beacon

【単独インタビュー】20歳チェイス・アンリ、飛躍を確信したCL抽選会「この試合だけは俺を出してくれ…」

このエントリーをはてなブックマークに追加

単独インタビューに応じたDFチェイス・アンリ

 尚志高卒業後にドイツ・シュツットガルトへ渡ったDFチェイス・アンリは3年目の今季、念願のトップチームデビューを果たすと、シーズン開始からブンデスリーガ12試合、UEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)4試合、DFBポカール(ドイツ国内杯)3試合に出場し、国内杯では初ゴールも記録するなど、著しい飛躍の時を迎えている。

 レギオナルリーガ(4部)のセカンドチームで過ごした2年間での成長を礎に、ついに欧州トップレベルの舞台に辿り着いた20歳。『ゲキサカ』では12月末、シーズンオフで帰国中のアンリに単独インタビューを行い、ドイツで積み重ねてきた日々、R・マドリーやレバークーゼンといった強敵たちとの邂逅、そして大きな注目を集める代表チームとの向き合い方について聞いた。

——まず本日は新しいスパイクを着用して身体を動かしていました。履いてみた第一印象はどうですか?
「格好いいっていうのが一番に出ますね。僕は紫とかオレンジが好きなので、色が素晴らしく好きです」

——前作のフューチャーと比べてここが変わったという点は。
「僕が一番感じたのは革のところが柔らかくて、タッチがしやすい感じがします」

——フューチャーならではのフィット感が役立つと感じる場面はありますか?
「ありますね。僕はCBなので1対1が多いんですけど、ターンの速さが大事になってくるので、フューチャーを履いていることでアジリティとかグリップが役に立っていてありがたいです」

——同じスパイクをどのような選手に履いてほしいですか?
「僕みたいに激しい選手とか、デュエルの多い選手、闘うメンタルが強い選手に履いてほしいです」

——おすすめのポイントは?
「やっぱりまずはこの目立つ色ですね。あとは履きやすさ。履いてみるとギュッとフィットするし、ボールタッチもやりやすいので、全部がちょうどいいです。でも何よりやっぱりこの目立つ色が好きですね(笑)」


——ちなみにさきほどプレーしている姿を見て思ったんですが、身長伸びましたか?
「今も187cmで変わらないですね。でも髪の毛が大きくなったんで(笑)」

——ヘアスタイルもトレードマークとして愛されていると聞きます。
「この髪が僕にとって一番大事なんで(笑)。たまに短くしろとも言われるんですけど、これは失っちゃいけないですね。これがなくなったらもう僕じゃないんで」

——身体も分厚くなったように見えました。
「たしかに向こうに行ってからは結構トレーニングしたかもしれないです。高校の時よりは変わったかなと思います」

——そこは2年半の積み重ねを感じます。この1年間に限っても本当に激動の日々だったと思います。こうしてオフに入ったいま、どんなふうに感じますか。
「あらためて思うと、本当にもうこれ以上ないですね。4部のリーグも優勝したし、その後にセカンドの3部にも1試合出て勝ったし、その後もブンデスとかチャンピオンズリーグも出て、初ゴールを決めることもできて、お腹いっぱいの年でした。本当にもうこれ以上の経験はなかったと思います」

——レギオナル・リーガ(4部)にいた頃はどんなところにアプローチして取り組んでいたんでしょうか。
「まず最初に入った時は結構レベルが高くて、(知らない人は)よく『全然レベル高くない』とかいう人もいるんですけど、4部って本当に強くて、やりづらい相手もいるし、うまい人もいて、僕も大丈夫かなと思ってたんですけど、コーチに聞いたりしながら、もう毎日が自主練の日々でしたね。そういうことをやんないと僕も成長しないし、1人だし、もう時間がないので、もうコーチとかに聞いてやるしかなかったですね」

