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[SEVENDAYS FOOTBALLDAY]:長いトンネルのその先に(成立学園・矢田部竜汰)

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東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 関東大会の出場権を懸けた準決勝。成立学園高を率いる宮内聡監督は「ちょっと“賭け”でしたね」という采配を振るう。相手は1か月前のT1リーグで0-4と完敗を喫した関東一高。いつものスタイルで戦っても現時点では勝ち目がない。そんな状況で指揮官が語った“賭け”とは「高校の公式戦では今日初めてセンターバックをやりました」と自ら明かしてくれた矢田部竜汰のセンターバック起用。その矢田部はこの一戦に並々ならぬ決意で臨んでいた。

 大津祐樹(柏)、戸島章(町田)、飯田涼(相模原)といった優秀なアタッカーを多く輩出するなど、その攻撃的なスタイルで東京の高校サッカー界を牽引している成立学園。「『ボールを動かすことなんか当たり前だよ』と。それは何のためにやるのかと言ったら『攻撃するためだよ。崩すためだよ』という練習をやっている」と語る宮内監督の信念に揺るぎはない。それでも、今回の試合ばかりは少し様相が違う。前述したように力の差を見せ付けられた関東一を念頭に置き、1週間準備してきたのは「ちょっと割り切って、ボールを奪うというよりもゴールを守ろう」(宮内監督)ということ。多少ブロックを敷いてでも、まずは失点をしないことを第一に考えたプランを立てる。その中で「去年まで試合に出ていた経験や、1対1でそう簡単にやられない部分」を評価して、指揮官はサイドバックを本職にしながら、ここ最近は定位置を失っていた矢田部をセンターバックに指名する。

 外から見れば突然の指名だったが、実際には以前からセンターバックとしての起用もほのめかされていたという。本人も「小学校の頃からセンターバックをやっていましたし、中2の時からサイドバックになって、元々どっちもできるのが自分の“売り”だったので、センターバックと言われても緊張はしなかったですね」と頼もしい。実際に立ち上がりから落ち着いたプレーでゲームに入った矢田部は、14分に自分の持ち味だというピンポイントフィードで先制ゴールをアシストすると、2点をリードして折り返した後半は一方的に攻め込まれながらも、粘り強いディフェンスで最後まで相手に得点を許さず、2-0で完封勝利。「練習から成立のサッカーじゃないことも徹底してやってきたので、今日はこの試合がベストなんじゃないかなと思います。耐える時間も長かったですけど、みんなで一丸となってやれたので、それは良かったですね」と納得の80分間で、1か月前のリベンジと関東大会の出場権を同時に手にしてみせた。

 忘れられない試合がある。2015年11月8日。舞台は味の素フィールド西が丘。ファイナル進出を巡って國學院久我山高と激突した高校選手権東京予選準決勝。0-0で推移していた後半に均衡は破れる。エリア内で成立学園の選手にハンドがあったというジャッジを主審が下し、PKが与えられた。結果的にこのPKで挙げた1点を守り切り、そのままファイナルも制した國學院久我山は全国準優勝まで駆け上がる。「久我山戦は自分がハンドして幕を下ろしてしまったんです」とその試合を振り返るのは矢田部。もちろん不可抗力であったのは間違いないが、残酷過ぎる結末に2年生の彼を絶望的な感情が襲ったのは容易に想像できる。

「西が丘のこともあって『今年こそは』という気持ちはあったんですけど、逆にそこで色々想う所があって」なかなかパフォーマンスが上がらない。新チームの立ち上げ時こそレギュラーを務めていたが、「自分の中でも『出られるんじゃないか』という甘い考えもあったので、そこから徐々にモチベーションが落ちてしまったり、うまく行かない時期が長かったですね」と話してくれた矢田部は、ポジションを失いつつあったこの数か月を自ら『長いトンネル』と表現した。そんなトンネルの中で迎えた重要な一戦はセンターバックでの出場。それでも、起用してくれた指揮官の期待に応えるために、そして何より自分の価値をもう一度はっきりと示すためにピッチに立った矢田部は、1つの答えをそのピッチで見つけ出す。「自分なりに悩んできた時期も長かったですけど、今日は自分のプレーができたので、やっと『長いトンネル』を抜けられたかなという感じです」。苦悩の日々を過ごしてきた“センターバック”は、そう言って最後に笑顔を浮かべた。

 まだ結果を出したのは1試合だけだということは自分が一番よくわかっている。本人も「今後も与えられたポジションを全力でこなすだけなので、どっちでもできるように準備はしていきたいです」と兜の緒を締め直す。ただ、おそらくどちらのポジションで起用されたとしても、彼のプレーに迷いはないだろう。『長いトンネル』を抜け出したその先にある景色は、『長いトンネル』を潜り抜けた者だけにしか見えないはずだ。その景色にようやく辿り着いた矢田部の腹は、きっともう据わっている。

(※写真は15年)

■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務し、Jリーグ中継を担当。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」



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