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【インタビュー】川崎F離脱後に知られざる葛藤も…欧州市場最終日にストーク・シティ移籍のMF瀬古樹「一番はホッとしています」「この2年間が勝負だなと」

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ストーク・シティに加入したMF瀬古樹

 明治大出身プロ5年目のMF瀬古樹(26)は今夏、川崎フロンターレからイングランドEFLチャンピオンシップのストーク・シティに移籍し、自身初となる欧州挑戦のチャンスを掴んだ。川崎F離脱後には急遽、移籍手続きがストップしてしまうアクシデントもあったが、欧州市場最終日に無事完了。国際Aマッチウィーク明けのリーグ戦での新天地デビューが見込まれる中、すでに現地入りした瀬古にオンラインで単独インタビューを実施した。

―8月11日にFC東京戦に出場し、14日に川崎Fを離脱することが発表された後、移籍期間最終日の30日にストーク・シティへの加入が発表されるまで時間がかかりました。どのように過ごしていたのでしょう。
「離脱が発表された時点でストークと合意はできていて、自分としては行こうと思っていたのですが、それが少し止まってしまった形でした。気持ち的に浮き沈みがすごくあって、難しい状況ではありましたけど、まずはこの移籍を成立させてもらうこと、自分もその意思が強かったので、そこに向かって取り組んでいただいていました」

―どのようなことが原因だったのでしょうか。
「渡航予定だった数日前に、自分を獲得する為に放出する予定だった同じポジションの選手の移籍が破談になってしまいました。急にその話になったので、びっくりはしていましたけど、最終的には選手の流れもあり加入できることになりました。もちろん川崎とストークの強化部もそうですし、UDNSPORTS(代理人事務所)さんの力のおかげだなと感じています」

―その間のトレーニングはどのように行っていたんですか。
「離脱が発表されてからは全体練習が全くできていなかったので、最初のうちは川崎のクラブハウスで身体を動かさせていただいて、時間がかかるということが分かってからは、UDNさんにグラウンドやジムを取ってもらって、個人で動ける環境を整えていただきました」

―フィットネス面に加えてメンタル面の難しさもあったと思います。川崎Fのサポーターからも元気でやっているんだろうかという心配の声を目にしました。
「時間(欧州移籍市場の締切)も迫ってきていましたし、契約の問題なのでどうなるかわからないということで緊張感もあったし、僕にはどうすることもできない難しさはありました。」

―おそらくその心労の背景にはすでにチームを離脱するという思い決断をしていたことも要因にあったと思います。
「本当にその通りですね。リリースも出ていて、チームの練習からも外れていたので、これで行けなくなってしまったら既存の選手や、僕に代わって新しく入ってきた選手へのリスペクトもないし、チームにとってはいらない心配をかけたと思います。そういう面で早く決まってほしいなとずっと思っていましたね」

―Jリーグの移籍ウインドーは欧州よりも早く閉まるため、離脱の決断を早めにしないと川崎F側の編成が間に合わないという懸念もあったと思います。
「まさにその通りです。全てが綺麗にいってくれないと僕としてもそうだし、全ての皆さんに迷惑がかかると思っていたので、とにかくそれだけを願っていました」


―そうした状況を経て無事に移籍が決まり、現地入りしたいま、どのような心境ですか。
「まず一番はホッとしています。こっちで生活したり、クラブハウスで選手とコミュニケーションを取ったりする上では、もちろん日本語は全く通じないし、英語の勉強はしていますけどなかなか流暢ではないので、そこにしっかりトライしていきたいなと思っています。サッカーの面でも生活面でもどうしても自分が伝えないといけないことは出てくると思うので、180度違うところに飛び込んでいるなという思いです。ただ、最初は不安を持っていましたけど、いまはもう楽しみでワクワクしています。昨日もチームが試合(第3節プリマス戦)をしていましたが、試合を見ながら自分がどういうイメージを持って入れるかなとか、良いタイミングでインターナショナルブレイクが入るので、そこは自分を見せるチャンスでもあるし、チームに溶け込めるチャンスでもあるかなと思っていて、楽しみですね」