——シュツットガルトに行く前のインタビューで「テクニカルコーチがいることが決め手だった」と話していました。明確な計画を持った上でドイツに行き、実際にその環境を活かし、本当に成長につなげているところが立派だと思います。テクニカルコーチをされていたネイト・ワイスさん(37)の存在はやはり大きかったんでしょうか。
「僕が最初にシュツットガルトに2週間の練習参加をさせていただいた時、コーチに『お前こっちに来て俺とトレーニングしたら上手くなるぞ』って言われて。僕も細かい技術のところは課題だと言われてたんで、コーチとやれたのは嬉しかったですね。途中でトップのほうに行って、今シーズンはバイエルンに行ったんで、今いないのもちょっと寂しいです」

——いまは別のコーチと個人練習を積んでいるんでしょうか。
「いまはテクニカルコーチじゃないんですけど、チームのコーチたちと一緒に練習していて、それもいい経験になっています」

——そうした日々を積み重ねていく中でトップチームに昇格しました。「今年が転機だ」と感じたのはいつ頃でしたか。
「まずシーズンの初めに守備陣に結構ケガ人が多くて、もちろん全く祈っていたわけじゃないんですけど、チャンスがあるかもとは思ってました。でも何より一番思ったのはチャンピオンズリーグのドローでレアル・マドリーと当たった時ですね。今年は絶対来たなと。レアル・マドリーとはずっとやりたいって思ってたし、試合も一番見てたんで、そこで決まった瞬間に『今年はやっぱ俺の年かも』と思いました」

——普通は格下の相手と戦う時に「ここでチャンスがあるかも」と思うのが自然な気もします。
「今までずっとレアルとやるのを望んできたし、あと自信はずっとあるんで。もちろんまだまだ学ぶことは全然あるけど、試合に出れれば俺も絶対に活躍できると思ってたし、絶対にやれないわけでもないって思ってたんで、レアルの選手と絶対にやってやろうと。俺も世界一の選手を目指してるんで、レアルと当たった時は『もうこれは最高』って感じましたね」

——それほどの思いを持って臨んだR・マドリー戦ですが、率直にどんな空気でしたか。CLの初戦、相手は前回王者、しかも舞台はサンティアゴ・ベルナベウと。
「それはもう……。スタジアムで前日練習をするんですけど、本当にレアルのスタジアムだって思ったし、いまも振り返ると『俺、レアルとやったんだ』って思いますね。試合になるとやっつけたいと思ってたし、俺も勝てると思ってたから、ちょっと違うんですけどね。そこは多分みんなレアルを上に上げすぎてるところがあると思うんですけど、試合が終わった後のほうが、あらためてレアルとやったんだっていう実感がありますね」

——あの試合はベンチスタートでした。目の前にそれほど強く思い描いた舞台があって、それでも試合に出られないかもしれない。どんなことを感じていたんでしょう。
「最初は正直スタメンだと思ってました。その前にブンデスデビューして、次にもう1試合も出てたんで。でもちょうどそのタイミングでチームメート(DFアンソニー・ルオー)が復帰してきて。ずっと部屋でも『絶対にスタメンであってくれ……』って思いながらベッドにいたんですけど、ベンチで。だからもうこの試合だけはって神に祈ってたっすよ。絶対にこの試合だけは……って。俺がこの試合にどれくらいかけてたか。もう他のブンデスの試合は出れなくてもいいから、この試合だけは絶対に俺を出してくれって。アップもずっとそう思いながらやってて、だから60分ぐらいから名前を呼ばれた時に、ああ、もう来たわって。『よっしゃ!』って声も出ちゃうぐらいでしたね。この試合は絶対に何があっても出ないといけなかったんで。だって組み合わせもあるし、もう一生やることがないかもしれないから。もう絶対にこの試合は出ないといけないんだってずっと思ってました」

——そこで任されたのは右サイドバックで、目の前には世界一のウイング(ビニシウス・ジュニオール)がいて、という状況でした。
「そこはもう俺も絶対に止めるって自信があったんで。ただ、(怖いのは)ビニシウスだけじゃなかったですね。技術のところとかボールを持つところはシュツットガルトの選手も別にそんなに変わらないんですけど、やっぱり決め切るところと、一人ひとりの個人能力が高かったです。チームで上手いというよりは、個人が速いとかボールを奪われないとか、そういうところがすごかったです」

