beacon

慶應義塾大ソッカー部主将戦記

このエントリーをはてなブックマークに追加

第二の手記

静岡の強豪各校、数限りない選択肢の中で、私は静岡高校(所謂、進学校)への進路を決めました。「家が近いから」と周りには冗談めかしていましたが、本心は「文武両道の強い志を持って取り組みたい」という想いにありました。一人Brazilに渡り激流に揉まれていく彼、その成長に追いつけるのか?自分に言い聞かせながら、サッカーも勉強も自分のやれること全部やって、「いつか見る“その高いところ”へ届いてみせるんだ」という志を持って、高校生活をスタートさせました。

高校の仲間は、皆本当に直向で、目標に向けて愚直に努力するタイプの学生が集まっている感覚がありました。朝早くから自主練に明け暮れる人、夜遅くまで予備校で机に向う人、夫々が取り組む姿には教わることが本当に多かったと振り返ります。
砥礪切磋(しれいせっさ)の環境にあって、サッカー部でも二年生の新人戦で、19年ぶりの静岡県大会3位となりました。また狩野健太選手ら、一つ上の世代に交ざって静岡県選抜にも選出していただきました。登録16名の選手ほぼ全員がJリーガーとなった世代に於いて、驥尾に付した形でしたが、本当に沢山の事を学びましたし、埼玉国体では“全国制覇”を達成すること迄出来ました。加えてSpain-Barcelona遠征や国際ユースカップでは、Argentine代表・Senegal代表やManchester-United・Espanolといった世界最高峰のNational-team/Club-teamと一戦交え、世界のレベルを肌で知る事ができました。

実り多き2年間でしたが、高校3年次は、二つの忘れられないゴールと共に涙を呑みました。
一つは、静岡県選抜として内田篤人選手や杉山力裕選手らと全国2連覇を懸けて臨んだ岡山国体での起死回生の同点弾です。1,2回戦を順調に勝ち進み迎えた優勝候補筆頭の千葉県選抜戦。1点ビハインド、残り僅かの局面で決めた自分自身のゴールは、僭越ながらサッカー王国の矜持とエースの自負・責任に打ち勝てた瞬間だったかなと振り返ります。
もう一つは、インハイ準々決勝で新人戦優勝校の静岡学園と対戦した時、県覇者静岡学園を沈黙させた先制ゴール。インターハイでほとんどの三年生が引退する静高にあって負ければ引退の一戦。全員一丸となり、怒涛の攻撃を展開。後半流れるようなパスからスライディングで決めた時は、王者の牙城に風穴を明けた瞬間でした。

しかしどちらも、“自分の全てを出し切った”上で、惜敗に終わってしまいました。



素敵な高校3年間でした。事実は小説よりも奇なるものであり、どれだけドラスティックに書いても伝わりきらない、本当に夢詰まったものでした。全国制覇をして、“世界”をも知りました。でも結局は、夢へ道半ば。勝利に届かなかった弱さがどこにあったのだと思いました。
18歳。15歳から3年間、どれだけ成長できたのでしょうか。ライバルには勝てたのでしょうか?

今、貴方はどうしていますか?月に一度のAir-mailには書き表さない、辛さや苦労があるんじゃないですか?俺たちの位置はどこですか?小6の時のマラソン大会みたいに、抜きつ抜かれつですか?もしかしてもう先をいっていますか?俺は、慶應義塾大学に進学します。もう一度足りなかった何かを探してみます。

TOP