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亡くなった祖父に捧げる先制点、扇原「ミートすることだけ考えた」

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[3.14 五輪アジア最終予選 日本2-0バーレーン 国立]

 亡くなった祖父に五輪切符を捧げた。後半10分、ロンドンへの道を切り開いたMF扇原貴宏(C大阪)の値千金の先制弾。MF原口元気の折り返しを右足で叩き込んだ。

「前半、あそこまで(高い位置に)行ってなかった。行けばチャンスになるかなと思って。(原口)元気がいいタイミングで出してくれて、ミートすることだけを考えていた。思い切り蹴りました」

 中盤からゴール前に飛び出し、利き足とは反対の右足で奪った関塚ジャパン初ゴール。ゴールを確認すると、両手を天にかざし、歓喜に浸った。

 昨年8月17日にJデビューした扇原だったが、「デビューする前におじいちゃんが亡くなって、自分がプロで活躍する姿を一回も見せられなかったから」と言う。祖父に捧げたゴールがチームをロンドンに導いた。

 トップチームに昇格した10年6月、右腓骨病的骨折の摘出手術を受け、全治4~6か月と診断された。ルーキーイヤーを棒に振ると、同年10月に行われたAFC U-19選手権への出場も叶わなかった。当時のU-19日本代表は準々決勝で韓国に敗れ、2大会連続でU-20W杯出場を逃す。そんなチームにケガで貢献できなかった悔しさは、扇原の日の丸への思い、世界へのモチベーションをさらにかき立てることになった。

「U-19のときはケガをしていて、予選をテレビで見ることしかできなくて歯がゆい思いをした。五輪に出たいというのは、そのときから思っていた」

 昨年6月の五輪アジア2次予選・クウェート戦ではホーム、アウェーともにベンチ外の屈辱を味わった。今年2月5日の最終予選第4戦、敵地でのシリア戦もベンチスタート。チームも1-2で敗れ、自力突破の可能性が消えた。「ベンチで悔しい気持ちもあったし、チームの結果が付いてこなかったことが一番悔しかった。マレーシア戦で先発に戻って、絶対に勝ちたかった」。追い込まれた日本は続く2月22日のマレーシア戦で扇原が先発に戻り、4-0の快勝。シリアがバーレーンに敗れたこともあり、C組首位に返り咲いた。

 苦しみながら勝ち取ったロンドンへの切符。そのチームの中心に、正確な左足でゲームをコントロールする扇原の姿があった。痛めている左膝にはテーピングを巻き、強行先発。後半45分に途中交代するまでピッチを駆け回った。

「最低限のノルマを突破しただけ。ここからポジション争いもある。メンバーに残って、本大会で結果を残せるようにしたい。チームでいいパフォーマンスを見せ続ければ、チャンスは来ると思う」。次はロンドンのピッチで。183cmの大型レフティーが、夢の舞台へ挑戦する。

(取材・文 西山紘平)

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