beacon

ドイツでの悔しさを胸に…父、兄とともに風間宏矢の新たな挑戦

このエントリーをはてなブックマークに追加

[8.18 J1第22節 横浜FM2-2川崎F 日産ス]

 アシストは“幻”になった。1-2で迎えた後半33分、川崎フロンターレはDF田中裕介が中央に入れたボールをMF中村憲剛がワンタッチでスルーパス。PA内に走り込んだFW風間宏矢は鋭い切り返しでDF中澤佑二をかわし、シュート体勢に入る。しかし、ゴールを空けて前に出てきたGK飯倉大樹に詰められ、横パス。FW小林悠が右足で無人のゴールに押し込んだが、小林がオフサイドの反則を取られた。

「初めはシュートも考えたけど、コースを消されて、(小林)悠さんがフリーだったので、パスを出した方が確実だと思った」。オフサイドの判定自体が微妙だったが、自ら強引に狙ってもよかった場面。「あれを自分で決められるようになりたい」と、J初ゴールはお預けとなった。

 7月1日に川崎Fに入団。父親でもある風間八宏監督とのJリーグ初の親子鷹として注目を集めながら、公式戦出場が可能になった7月28日の大宮戦(4-1)から兄・宏希とともに4試合連続の先発出場。「今一番調子のいい選手を出す」という指揮官の方針の下、試合によって先発メンバーも入れ替わる中、定位置を確保している。

「練習で調子のいい人が出るので、練習のモチベーションは高い。やっていて楽しいし、厳しい」。子供のころから最も身近に見て、学んできた“風間イズム”だからこそ、戦術理解も早かったのかと思ったが、「慣れるのには時間がかかった」と、意外な答えが返ってきた。

「中学や高校では真逆のサッカーをしてきたので」。静岡の清水地域の小中高生を対象に風間監督が立ち上げた「清水スペシャルトレーニング(スペトレ)」にも参加していたが、スペトレは練習のみ。特に清水商高のサッカーは川崎Fのようなポゼッションサッカーとは対照的な面もあった。だからこそ「僕は初心者」という宏矢は子供のころのイメージと現在の父親のサッカー観や戦術を比較し、「進化している部分もだいぶあった」とも言う。

 今年3月に清水商高を卒業した宏矢はそのまま海を渡った。ドイツ3部のオスナブリュックと契約し、晴れて欧州挑戦となったはずが、選手登録に必要なビザを取得できず、公式戦に出場することができなかった。代理人やクラブからは「この日取れる」「この日取れる」と何度も言われ、そのときを待ち続けたが、「練習しかできないまま、結局、5月にシーズンが終わってしまった」。来季に向けて、オスナブリュックに残ってビザ発給を待つか、欧州で移籍先を探すか。悩んでいた宏矢のもとに川崎Fから練習参加の要請が届いた。

 最初は「ただ練習していた」と、テストなどのつもりはなかったというが、2週間後に正式オファーを受けた。「自分が必要だと言ってもらえて。フロンターレの将来を背負ってほしいと」。欧州への未練もあったが、「とにかく試合に出たかった。向こうで得たものもたくさんあったけど、フラストレーションもたまっていた」と、川崎Fへの入団を決意した。

 オスナブリュックとは正式な契約に至らなかったため、Jリーグの登録上の前所属チームは清水商高。年齢も他の高卒ルーキーと同じだが、現在に至るまでの数か月間、悔しさも歯がゆさも含め、貴重な経験をしてきた。ドイツでの悔しさをJで晴らす。再び海外に挑戦するときまで、父、兄とともに日本で自分自身を磨いていく。

(取材・文 西山紘平)

TOP