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U-22日本代表へ“飛び級”、ゴールも決めたMF中村仁郎。パリ五輪、世代のトップへオン・オフともに意識変化

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ガンバ大阪ユースのU-22日本代表MF中村仁郎主将

[11.21 高円宮杯プレミアリーグWEST第16節 G大阪ユース 2-2 大津高 OFA万博フットボールセンターG]

「もっと技術も、サッカーの戦術脳だったりも上げていかないといけない。トップの選手と練習したりしても、まだフィジカル面で負ける部分が多いので、そこの身体づくりと、身体がなくても負けない技術力をもっと高めていきたいと思います」

 ガンバ大阪ユース(大阪)のU-22日本代表MF中村仁郎主将(3年=ガンバ大阪ジュニアユース出身)は、得意のドリブルを相手に警戒されながらの90分間。立ち上がりは大津高の寄せの速さに慣れず、ロストするシーンもあった。

 高校生では特に知名度のあるドリブラーだけに、大津DFはプレー動画もチェックしてその動きを想定した対応を見せていた。だが、徐々に慣れると「寄せが速いからこそ、逆取れば一気に入れ替わることができた」。右サイドでマークを置き去りにして2度3度とエンドライン際まで切れ込み、決定的なシーンを演出。ただし、カットインからの左足シュートも読まれていたことから、左足を振るシーンは少なく、ラストパスの精度にも本人は満足していなかった。

 試合終了間際に左足FKで同点ゴールに繋がるPKを誘発。トップチーム昇格を決めているMFは、相手の警戒を上回るドリブル突破やボールキープ、切り替えの速さなど存在感を示していたものの、仕掛けから得点に結びつける動きができなかったことから「まだまだ実力不足」と自己評価は厳しかった。それでも、03年生まれ世代のトップを走ってきたレフティーはより意識が高まり、チームへの影響力を高めている。

 中村は10月、U-22日本代表の一員としてAFC U-23選手権予選に出場し、1ゴールを挙げた。メンバーの大半は24年パリ五輪を狙うU-20世代で、年上の選手たちの中での日々。「挑戦するだけやと思っていたので、そこで『自分が一番ヘタや』『一番実力がない』と思いながら、ずっと成長しようと思いながらやれました」と中村は振り返る。

 怪我明けでコンディションがベストではなかったことは確か。また、ピッチ外では年上の選手たちに気を遣うところもあった。だが、同じ高校3年生のMF松木玖生(青森山田高)、MF甲田英將(名古屋U-18)、DFチェイス・アンリ(尚志高)と「プレー中はやるだけしかないな、と話していました」という中村は他の高校生選手同様、チームの中で自分のプレーを出すことに集中。結果を残して活動を終えた。

「そこで1点取れたというのは、これからのサッカー人生において凄く良い経験になったかなと思います」と振り返る。中村は高校1年生でJ3デビューと初ゴールを記録。昨年には高校2年生でJ1デビューも果たしている逸材レフティーだ。パリ五輪は15歳で初めて年代別日本代表に選出されてから、常に言われ、意識してきた大会。「ずっと目指してきていましたし、今年初めて年上の代表にも選ばれて、狙えへんところではないのかなと思っています」

 もちろん、目標の大会に出場するためには、まだまだ力を身に着けなければならない。U-22日本代表の活躍で課題を持ち帰ってきた中村は早速、行動に移しているようだ。元日本代表MFの明神智和コーチは「(U-22日本代表から)帰ってきてオフ・ザ・ボールの動きの量と質というのはとても意識が高くなっていますし、それはとても良い武器になっています。代表に行って経験するものというのは行った人が分かるものだと思うし、そこで様々な刺激を受けてきていると思うので、オン・オフともに意識高くなっていると思います」と頷く。

 U-18世代の選手たちは、“飛び級”でU-22日本代表入りし、活躍した中村たちから刺激を受けている。中村は「おこがましいことですが、」と謙虚だが、胸の中にはU-18世代を引っ張る責任感と使命感も。「(同世代で)連絡をくれる子もいたり、『負けてられへんな』と言ってくれる子もいたので、代表経歴としては自分が追われる立場にあるのかなと。(同世代が刺激に感じてくれることは)嬉しいことですし、これからも一番前に立って、この世代を引っ張っていきたいと思います。でも、責任感や使命感にかられてプレーを楽しめなくなったら意味がないと思うので、サッカーを楽しむことを第一に考えてプレーしていきたい」。ユースチームで戦う試合は残り数試合。高い目標を実現するための努力と勝負にこだわることと同時に、中村らしく楽しみ、周囲を沸かせるプレーを続けて来年、そして3年後に繋げる。

(取材・文 吉田太郎)
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