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福岡の名将、平清孝氏が教え子率いる岡山学芸館アドバイザーに就任!「日本一になるために頑張りたい」

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岡山学芸館高のアドバイザーに就任した平清孝氏(中央)。選手や教え子の高原良明監督、スタッフ、学校とともに日本一を目指す

 3月末で東海大福岡高(福岡)の総監督を勇退した平清孝氏(67)が1日、21年インターハイ8強の岡山学芸館高(岡山)のアドバイザーに就任した。就任早々、グラウンドに訪れた平氏は「縁があって指導者としてサッカーに関わるチャンスを貰ったので、また本気になれる。日本一になるために頑張りたい。このチームは県以上、全国で戦えるチーム。県で勝って満足しているようでは私が来た意味がないと思っている」と選手に声を掛けた。今後は岡山に移住し、高校生とスタッフへのアドバイスを行う。

 東海大福岡高(旧・東海大五高)を選手権3位などへ導き、数々のJリーガーや指導者を育成した九州の名将が、東海大福岡時代の教え子である高原良明監督とタッグを組んで、再び日本一を目指す。

 平氏は65歳で定年した後も東海大福岡との契約を延長し、昨年度までの2年間チームに携わっていた。契約はもう一年残っていたが、「赴任して45年で退くのも語呂が良いかなと思っていた」。そうした際に頭に浮かんだのが以前、高原監督に掛けられた「退職したら、うちに来てくれませんか?」という言葉だった。

 恩師を招き入れる決断について高原監督はこう話す。「全国ベスト8以上を目指すために、今までずっと勝負されてきた先生のノウハウを僕らが学びたいとの想いもあった。恩師なので、僕も何かの形で恩返しもしたかった」。岡山学芸館は最近6年間で選手権出場4回。19年にプリンスリーグ中国優勝を経験し、昨夏には初めて全国8強入りするなど中国地方で特に勢いのあるチームだ。

「学芸館に行って、夢を追うのも良い。日を追うごとに今までの経験を活かしながら色んな角度でもう一度サッカーと向き合いたくなった」。そう振り返る平氏はJクラブや大学チームからの誘いもあったが、昨年秋に退職を決断して高原監督に相談。一昨年グラウンドの人工芝グラウンドの張替記念グラウンドに東海大福岡が招かれた縁もあり、とんとん拍子で話が決まっていったという。

「決まってから、どんどんその気になっていき、夢が膨らんでいった。岡山学芸館は、今からまだまだ伸びるチームだと思う。学校側の協力もあるし、これだけのグラウンドもあるし、スタッフも揃っている。可能性は十分にあるので、燃えています」。

 高原は総監督への就任をお願いされたが、選んだのはアドバイザーという立場。「今まで高原という監督が作ったお城があるのに、私が来てその横に大きな城を経てるわけにはいかない。あくまで高原の城を支えるために来た。柱が歪んでいる所を修正するぐらいの気持ちでいる。あくまでも高原サッカーを継承しなければいけない」。そう話す平氏は、感受性が強い時期である高校生のメンタル的なサポート、また選手起用のアドバイスを行うという。加えて、選手としての成長には充実した学校生活が大事と考えるため、可能な限り授業の様子も見に行くつもりだ。

「自分には高校サッカーしかない」と口にする平氏の言葉は重みが違う。「サッカーは簡単だけど難しい。メンタルが強い選手が11人プラスアルファ揃い、チームになった時に目標が達成される。1人でもメンタルが崩れた選手がいた所から崩されて負けてしまう。そうしたメンタルを覗きながら、君たちと向き合いたい」。就任の挨拶として掛けた言葉を選手全員が熱心に聞き入っていた。そんな高校生たちの姿を見た平氏は「選手たちのキラキラした目が良かった」と笑みを浮かべていたのが印象的だった。名将の後押しを受ける事になった岡山学芸館は全国ベスト8を越えて、日本一を本気で狙いに行く。

岡山学芸館高の平清孝アドバイザーは就任初日から選手たちにアドバイス

(取材・文 森田将義)

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