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「スポーツライター平野貴也の『千字一景』」第44回:誓いの坊主(中央学院高:浜田寛之監督)

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“ホットな”「サッカー人」をクローズアップ。写真1枚と1000字のストーリーで紹介するコラム、「千字一景」

 日々、自分の頭にバリカンを入れる度、責任と懺悔と覚悟を改める。あの日のことを忘れてはいけない――。

 校庭の脇にある指導者室に、過去のチームの写真が飾られていた。中央学院高の浜田寛之監督は、一つのパネルを指し示した。指の先にいたのは、現在ペルー1部で活躍しているMF澤昌克。彼が3年生だった2000年、高校総体千葉県予選の準決勝で八千代高にPK戦で敗れて全国大会出場を逃した。坊主頭の浜田監督は「僕の采配ミスで追いつかれた。このときから坊主です。3年生が全員続いて、泣きながら、彼らの髪を刈りました」と明かした。スパルタ指導で鍛え抜いた、手応えのあるチームだった。しかし、選手権の県予選も準決勝で元日本代表DF田中マルクス闘莉王(現京都)を擁する渋谷幕張高に敗れた。

「彼らのときに、限界だと思った。選手に坊主頭を強要して、走らせまくり、頑張らせて、それでも勝たせてやれなかった。彼らに一体、何が残ったか。恐怖だけ。誰も(卒業後に)ここに帰って来ない。ダメだと思った」

 翌年から、指導スタイルを大きく変えるとともに模索が始まった。譲れないものを勝利から技術にシフト。「どんな監督、チームの要求にも技術で応えられる選手を育てる。選手を怒っても良いけど、選手がサッカーを嫌いになってしまう行動を取らない」が指導ポリシーになった。多くの指導者に話を聞きに行き、影響を受けた。見た目から近付こうとして、国見高(長崎)に憧れて縦縞にしていたユニフォームを、静岡学園高(静岡)の真似で「GAKUEN」を「GAKUIN」に変えただけのデザインにしてしまい、やり過ぎだと怒られたこともあった。

 静岡学園だけでなく、野洲高(滋賀)やエスポルチ藤沢など技巧派の育成に定評のあるチームを何度も訪ねた。野洲でコーチをしていた岩谷篤人氏には、現在、臨時コーチを頼んでいる。方針転換をして以来、選手の興味をくすぐる技術指導を施したチームは、徐々に評価を高めている。

 しかし、千葉と言えば、市立船橋高や流通経済大柏高といった強豪がひしめく激戦区。容易には勝てない。浜田監督は、周囲から「面白いけど勝てない」と言われている現状を受け止めた上で「上手くて勝てるチームを少しずつ目指していく。いつか、強いチームに大差で勝って全国に出たい」と話した。技術重視のスタイルを貫き、過去を越えて強くなる――全国大会に出るまでは坊主頭を続けると決めた、あの年の悔しさが、今日の一歩を支えている。


■執筆者紹介:
平野貴也
「1979年生まれ。東京都出身。専修大卒業後、スポーツナビで編集記者。当初は1か月のアルバイト契約だったが、最終的には社員となり計6年半居座った。2008年に独立し、フリーライターとして育成年代のサッカーを中心に取材。ゲキサカでは、2012年から全国自衛隊サッカーのレポートも始めた。「熱い試合」以外は興味なし」


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