―試合を見て感じることはありましたか。
「もともとチームから声をかけていただいた時から試合をいくつか見ていたので、イメージはそのままでした。まだ自分が入って肌で感じているわけではないので、これということを言い切るのは難しいですが、まずは若い選手が多くてアグレッシブな勢いのあるチームだなと思うので、自分もそこに乗っかれればなと思っています」

―瀬古選手のこれまでのキャリアにおいて、海外移籍という挑戦はどのような位置付けでしたか。またその結果、EFLチャンピオンシップに来られたということについてどう感じていますか。
「まず海外というところに関してはプロ1年目の時からざっくりとは思っていました。J1で初めてプレーした時に、海外を経験して帰ってきた日本人選手であったり、当時はイニエスタもいたりして、やっぱり違いを感じることはありました。ただ当時はざっくり『海外に行けたらいいな、そこまで行きたいな』というくらいの感覚でした。ただあれから年数を重ね、川崎に移籍したこともあって、身近に海外でプレーしている選手もいるし、大学の同期が海外に出て活躍している姿を見ている中で、海外に挑戦したい思いが日に日に大きくなってきました。また川崎に入ってから、親善試合ではありますけどパリSGなどと対戦する機会があり、もっとそれが身近に感じられるようになったところもあります。当然、彼らはプレシーズンで来日しているのでなんとも言えない部分はありますけど、肌感で『絶対無理だな』と思っている自分がいなかったというのが『行きたいな』という気持ちを一番強くさせてくれました。そして今回、チャンピオンシップという話があった時は、他の国の1部リーグと肩を並べるくらいのリーグ、2部と言われるようなリーグではない感覚があったので、そういうところに飛び込むチャンスが来るとなった時は、本当に『行きたい!』と強く思えていたのが事実ですね。

―バイエルンとの親善試合も取材しましたが、率直に言うと「こういう相手のほうが向いているな」という感覚で見ていました。
「本当にいま図星を突かれた感覚ですね(笑)。こういう言い方が合っているかはわからないですが、日本と海外のサッカーの感覚は違うと思っていて、個が自立していてそれがより秀でているのがヨーロッパだったり、海外のサッカーだと思うんですが、それを親善試合ではありますけど対戦した時に、肌感がすごく自分に合っているといいますか、心地良さを感じていました。こういう相手に対して自分がやりたいことの気持ちよさがしっくりきたといいますか、簡単な言葉で表現するのは難しいんですが、こういう環境でやりたい、こういうサッカー文化の中でやりたいというのをたしかに感じましたね。

―先程、大学の同期という話もありましたが、早く欧州に出た安部柊斗選手らに刺激を受けていたものもあったんでしょうか。
「柊斗もそうだし、森下(龍矢)もそうだし、あとは明治だけじゃなくて(三笘)薫だったり、(旗手)怜央だったり、大学の同世代が海外に行って活躍しているのを見たのは大きかったですね。自分も同期入団で同じ年にJリーグに入って、同じ年数プロをやっている中で刺激がとてつもなくて、一つ上の選手とか一つ下の選手とかではなく、同い年の選手がそういった道を進んでいることにすごく刺激を受けた部分があります。柊斗からも森下からも、それこそ薫が川崎に帰ってきた時には直接話をしましたが、いろんな面で成長曲線が違うのかなというのを僕の中では思いました。それはもちろんサッカーもそうですし、私生活のところも、言語もそうで、サッカー選手とはいえ、一社会人なので、日本だけではなく世界のいろんな国の人といろんな話をしたり、共に生活していく中で得られることは人生経験としてすごく大きいと思いますし、そういったところから刺激を受けていました。それが今回のチャレンジをしたいなと思ったことにもつながります」


