beacon

東欧のサムライ熱戦記 by 瀬戸貴幸

このエントリーをはてなブックマークに追加

ブラジル行きの決断
by 瀬戸貴幸

みなさんこんにちは、瀬戸貴幸です。前回は高校時代の話をしたので今回は高校引退後からブラジル留学までの話をしたいと思います。

選手権が終わり、サッカー部を引退することになり、卒業後の進路を真剣に考え始めます。僕には2歳年上の兄がいて、兄は高校卒業後にブラジルにサッカー留学しました。その影響もあり、ブラジルに留学をすることになるんですが、他にも理由はありました。
高校卒業後もサッカーを続けていきたいということと、当時“大学サッカー”には興味がなかったことです。サッカー部の監督には『そんなに簡単なものじゃないぞ!』と言われ、少しは大学進学も考えました。2002年W杯前に静岡産業大学が日本代表と練習試合をしていたので、日本代表と試合ができる(=日本代表スタッフに見られる)という考えから大学に行くなら静岡産業大学に行こうだとか、それくらいの考えでした(実際は当時静岡で合宿をしていたのでたまたま静産大と練習試合をしただけでした)。

友達からはブラジルに行くだけで「すごい、すごい」と言われましたが、なにもすごくありません(笑)。ブラジルを選んだ理由はまずはサッカー大国ということと、高校時代に個人的に(相手に)コテンパンにやられたことがなかったので、ブラジル人にコテンパンにやられたいという思いがあったからです。自分の技術が何も通用しないようなサッカーに出会いたいと思っていました。
やっぱりブラジルに行こうと決意をしてからは、アルバイトとポルトガル語の勉強の日々。アルバイトを始めたのはブラジルまでの飛行機代を自分で払おうと思ったからです。ポルトガル語の勉強は授業中にこっそりとやっていました(笑)。ポルトガル語の勉強をしていたらクラスの女子に『ギャグかと思った』と言われたことも。女子は僕がブラジルに留学することをギャグだと思ってたみたいです(笑)。ちなみにポルトガル語は文法よりもまずは単語を覚えました。ボンジーア(こんにちは)などの挨拶から始まり、約半年間勉強しました。実際に行ったらパニクって全然しゃべれませんでしたが(笑)。

高校卒業前にサッカー部の監督に「お前みたいなやつはいくらでもいるぞ!一回Jのテストを受けて来い!」と言われ、雑誌の一般応募で横浜FCの試験を受けに行きました。試験は午前50人、午後50人で3日間行われ、約300人が全国から受けに来ていました。内容は4対2のパス回しと11対11のゲームが20~25分ほど行われました。正直な感想は「別にできるじゃん」だったのですが……そこでスタッフの目に留まるには何かズバ抜けたものがないとだめなんだと感じました。テストが終わり家に帰る新幹線の中で僕は「やっぱりブラジル!!」と思いました。

ブラジル留学に対して父は好きなようにしろと言ってくれました。母は「大学もいいんじゃない!?」と進学を勧めてきました。大学に行っておけばもしサッカー選手になれなかったときの保険ができるからという考えなんですが、兄が一年間留学して帰ってきて当時のジェフ市原などのテストを受けて、結局は受からなかったので僕に大学を勧めたんだと思います。これはあとでわかった話なんですが、高校のある会の食事の席でうちの母はサッカー部の監督に『息子を止めてください!』と言ってたみたいです。

出発したのは8月でちょうど夏休みだったので、高校時代の同級生が何人か見送りに来てくれました。
初めての海外で食事や言葉の違い、文化の違いに対しての不安よりはサッカーの楽しみのほうが大きかったので出発のときは笑顔でしたが、名古屋から東京へ向かう飛行機の中で親がくれた手紙を読んで一人号泣しました(笑)。東京からアメリカへ、そこからブラジルへ行くんですが、飛行機では爆睡であっという間にブラジルに着きました。

ブラジルでの話はあらためて書きたいと思います。僕がいるルーマニアのリーグもまもなく開幕です!

※本コラムは水曜頃更新予定です。コラムの感想やルーマニアでプレーする瀬戸選手への質問はこちらまでお寄せください。

本人公式ブログ(外部サイトに飛びます)

TOP