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東欧のサムライ熱戦記 by 瀬戸貴幸

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悔しいからこそBestを
by 瀬戸貴幸

みなさんこんにちは、瀬戸貴幸です。現在は国内での一次キャンプを終え、二次キャンプでオーストリアに来ています。リーグ開幕の7月24日に向けてここで練習と試合を行い、調整していきます。今シーズンもレギュラーとして試合に出られるように頑張ります。

前回簡単な自己紹介をしましたので、今回は中学校時代の話をしたいと思います。名古屋FCに入ったのは小学校の5年生からでした。僕には2つ上の兄がいて、兄も名古屋FC(当時は名古屋GJ)に入っていたので、兄の影響で入りました。実は初めはセンターバックやスイーパー(リベロ)をやっていたんです(笑)。6年生からは中盤にポジションが変わり、その後、中学1,2,3年と中盤をやりました。中学の入学時の身長はわずか149センチで周りと比べるとかなり小さかったです。

周りが体が大きくなっていく中で、僕は身長が全く伸びず、フィジカル的に差が出てくると試合には出られなくなっていきました。足元の技術には自信がありましたがフィジカルコンタクトとなると体が小さいため、吹っ飛ばされてしまいます。なので、この頃はベンチで試合を見る日のほうが多かったです。試合に出られないときでもわずかな出場時間のために練習でアピールしたり、試合のアップで動いてアピールしたり……僕は自分を出すことが得意な人間ではないですが、自分なりに必死でアピールをしていました。気持ち的にはすごく悔しい気持ちでいっぱいでしたが、周りとの差はフィジカル面だとわかっていたので、今(体の小さい時期)できることをと思い、技術的な練習を必死でやっていました。練習で走りのメニューなんかがあると、周りは僕よりも遅く走ることを嫌っていたので、それはめちゃくちゃ悔しかったんですが、それでもそのときの自分のBestを尽くしていましたね。

中学3年になるとチームはクラブユース選手権や高円宮杯などに出場するようになり、僕はあんまり試合には出ていなかったけれど、いい経験ができました。僕らの代が名古屋FCの中学生の部で1期生となるので僕らの代で15人ほど、その下の中学1年、2年生が5人ほどがトップチームでした。僕のポジションでは2年生の子がレギュラーで出ていたんですけど、僕よりもフィジカルとスピードがある選手で、僕は補欠でした。でも、高円宮杯の準々決勝を広島でやったときに、僕は途中出場ですが試合に出る機会がありました。必死にボールを追って、自分のできることに全力を尽くしました。その試合では、交代で入ったときにキャプテンマークを渡されて数分だけキャプテンをつとめました。試合後にスタンドに挨拶に行ったときに、緊張して「”ありがとうございました」”と言うのもいっぱいいっぱいでした。中学生のときは周りのみんなが垢抜けていく中で、僕だけは“いもっこ”で(笑)それにシャイで全然しゃべれなかったので、そういう面で自分を変えていかないとと思っていました。
準々決勝を勝ち上がって、準決勝は清水エスパルスユースと対戦しました。結果は0-2で負けてしまい、全国ベスト4で中学時代を終えることになりました。この試合でも補欠でしたが、アップを命じられるといつか呼ばれるだろうと信じて最後の1秒まで必死にアップをしてアピールしました。結局試合には出られなくて悔しい思いをしましたが、そのときの経験はいい財産になりました。

中学生活が終わり、レギュラーメンバーが県内の名門、中京大中京や東邦、県外の四中工や青森山田に行く中、僕は県内の公立高校、熱田高校に行くことになりました。高校時代については、次回にお話ししたいと思います。

※本コラムは水曜頃更新予定です。感想や瀬戸選手への質問はこちらまでお寄せください。

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