたい。ラ・リーガのベストプレーヤーの一人になったことでその目標の一つを通過できたので、次は世界最高の選手になりたい」と久保。「そのためには監督も言っているけど、スタッツが必要になる。いまの記録は9点だから、僕にはまだ何かが足りない。最後に残るのはスタッツだからそれを改善したいし、そこに到達すればまた新たな扉が開けると思う」と話し、新シーズンは2桁ゴールを目標を挙げた。

 さらにインタビューの最後には「キャリアを終えるときに人々からどう言われたいか?」という究極の質問も。これに対して久保は「さっき“日本のメッシ”の話があったけど、メッシと同じように才能ある子どもたちが世界のどこかで出てきた時に、“イタリアのタケ・クボ”、“インドのタケ・クボ”といったように“どこどこのタケ・クボ”というニックネームで呼ばれるようになるといいね。それが人々が僕を覚えてくれている証であって、僕なりにサッカー界に足跡を残すことができたということだと思う」と粋な表現で答えている。

 また同誌ではインタビュー企画にあたり、選手本人の自己採点と、同誌による採点も行っている様子。久保は今回のインタビューに「10点中9点」をつけ、「サッカーでもなんでもそうだが、常に改善の余地はある」と“らしく”総括。また同誌は「10点中8点」とやや厳しめだったが、「親切で、忍耐強く、尊敬に値する。初めてのロングインタビューに対しても煙に巻くことをしなかった」と大きな賛辞を送っている。

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竹内達也
Text by 竹内達也

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