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[高校MOM155]山梨学院大付MF鈴木峻太(3年)_監督への恩返しに燃えるドリブラー

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[高校サッカー マン・オブ・ザ・マッチ]
[1.2 全国高校選手権2回戦 山梨学院大付1-0立命館宇治 埼玉]

 “キラーポイント”でボールを受けた。ゴールだけを見て突進した。後半12分、山梨学院大付MF鈴木俊太はPA左でボールを受けると、得意のドリブルを仕掛けた。抜き去ろうとした瞬間、立命館宇治DF奥田望に倒されPKをゲット。決めたのは主将のMF碓井鉄平(3年)だが、このドリブルが勝負を分けた。

 「1対1になったらドリブルで抜こうと思っていた。練習で何度もやっているので、ドリブルには自信がある。抜けたと思ったら、足をかけられました。PKのときはキャプテンを信じていました」

 鈴木はニヤリと笑った。中学時代はFWだったというだけあって、スピードとドリブルには自信があった。それに横森巧監督は攻撃サッカーを掲げ、鈴木ら攻撃陣にはミスしても積極的にドリブルで仕掛けること、そしてアーリークロスを入れるようしつこく指導していた。

 この日はチーム全体的にドリブルでの仕掛けとクロスが少なく、ハーフタイムに指揮官からゲキを飛ばされた。“一番弟子”を自負する鈴木がその指示を忠実にこなし、決勝点をお膳立てしてみせた。

 「監督には恩返しがしたいんです。監督に拾ってもらったので、監督を日本一にしたい」

 鈴木は長野出身で、中学時代は地元のFC ASA FUTUROに所属していた。当時はFW。好きな選手が鹿島のマルキーニョスというだけあってか、運動量とスピードを武器としたストライカーだった。しかし、中3の6月、悲劇が襲った。

 左膝の軟骨が損傷する大けがを負った。膝にメスを入れ、砕けた軟骨を小さいボルトで付ける手術を敢行した。ただでさえ、数ヶ月はまともに運動ができない状態だったが、不運にも手術後直後に転倒し、再手術。年明けの2月までリハビリが続いた。地元の名門、松商学園からもオファーがあっほどの実力者が、サッカーができない辛い日々が続いた

 ボールが蹴られない鈴木を、横森監督は熱心に誘った。負傷前の鈴木の試合を視察。「ドリブルがうまかったし、ボール扱いとか、突破の仕方とか、違う感覚を持っていた。かりに1年間、リハビリをしても、必ずモノになる選手だと思った」と振り返る。鈴木はこの熱意に触れ、親元を離れて寮生活を送ることを決断した。

 実際、1年目は大半をリハビリに費やした。「1年間、ボールを蹴らせないようにしたんです。この年でボールを蹴られないと、イライラしたりするんですけどね、足を考えて」と横森監督。鈴木もこれを乗り越えた。いまでは後遺症もなく、何不自由ないプレーができるようになった。

 指揮官の思いと、鈴木の努力が実り、3年生になって、山梨学院大付として初の選手権出場。16強まで駒を進めた。横森監督は韮崎を率いた79、81、82年度に3度の準優勝経験があるが、鈴木は初の「日本一」を恩師にプレゼントするため、ゴールを狙い続ける。

<写真>山梨学院大付MF鈴木
(取材・文 近藤安弘)

特設:高校サッカー選手権2009

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