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【特集】09年J1ニューフェイスの決意(第5回、神戸・我那覇和樹)

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 港町・神戸からもう一度、日の丸を目指す。今季からヴィッセル神戸に加入した我那覇和樹(28)は宜野湾高(沖縄)から99年に川崎Fに入団。10年間を過ごした愛着あるクラブを離れ、新天地でのチャレンジを選んだ。「チームを勝利に導けるようなゴールを1点でも取って、みなさんと喜びを分かち合いたい」。18日の新体制会見で、力強く決意を語った。

 川崎F時代の06年シーズンには日本人トップタイの18得点を記録。オシムジャパンにも招集され、国際Aマッチ6試合で3得点を決めた。しかし、07年4月に受けた静脈注射に端を発するドーピング問題が暗い影を落とすことになる。Jリーグは我那覇に6試合の出場停止、川崎Fに制裁金1000万円の処分を科したが、我那覇は点滴治療は正当な医療行為だったとして処分取り消しを求めて提訴。スポーツ仲裁裁判所(CAS)が我那覇の訴えを認める裁定を下したのは昨年5月のことだった。サッカーに集中できない状況が約1年も続いた上、負傷やFW鄭大世の台頭も重なり、ピッチ上での出番は激減していった。

 昨年7月には清水からオファーを受けたが、ドーピング問題で川崎Fのサポーターが仲裁費用の募金活動に協力してくれたこともあり、残留を決断した。しかし、その後も出場機会に恵まれないまま。結局、昨季は15試合2得点という結果に終わり、オフには移籍金がゼロとなり移籍しやすい環境を整えるためクラブ側があえて我那覇に対し戦力外を通告し、今回の移籍に至った。

 神戸の安達貞至社長は我那覇のドーピング騒動について「最初の新聞報道から、これはおかしいと感じ、Jリーグ、日本サッカー協会に対して、この判定はおかしいのではないかと訴え続けてきた。神戸の選手ではなかったが、サッカー界としてこれでいいのかという気持ちでいた」と、絶えず気にかけてきていたことを強調。「幸いに彼は私の願っていた通り、白という判定が出た。そこで彼が是非環境を変えて、ヴィッセルでもう一度、代表に選ばれたころのプレーに戻ってほしいという願いからオファーした」。我那覇復活の手助けをしたい。それがチームにとっても大きな力になる。そんな期待の大きさは、背番号にも表れている。

 13番。昨季まで日本代表FW大久保嘉人が背負っていた“エースナンバー”を任されることになった。ボルフスブルクへ移籍した大久保、G大阪に移籍したレアンドロ。昨季の攻撃の柱2枚が抜けた神戸が、目標である来季のACL出場権を獲得するためには、我那覇が輝きを取り戻すことは必要不可欠だ。「チームの目標である優勝、そしてACL出場に向けてみなさんとともに戦っていきたい」。一度は地獄を見た男が再起を懸け、ゼロからのスタートを切る。


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