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慶應義塾大ソッカー部主将戦記

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壊れた窓

完敗。試合終了のホイッスルと共に、この言葉が浮かんだ。関東大学サッカーリーグ第9節対神奈川大学戦。戦略的なチームプレーを90分間続けた神大の前に、終始個人プレーが目立った慶應は、0-2と無残にも力尽きた。
 規則正しく造られた神大の守備のブロックは、指令と規律に統制された隙のない完璧なものだった。4-4-2のシステマティックな城壁を築き、侵入者には容赦ないアプローチが牙を剥いた。奪ったボールは、素早く前線のターゲットマン三平和司(4年FW=秦野南が丘高)へと配給され、セカンドボールに猛然と青色のユニホームが群がってきた。リーグ最小失点の守備、そしてその組織は、ACミランともイタリア代表とも形容できるかもしれない。
 慶應は、中盤のトライアングルを中心に、創造性溢れる「個」がイマジネーションを最大限発揮し、「個」と「個」の掛け算が3にも4にもなる、見ていて楽しいようなサッカーを目指した。それは、ある意味、お互いのイメージを共有し、連携を高めなくてはならないのだが、コミュニケーションや阿吽の呼吸によって支えられている。ただ今節の試合では、「個」が「個」であり続けてしまった。笠松亮太(2年DF=東京ヴェルディユース)、黄大城(2年DF=桐生第一高)ら、自軍の守備陣を削ってまで、総攻撃を仕掛けにいったが、得点と勝利を渇望し、いつの間にかチームとして一丸になることを忘れてしまった。
原因は、なんだったんだろう。翌日、改めて試合ビデオを見返し、重大な欠陥に気付いた。

「窓が一枚割れている」

不可解な判定に納得がいかず、両手を広げている自分自身の姿は、まるで“壊れた窓”。割れている一枚の窓を放置したことで、次々に窓は割られ、最後には全ての窓が割れるという「壊れた窓理論(ジュリアーニ前NY州知事が、犯罪取り締まりのために提示)」は有名であるが、こうした負の連鎖をチームに広げてしまった。本来、壊れた窓をしっかり処置するべき人間が、不覚にも最初の壊れた窓になってしまったのだ。反省。
慶應が誇るべきコミュニケーションの掛け合わせは、反面、悪い流れも伝わりやすい。何度も好機を演出していた序盤に比べ、終盤はシュート0本、ただただ苛立ちだけが募るばかりとなってしまい完敗であった。
チームの代表である主将として、冷静な判断が出来ず、悪い空気を蔓延させてしまったことは、本当に悔しく、責任を感じる。ただ、この時点で気付けたことは、不幸中の幸いかも知れない。窓の割れた建物では、より悪質な事件が起きてしまう。その前に、全ての窓が、ピカピカに磨き上がっているように、対処していくことが必要となってくるだろう。
敗戦から学ぶ。全ては次節、豊かな想像性と“連携”が生みだす「楽しいサッカー」で勝つために。

※本コラムは不定期更新です。このコラムの感想をこちらまでお寄せください。

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