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慶應義塾大ソッカー部主将戦記

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腹心の誓

11月7日、関東大学サッカーリーグ第19節、対明治大学戦に於いては、5-2と前期(7-4)同様のスコアで乱戦を制し、インカレ出場権を左右する重要な一戦で5試合ぶりの勝利を手にする事ができました。ただ大勝の背景に、一抹の不安を抱えていたのが事実。というのも、今シーズンの公式戦でほぼ1分もピッチを離れる事がなかった“副将の織茂”が、今節は怪我の影響で、初めメンバーから外れたのです。

圧倒的な実力を持つチームの大黒柱をカバーすることは、容易なことではありません。この最も信頼の置けるパートナー不在の試合、私は、並々ならぬ使命感を抱きました。

「明日は、応援に回りますが、アップからしっかりとした雰囲気をつくり、頑張ってください。といってもヤスはあんまり周りの事を気にせず自分のプレーに集中してください。

俺は、試合に出れなくて本当に悔しい。

今週は復帰のため、チームのため、できる限りのことをしたつもり。だからこそ、メンバーに入れなかったことは更に悔しかった。

けどこの悔しさは消しました。

メンバーと同じモチベーションで死ぬ気で応援します。4年がしっかり引っ張って、しっかり勝とう!久しぶりの喜びを分かち合いましょう。

任せた、主将!」

私と織茂との出会いは、大学入学時ではなく、実は7年前に遡ります。当時U-15(中学3年生以下)年代の全日本クラブユース選手権全国大会予選リーグ。同ブロックに入った織茂の所属するフレンドリーFC(東京)と私が在籍していたキューズFC(静岡)とで一戦を交えていました。その時話したわけでもなく、その後一度も会った事はなかったはずだったのですが、3年後、慶應大学で再会した時、何故かハッキリとお互いを思い出すことができました。

 4年前に入部した私達でしたが、当時のソッカー部は、関東2部リーグに在籍していました。当然の事ながら、“1部復帰“”古豪復活“を嘱望され、私達自身も強く意識を持って、開幕戦からスタメンとして引っ張っていくこととなっていきました。しかし1部への道は、そう容易いものではありませんでした。1年時は、5位に終わり、前期1位で折り返した2年時も、一部昇格は果せませんでした。専修大に0-5の大敗を喫し夢潰えた時、3・4年生が淡々とクールダウンをしている中、一人大号泣していたのは、織茂でした。誰よりもチームの目標達成に責任を感努める姿を垣間見たようでした。その時「這い上がろう。」と声掛け合った日は、もう2年も前の事ですが、鮮明に覚えています。1部昇格の消滅、怪我、ミーティング、その後何度も何度も苦境を迎えることがありましたが、厳しく指摘し合いながら、切磋琢磨し続けてきました。

3年生の時には、2部優勝を果し、最高学年の今年、1部のフィールドで戦うことができるようになりました。来る決戦の舞台へ向け、同期で役職を話し合いましたが、主将を決める投票で、当初は同期15人の中13人が、織茂を推薦していました。1年生の時からスタメンとしてチームを引っ張ってきたという自負、誰よりも1部の舞台で高きを仰いできた彼は、当然の事ながら、主将として1部を駆ける姿を想像していただろうと思います。
ただ信任が半ば内定していたミーティングで、私を推薦してくれたのは他ならぬ織茂でした。プライド高く、傲岸不遜で堅物な私の性格を加味し、チーム全体の利益を最大化させる為に敢えて、「参謀役」に身を置く意識を持っていたのだろうと推測します。当時から、全体を俯瞰して物事を考え、自分から喜んで犠牲になってくれる存在で、言動の端々から、「1部で勝つためのチーム」を常に念頭に於いていることが見て取れます。
つい先日の事です。
J1リーグのモンティディオ山形を破り、実力・調子とも絶好調の明治大から勝ち点3を奪取するためには、チームの誰一人欠けることなく一丸になる事が必須と私は、考えていました。それゆえ、全体の士気を高めるためにBチームの練習へ向いました。グラウンドを瞥見すると、当たり前のようにそこにいたのが織茂で、「俺は今節試合に出れない分、チームマネジメントは一人するから、次節に向けたコンディションに集中してくれ」との言葉を受けて、私は、その場を辞しました。

「阿」と言えば「吽」と返ってくる。いや、寧ろ、何の言葉をかけるまでもなく、以心伝心でお互いが言わんとする事を察し、行動に移せる相互関係は、正直にいってどの大学の主将―副将にも負ける気がしません。
残りリーグ戦も3試合となりました。今節勝利を手にすることができましたし、織茂の復帰も頼もしい限りです。しかし私達は、まだ何も手にしていません。インカレ出場へ向けて、4年間培ってきた自分達の絆を力に変え、次節国士舘大学戦の勝利を奪いたいと思います。

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