——レアル・マドリーは夢見ていた相手だけど、それでも止められる自信があったというのがすごく面白いです。先日ある大会の取材で、尚志高の仲村浩二監督とお話しする機会があって、「やっぱり彼は“ここ”(メンタル)だね」とおっしゃっていたのですが、その片鱗をいま感じています。
「やっぱりみんな、ああいう相手だとビビったりすると思うんですよね。やばいビニシウスだ、これ行けないわって。そういう気持ちがたぶんあるんですけど、でもそう思う時点で目標も薄いし、そういう選手は監督からもそう見えるし、チームメイトからもそう見えるから。こいつはメンタル弱えのかって。もしかしたら日本人の選手だと止めれねぇかもって思う人は多いかもしれないですけど、それは監督からも見え見えなんで、たしかにそこはもうメンタルですね。正直、メンタルが良ければ勝手に技術もついてくると思うし、そこは今年もあらためて思いましたね」

——メンタル的な部分は中学1年生でサッカーを始めて、一番下からのスタートという中から鍛え、乗り越えてきたんでしょうか。
「そうですね。俺は中学校の時、こいつ下手だなってみんなに思われてたし、それも当然だと思ってました。中学校ではもうみんな細かい技術もできてたし、俺は下手だったから。だけど俺は最初に入った時から『俺は上手いんだ』『絶対に俺はやれる』と思ってたんで。中学2年になって絶対にプロになりたいと思い始めて、でもみんなには結構、無理無理って言われて。でもこのままじゃお前は絶対無理って何回も言われてたけど、俺は別に折れなかったんですよね。(長沢)中学校の藤井(亮太)先生に『俺、プロになりたいんすけどどうすればいいですか』ってメールしたら、電話でいろいろアドバイスしてくれたり、練習試合もしてくれたり、おかげで技術もついて、本当にあの人がいて僕は始まりましたね。本当にあの人から始まりました」

——シュツットガルトに行く前のインタビューでも恩師だと話していましたね。いまも連絡を取るんですか。
「今も連絡を取ってますし、実は昨日も会いに行きました。一番はあの人が始まりだったんで。俺が『プロなりたいんですけど』って聞いてくれたのが藤井先生なので、昨日も会えて本当に嬉しかったですね。あの土のグラウンドを見て、ここから始まったんだなって。周りのみんなからはプロなんか無理無理って言われて、だから絶対に結果で見返そうという思いもあったし、絶対にプロになんなきゃいけないって思ってましたね。これはちょっと話がズレるかもしれないんですけど、外国の若い選手はお金がないとか、親を助けたいとかでサッカー選手になる人が多いじゃないですか。でも日本は恵まれている人が多くて、俺も親のおかげでサッカースクールにも行かせてもらったし、だから俺は絶対に結果を出さなきゃいけないんだって思ってました」

——中学時代、高校時代を知る他の人からはどんな言葉をかけられますか。
「想像できなかったわっていうのは言われますね。すげえなって。でもそこは正直、俺もびっくりというか、ここまで来れるとは誰も思わないですよね。ただ頑張ってきたし、いっぱい練習してきたなと思います」

——僕が初めて見たのは高校1年生の選手権でしたが、前線に上がれば何かが起こりそうな雰囲気を強く感じました。
「それは親にも言われてましたね。『お前は何かやってくれそうな感じがする』って」

——なぜだと思いますか?
「なんだろうな。やっぱり自信があるからなのかな。ピッチに入ったらみんなより上手いと思ってるし、白い線に入ったら他のことは何も関係ないから。全員よりうまいと思わないとやっぱもうやっていけないし、ちょっとでも“チキってる”メンタルがあったら絶対に上に行けないと思うんで」

——シュツットガルトでは遠藤航選手、伊藤洋輝選手、原口元気選手と一緒にプレーしていましたが、彼らからもそういったメンタル面を学んだところもあったんでしょうか。
「ありますね。この3人がみんな違うタイプの先輩だったのも良かったです。航くんは『俺が助けるぞ』ってオーラを出しつつも『でも自分でやんなきゃいけないぞ』って感じでいてくれて、洋輝くんは本当に優しいお兄ちゃんって感じで、元気くんはもうサッカー小僧で(笑)。ちょうどバランスが良かったです。で、最終的に困ったら航くんに行けばいいかなって(笑)」

