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【連載】2010Jリーグ新天地での挑戦(9)DF田中マルクス闘莉王(名古屋)

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 「ストイコビッチ監督を男にするために来た」。入団会見で力強く宣言したDF田中マルクス闘莉王。浦和から名古屋グランパスへ。決して出場機会がなかったわけでもないクラブの中心選手であり、現役日本代表DFの移籍は、今オフ最大の注目事と言ってもよかった。

 浦和でのフィンケ監督との確執。「なぜ毎年優勝しなければならないのか」とタイトル獲得よりも長期的なチームづくりを重視する指揮官の考えに納得できなかった。「自分から出ていくということではなく、レッズが自分を必要としていない」。昨季の最終節後、寂しそうに語った闘莉王は事実上の“戦力外通告”を受ける形で退団を決意した。

 一時は海外挑戦を念頭に置き、トゥエンテ(オランダ)、ウィガン(イングランド)、ブニョドコル(ウズベキスタン)なども獲得に興味を見せていた。しかし、最終的に闘莉王が選んだのは名古屋。その理由については「心が揺れていたときにストイコビッチ監督と久米GM、福島専務と会い、皆さんの期待の大きさを感じた。それが自分の中で大きく響いた」と明かした。

 01年には選手同士で対戦したこともあるというストイコビッチ監督の言葉は重かった。「本当に上手い選手、一流の選手というのは現役時代に肌で感じていたし、トップクラスでプレーした人の言葉には説得力があった」と言う。そして「この人たちのためにも、必ずグランパスで活躍して、楽しい時間や喜びを与えたい」と心に決めた。

 同じ赤いユニフォーム。背番号も浦和時代と同じ4番に決まった。「グランパスのサポーターの皆さんから4番を愛してもらえるようなプレーをピッチの上で見せたい。大きな期待を受けているということは感じているし、それに応えなければならない。プレッシャーを力に変えて、必ず名古屋を盛り上げて戦うんだという気持ちでいる」と力説した。

 浦和の4番から名古屋の4番へ。そして日本代表の不動の4番として。W杯イヤーの決断が闘莉王にどんな進化をもたらすのか。浦和では目指せないと考えたタイトルを獲得するために、移籍という道を選んだ。ストイコビッチ監督にタイトルという形で恩返しをすることしか、闘莉王の頭の中にはないはずだ。

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※この連載では10年シーズンに新天地へ移籍した注目選手をJ1の18チームから1人ずつピックアップしていきます(新人選手は除く)

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