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【連載】2010Jリーグ新天地での挑戦(4)DF藤田優人(横浜FM)

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 プロ入りからわずか1年での移籍となった。決断まではモヤモヤ、やるせなさが募ったが、もう吹っ切れた。やるしかない。東京Vから横浜F・マリノスに加入したDF藤田優人は、マリノスでも持ち味の泥臭さを発揮して、ピッチを縦横無尽に走り回る。

 「自分は足元の技術でどうこうできるタイプではないです。運動量とか気持ちとか、そういう部分が持ち味。サイドバックは左右両方できるし、もとはボランチ。キックもあります。FWとGK以外のポジションならどこでもできますし、その辺りを見てもらえたらなと思います」

 新体制会見で、自身の長所をアピールした。司会を務めたマリノスOBの鈴木正治氏に「横顔とか、元マリノスの大島秀夫に似てるね!」と、さっそくいじられるなどキャラクターもバッチリ。熱い言葉と、愛くるしいキャラで早くもファンを虜にしていた。

 ここまで来るのは、決して、簡単ではなかった。明大から09年に東京ヴェルディに加入。F東京の日本代表DF長友佑都は大学時代の同期だった。その長友と同様、豊富な運動量を発揮して、本職とは違うサイドバックでレギュラーをつかんだ。ルーキーイヤーながら、即戦力の呼び声通り、46試合に出場(うち45試合先発)し、チーム最長の3998分プレーした。

 しかし、オフに待っていたのは“放出要因”という立場だった。実力は高く評価され、東京Vとしては残留させたい思いもあったが、東京Vの運営会社が変わり、資金難による措置だった。移籍金が得られるため、同じく大卒ルーキーだった林陵平(柏へ完全移籍)、那須川将大(栃木へレンタル)とともに、藤田も放出の対象となったのだ。

 23歳、プロ1年目のオフに突き付けられたきびいしい現実。悔しい思いがこみ上げ、胸がはちきれそうになった。悩みに悩んだ。東京ヴェルディはあこがれのチームでもあり、ここをJ1に復帰させ、再び、名門クラブにするのが、藤田の夢だった。なのに・・・。

 「ヴェルディではすごくお世話になった人がたくさんいるし、ほんとはヴェルディでJ1でプレーしたかった。個人昇格という形になってしまったけど、サポーターの方には本当に感謝しています。ここで活躍して、感謝の気持ちを表したい。そうすれば、マリノスサポーターにも感謝の気持ちが表現できると思うので」

 幸い、数クラブからオファーがあり、フロントが熱心だったうえ、こちらもあこがれがあった横浜FMへの入団を決めた。横浜FMは左SBの小宮山が川崎Fに移籍しており、そのあとを埋める人材として、期待されている。

 「サイドだと、守備の部分での運動量とか、そういうところで頑張りたい。クロスの精度をもっと上げて点に絡みたい。ボランチなら本職なので、キックも発揮できる。どちらでも、チームに貢献したい」と藤田は意気込む。そしてキャンプなどでアピールしてレギュラーをつかみ、“国見ホットライン”の形成を目指している。

 エース格のFW渡邉千真、攻撃的MF兵藤慎剛は、国見高時代のチームメート。当時は藤田はボランチで「千真はシュートがうまいし、2人ともパスを出せば決めてくれていた」という。マリノスでも、自身のクロスから千真が飛び込みシュート-。兵藤と絡んで突破-。そんなシーンを思い描いている。

 くしくも開幕の相手はF東京で、左サイドは明大の同級生・長友佑都、右サイドのは国見高の先輩・徳永悠平がいる。平山も国見の先輩だ。「長友には電話しました。対戦が楽しみだねとか、いろいろ話しました。右も徳永さんがいるので、楽しみです」とニヤリと笑う。注目は、日本代表の両者に集まるかもしれないが、藤田はそのお株を奪う活躍で“マリノス・デビュー”を飾るつもりだ。

(取材・文 近藤安弘)

▼関連リンク
第3回小宮山尊信(川崎F)
第2回北野貴之(大宮)
第1回柏木陽介(浦和)
※この連載では10年シーズンに新天地へ移籍した注目選手をJ1の18チームから1人ずつピックアップしていきます(新人選手は除く)

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