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東北サッカー復興の狼煙(2)~困難乗り越え悲願のプロ選手輩出目指すベガルタ仙台ユース

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 3月11日に発生した東日本大震災を乗り越えて復興へ向けて歩みだした東北のプロ・アマチュアサッカーチームの動きを伝える連載「東北サッカー復興の狼煙」第2回はベガルタ仙台ユースを取り上げる。4月1日より新潟県内で活動を再開した仙台ユースは、同9日よりホームグラウンドである仙台市の泉パークタウングラウンドに戻って練習を始めた。再びプロ選手育成に向けて歩みを始めた仙台ユースの様子と、今後の活動への課題をレポートする。

 4月9日。小雨の降る中、仙台ユースは震災後初めて、通常の練習場である泉パークタウン人工芝グラウンドで練習を行った。約2時間の練習ではパス練習、ミニゲーム、シュート練習などを行ったが、練習を指示する越後和男監督からは選手達に厳しい注文が相次いだ。非常に引き締まった雰囲気の練習だった。

 越後監督は昨シーズンまでジェフ・リザーブズの監督を勤めていたが、今シーズンからかつて在籍したベガルタ仙台にユースチーム監督として7年ぶりに復帰。ユース選手が厳しい試合を経験する機会が少ないことに目を付け、今シーズン東北以外の地域への遠征を増やす予定だった。3月は千葉、大阪、福岡への遠征が予定されており、強い対戦相手との真剣勝負の場を増やすはずだったが、その予定は全て中止。4年間プロ選手の輩出がなかったチームが、決意の再スタートを切った矢先の震災だった。

 仙台ユースの選手は全員無事。中には、津波にさらわれながらも人命救助を行ったDF藤澤恭史朗(1年)のような選手もいた。震災後しばらくは練習できなかったが、アルビレックス新潟からジュニアユース選手も含めて、練習場・宿泊場所・食事を提供するというありがたい申し出を受けて、4月1~7日新潟で練習・さらには被災地支援も行った。

 越後監督は「まずは新潟の方でアルビさんにお世話になりまして、諸々の方の手助けや親御さんの理解で4月1日から活動再開できたのは、僕らにとって本当にありがたいことですし、感謝してもし切れません」と感謝の言葉を口にした。新潟での練習については「新潟ではコンディションを戻すことに主は置かなかったです。どうしてこうやってサッカーができているのか、日常の当たり前のことが当たり前じゃない時にどうするのか、サッカー以外の所で勉強して欲しいと思いました。いろんな協力を得てサッカーできていることを今、学んで欲しいです。その中で今、自分が何をやらなければいけないのかをもっと感じて、真摯に練習に取り組んで欲しいです」と、オフザピッチの部分での人間教育に主眼を置いたことを明かした。「新潟では募金活動のお手伝いをさせていただいたのと、南相馬市から避難されている子ども達と被災者同士で何かできないかということで、一緒にサッカーのミニゲームを行い、ちょっとでも子どもの笑顔が見られたのは良かったですね」と練習以外の被災地支援に関しても振り返った。

 キャプテンのMF越後雄太(3年)(余談だが監督と親子関係ではない)は「震災で家をなくしたり、まともにご飯が食べられない方がいたりする中で、いろんな方の協力で良い環境で練習させてもらって本当にありがたいです。南相馬市の子ども達と遊んだのですが、家に帰りたくても家がない子がストレスを忘れられるように遊べたかとは思います。ただ、まだまだ大変だと思うので頑張ってほしいです。募金はできるだけ大きい声を張り上げて、少しでも集められるように頑張りました」と多くのことを学んだ新潟遠征を振り返った。

 こうして動き出したチームに吉報が飛び込んだ。4月8日、越後雄がU-18日本代表として4月14~26日のアメリカ遠征(ダラスカップ)へ参加することが決まった。越後雄は「日本中が大変な中、日本の代表としてアメリカに行って良い環境でサッカーできるので、相手は強豪かと思いますが、互角異常に戦えるように精一杯頑張りたいと思います」と抱負を語り、越後監督も「しっかりダラスで戦ってきてほしいです。なおかつ我々は東北にいるとなかなか強い相手と試合を組めないので、まだまだ我々はこれじゃダメだ、世界と戦うにはこういう風にやらないといけない、ということを持ち帰ってくれればなお良いです」とチームに良好な影響を与えてほしいと期待をかける。

 ところで、現在仙台ユースが活動を続けていく上での大きな課題は、宮城県沿岸部在住の選手の練習参加だ。先述の藤澤等数名の沿岸部在住の選手は、新潟遠征から帰宅した7日深夜に大きな余震があった影響もあり、9日の練習には参加できなかった。藤澤など石巻近辺に住む何人かの選手は仙台と石巻を繋ぐJR仙石線に復旧の見込みが立たないため、車での送り迎えが必要になる。また、自宅が被害を受けている選手もいる。こうした選手に常時練習参加できる環境を整えられるかどうかが当面の課題だ。

 石巻市出身で現在は仙台市泉区にあるベガルタの寮で暮らす越後雄は「石巻から通っている選手もいて、家がなくなったり、ガソリンもなかったりという状況です。新潟遠征の帰りはコーチが石巻まで送り迎えしたそうですが、コーチが毎日やるのは不便です。僕も実家が石巻なので、たまに実家に帰る時は一緒に連れて行きたいです。クラブスタッフの方にも協力してもらい、ベガルタ仙台が一丸とならないといけないと思います」とキャプテンの責任感から自らも沿岸部在住選手を支援したい考えを語ると同時に、クラブ側にも協力してほしいと語った。

 また、越後監督は「今後はナイター設備が使えるかどうかといった問題が出てくると思います。学校が始まる前の20日くらいまでは日中の練習で対応できますが、それ以降の平日練習は会社と相談して、できる限りのことを僕らが提供していくことになると思います」と語っており、高校始業後に夜間練習ができるかどうかも課題だ。この件に関しては東北・東京電力管内のチームは練習時間が制約されるという問題が既に続出しており、多くのチームが抱える難題であろう。

 こうした課題もあるが、プロ選手輩出というチームの大目標に関して、越後監督は一切の妥協はない。「今日からは厳しく、コンディションを上げていって、本来自分たちがやらなきゃいけないプロになるということ、全国大会で勝てるようになるという目標に向かって今できることをやらなければいけません。今後関東遠征に何試合か行くので、モチベーションも問題ありません。よりレベルの高い同い年の選手と試合することで刺激になると思いますので、そこに向かって始動していきます」と今後のプランを明かした。「プリンスリーグが延期になったので、もう一度しっかりコンディションを上げて、6月にはトップコンディションでプリンスリーグの試合に臨めるように頑張りたいです」とキャプテン越後雄も意欲を見せた。

 2005年に設立されたベガルタ仙台ジュニア一期生でU-16日本代表に選出されたMF安田壱成(1年)や、U-18日本代表の越後雄など、年代別日本代表に選出される選手も出てきた。プロ選手輩出、高円宮杯プレミアリーグイーストへの昇格、そして各種大会での躍進を目指し、仙台ユースは多くの困難を乗り越えるべく動き始めた。

(取材・文 小林健志)

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