——それはすごくわかります(笑)
「航くんが一番いろんなことがわかってるんで(笑)。でも洋輝くんも本当によくしてくれて、元気くんとはずっと一緒に練習してましたし、本当に先輩たちのおかげだなと。航くんを見ていても、何を言われてもとにかくずっと練習してチャンスを待つ、そして結果を出す、結局それでリバプールまで行くじゃないですか。だからたしかにその人たちの存在が一番大きかったかもしれないですね。メンタルに関しても」

——メンタル面以外のところで言えば、ブンデスリーガでは昨季王者のレバークーゼンのようにチーム戦術が優れているチームとも対戦していました。戦術面で刺激を受けることも多かったですか。
「レバークーゼン戦はもうバチバチすぎて、もうお互いが上手いとわかってるんでキツかったですね。どっちもパス回しもすごいし、レバークーゼンはいろんなところに動いたりもしてくるんで。それがもう疲れて(笑)。身体がキツいんじゃなくて、頭が痛くなって、しかもこれで90分集中しないといけない試合だったんで、もう次の日にはもうバテバテでメシも食えないくらい疲れてましたね」

——ただその中でも適応できるからこそ起用されているんだと思います。
「俺も十分やれると思いましたね。だからレバークーゼン戦が出れて一番良かったんじゃないですかね。やっぱり90分出るのと(レアル・マドリー戦のように)途中から30分出るのとはやっぱり違うんで。だからレバークーゼン戦はすごい経験でした」

——別のインタビューで、チャンピオンズリーグのアタランタ戦も良い経験になったという話をしているのを目にしました。
「アタランタはずっと俺の頭の中にいるんですよね。左サイドハーフでマッチアップしたアデモラ・ルックマンっていうのがいるんですけど、その選手のことはもう逆にリスペクトしすぎました。もうすごいのわかってたんで。パスもできるんですよね。速いドリブルの中でもパスもできて、頭がいい選手なので、それが一番キツかったです。あれと90分やるのはもう無理でした。初めて無理だと思った。あれはダメよ(笑)。でももう一回やりたい。やり返したいです」

——そう思えるような相手とこれからもたくさんやれる機会がありそうですね。戦ってみたい相手はいますか。
「いまはすごくリバプールとやってみたいですね。コーナーでファン・ダイクの上からヘディング叩きたい。でも絶対すごいんだろうなぁ、目の前で見ると。そんな相手とどこでもいいんで、どんどんやってみたいですね」

——そんな相手とぜひ代表の舞台でも……と期待してしまうわけですが。
「いいねいいね(笑)」

——率直に聞きたいんですが、代表という舞台にはいまどんな思いがありますか。日本とアメリカそれぞれの国を選ぶ権利がありますが。
「正直そこまではまだ考えてなくて、自然に任せるという感じですね。呼ばれるのを俺が決められるわけじゃないし、あとはクラブに集中して活躍すれば、どこかで呼んでもらえるかもしれないから、タイミングを待つしかないですね。何が正解かは自分でも分からないし、あとは自然に任せるしかない。でも言われるのはうれしいですよ。俺は絶対に国のために100%で走るし、本当に何でもするから。だからあとは流れですね。こっちを選びたい、こっちは選ばないというのもないんで、とにかく楽しみって感じです」

——ちなみに、SNSでアメリカ国旗のメッセージはたくさん来ますか?
「とんでもない数が来ますね(笑)。逆にそれしか来ないくらい」

——世代別で一緒にプレーしていた日本代表の選手からは「一緒にやりたい」という声を聞きますし、その姿を見たいなと思ってしまいます。
「やっぱりね、一緒にやりたいよね……。だからタイミングですね。タイミングに任せるしかない。どっちにしても俺は成功するし、どっちにしても俺は世界一になるから。それは何があっても変わらないです」

(インタビュー・文 竹内達也)

●ブンデスリーガ2024-25特集
●海外組ガイド
●チャンピオンズリーグ(CL)24-25特集
竹内達也
Text by 竹内達也

「ゲキサカ」ショート動画

TOP