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[選手権]「終わった」という評価「まとまり」で覆した滝川二

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[1.10 全国高校選手権決勝 久御山3-5滝川二 国立]

 第89回全国高校サッカー選手権は10日、東京・国立競技場で決勝を行い、FW浜口孝太主将(3年)と大会得点王に輝いたFW樋口寛規(3年)がそれぞれ2ゴールを挙げるなど、滝川二(兵庫)が久御山(京都)を5-3で破り悲願の初V。兵庫県勢としては72年ぶりとなる選手権日本一を獲得した。

 優勝を決めた決勝後、浜口主将は「自分たちは今の段階ではプロへ行く選手も(年代別日本)代表もいない。チームの力の日本一というよりも、チームのまとまりが日本一やったと思います」と語った。今大会の優勝候補に挙げられていた流通経済大柏(千葉)、静岡学園(静岡)、青森山田(青森)、西武台(埼玉)、山梨学院(山梨)、前橋育英(群馬)といったチームはいずれもJクラブへ入団する選手や年代別の日本代表クラスの選手を擁する。その一方、現在こそFW樋口の清水入り発表が秒読み段階を迎えているものの、大会開幕時点での滝川二の個人・チームに対する周囲の評価はそれほど高いものではなかった。

 シーズンを通してチームには波があった。夏の全国高校総体では決勝へ進出した滝川二だが、全日本ユース選手権では流通経済大柏に1-7で大敗。総体前にはヴィッセル神戸U-18に1-9で惨敗した。主力組が出場しながらも中学生チームであるU-15兵庫県選抜との練習試合で引き分けた経験も。そのような試合をしても危機感を抱くことのできないチームを栫裕保監督は「もう勝手にせいや」と練習を指導しない荒療治に出たこともあるという。安定して力を発揮できなかった選手たちが気づいたのは、本当にまとまらなければ勝てないということだった。

 滝川二がひとつにならなければならなかったのは他にも理由がある。23年間チームを指揮してきた黒田和生監督(現ヴィッセル神戸U-18監督)が全日本ユース選手権で優勝した06年度を最後に退職。08年度こそ選手権で全国8強へ進出したが、昨年は高校総体、高校選手権ともに全国舞台へ進むことができなかった。周囲から聞こえてきたのは「(黒田監督がいなくなった)滝二は終わりやぞ」という言葉。だが栫監督は「そんなことないぞ、という闘志はわきました」。今年は「終わった」という周囲の評価を覆すためにも戦った1年でもあった。

 樋口が「(滝二は)全国に出て勝つチームでないといけないと思った」と話したように復権を目指してきた。そしてGK中尾優輝矢(3年)は「黒田先生がいなくなって『落ちた』と言われてきた。でも指導者どうこうよりも自分たちが上向いていかないといけないと。大切なのはチームのまとまり。(優勝して)それが分かりました」。
 
 モットーは「楽しむこと」。この1年間は練習で野球を行ったり、キックベースやサッカーバレーを行うこともしばしば。「こんなチーム他にないと思いますけど」と浜口主将は笑顔で話すが「みんなで楽しみながら」結束を強めてきた。決して他の強豪校がやらないような、「滝二何やってんの」と白い目で見られるような10年度の滝二独自のスタイル。それでも「やるときはやる」ことを結果で示した。

 今大会は先を見ずに一戦一戦戦ってきた。3回戦で鹿島アントラーズ入りするMF柴崎岳(3年)擁する青森山田を下すとゴールを量産していた樋口と浜口主将の2トップ、通称“ダブル・ブルドーザー”を中心とするチームは一気にスポットライトを浴びた。そしてPK戦までもつれ込んだ立正大淞南(島根)との準決勝を制すと、決勝では今大会トップの破壊力を示す5ゴールで優勝。確かにスターはいなかったが登録25人中24人がピッチに立つなど全員で6試合を戦い、MF香川勇気(3年)を筆頭に全員がピッチを走りぬき、「終わった」と評されていたチームは「まとまり」で日本一に輝いた。

 指揮官は大会終了後、選手たちに「(この優勝を)価値あるものにするかどうかは個人次第」と言葉を投げかけた。歴史を築いた3年生、そしてそれを引き継ぐ1、2年生。まとまることの大切さを学んだ滝川二が新時代の幕を開けた。

(取材・文 吉田太郎)
【特設】高校選手権2010

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