―これまで海外移籍という点で迷いはなかったですか。一つは年齢、一つはセントラルMFに海外での成功例が少ないという点があると思います。
「まず年齢に関しては確かにこの夏のタイミングが最後のチャンスくらいの気持ちではありましたね。今季が始まる前に代理人にもそういうお話をさせていただいていましたし、時間軸としてはこの1年以内でというくらいのスピード感じゃないと難しいんじゃないかなと思っていました。ただ今回こういった形になって、その不安はもう払拭されましたね。決まってしまえば年齢は関係ないと思うので、ここからだなという気持ちです。またポジションに関して、ストークに加入するということはそれだけの評価をされているということだと自分は思っているので、そこに対する不安は全くないですね。そもそも不安があったら行かないと思いますし、不安があるような感じだったら評価もしてもらえないと思うので、そこに関してはもう自分次第だなと思っています。これで僕ができなかったら、できなかった選手だなというふうに思われると思いますし、僕ができればそれは自分で掴み取ったものになると思うので、過去のケースは気にしていないですね」

―今回は初の海外移籍ということになりますが、2022年に横浜FCから川崎Fへの移籍を経験しています。その時の経験も活かせると感じますか。出場機会に苦しんだ時期もあったと思います。
「もちろん選手なので常に試合に出られるのが一番良いことだと思いますが、自分だけではどうにもできないところは出てきます。その意味でこの川崎での経験というのは、試合に出ていようが出ていかなろうが、すごく濃い2年半だったなと思っています。試合に出られないのはなぜか、試合に出ている時はなぜかとなった時、いまのチームの状況だったり、勝っている試合に出ているか、負けている試合に出ているかというのも響いてきますし、そういう経験ができたことが良かったなと。横浜FCにいた頃から心の変化があって競争したいと思って川崎に入り、川崎にはその思っていたような環境があって、1年目はもちろん苦労しましたし、2年目と今年も試合に出る出ないという時期がある中で、そういう時間が自分を大きくしてくれると思っているので、そういう浮き沈みといいますか、出られないことにも出られることにも理由があるし、そこに自分でフォーカスしながら戦った経験は絶対にこの先も活きてくると思います。もしストークに入ってから厳しい時期があったとしても、自分の中で気持ち的に耐性があれば、少し余裕が出てくると思いますし、もしそれで自分が崩れてしまえばシーズンを通して崩れてしまうと思うので、そういった経験は活かせると思います」

―最後に今後のビジョンを聞かせてください。もっと上に行きたいという意思を持って成長曲線に目を向けていると思うのですが、どのようなところに辿り着きたいという目標を持っていますか。
「やっぱりサッカー選手をやっている以上は日本代表を目指したい、W杯に出たいという思いが一番ですが、現実的に年齢を考えると次のW杯が最後のチャンスかもしれないので、その時間軸の中でこの2年間が勝負だなと思っています」

―その2年間を過ごすにあたって、細かいプランを立てるタイプですか。
「細かい計画性はビジョンにはないですね。本当にそうなるかはわかりませんし、そういう計画性を作るタイプではないです。最終的な目標は持っていますが、そこへのアプローチはどんな道でもいいと思っています」

―では新シーズンのことについて。ストークには若い選手が多い中、中堅の選手として結果を求められる部分も大きいと思います。どのような意気込みで新シーズンに臨みますか。
「同じようなポジションのライバルは年齢的に下なので、僕はチャンピオンシップでの経験はありませんが、これまでのキャリアでの経験をこのチームに還元できればと思っています。ただそういう中でも、僕としても新たなチャレンジャーという気持ちでいるので、自分をどれだけ見せられるかだと思います。自分のプレーを評価してもらってとっていただいたと思うので、それを発揮できるように、良い意味で若い選手の勢いを自分が使っていけるようにと思っています」


(インタビュー・文 竹内達也)

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竹内達也
Text by 竹内達也

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