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東欧のサムライ熱戦記 by 瀬戸貴幸

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いざブラジル!!
by 瀬戸貴幸

みなさんこんにちは瀬戸貴幸です。前回は開幕したばかりということもあり、ルーマニアリーグについて話をしました。今回は話を戻し、ブラジル留学の話をしたいと思います。
ブラジルに到着して、迎えの人と会い、その人の自宅まで行きました。迎えてくれたのは、兄がブラジルに行っていたときと同じ代理人の奥さんです。その人の自宅には日本人が居て少し安心しました。僕が最初に行ったのはパラナ州のロンドリーナという街。この街にはサッカー留学で来ている選手たち以外にも一般人で住んでいる人たちがたくさん居ます。この街にあるアトレチコ・パラナエンセというクラブに兄は留学していたのですが、このクラブには何人かの日本人選手が留学していてポルトガル語の授業なんかもやっていたみたいです。僕はこのチームには行かずに、違う環境でやりたいという希望から日本を出る前からチームを探してもらっていて、サンタカタリーナ州のアヴァイというクラブにサッカー留学をすることに決めました。ブラジルに到着した夜にそのままアヴァイに向けて一人、夜行バスで出発したんですが、ポルトガル語も全くしゃべれず、本当に死ぬかと思いました(笑)。バスに乗って8~9時間かけてようやく着き、ディレクターの人と会いチームに合流しました。

このアヴァイというチームは、現在はブラジル1部リーグのチームですが、当時は2部でした。環境は思っていたほどよく、食事は兄からまずいと聞いていたんですが、フェジョン(豆料理)なんかも食べられました。ご飯はおいしくてすぐに気に入りました。一日で帰りたいとは思いませんでしたね(笑)。このチームには日本人は一人もいなかったので初めは少し心配でしたが、後から考えるとそれが逆に言葉を覚えたり、コミュニケーションを取るためにはよかったのかなと思います。

僕は寮ではなく、ルーカスとうGKと2人でアパートに住むことになりました。ルーカスは、夜は大学に行っていたので、僕は一人で留守番。まだ着いたばかりで時差ぼけがあり、ルーカスが帰ってくる前の21時には寝てしまい、内側から鍵をかけてしまって、ルーカスが夜中まで家に入れなかったのを覚えてます(笑)。
アヴァイには留学生として練習に参加していました。僕は当時18歳でブラジルでは18~20歳までがジュニオールという年代で、僕はそこで練習をしていました。初めの練習では、やっぱりジャポネーズ(日本人という意味でブラジルではサッカーが下手くそな人のことを言う意味)と言って馬鹿にされたり、ボールが回ってこなかったりするのかなと思っていたんですが、そんなこともなく、ボールもちゃんと回ってきたし、うまくチームに入っていけたことはよかったです。
1ヵ月くらいして、朝に食堂でご飯を食べていたら日本人が来たのでびっくりしました。兄の友達で長岡郷(ながおかごう)さんです。長岡さんは兄と一緒のチームに居て、そのあとアヴァイに来ました。そのあとポーランドのチームに行って、またアヴァイに戻ったみたいです。現在はラトビアリーグ1部のFC Daugavaというチームでプレーしています。郷さんは僕がブラジルに来る前に1年ほど居たのでポルトガル語もペラペラですごく助かりました。郷さんもルーカスと一緒に3人でアパートに住むことになり、夜は毎日2~3時間、郷さんにポルトガル語を教えてもらっていました。

アヴァイにいたのは、8月から12月と翌年の3月から8月まででこのチームに居た期間が一番長いのですごく愛着を感じていました。チームメイトに日系人が居たので週末はその友達の家に行って遊んだり、ご飯を食べたり、泊まったり、今でもその友達とは連絡を取ってますね。食堂のおじちゃんやおばちゃんもいつも“TAKA”と呼んでくれて仲良くしてくれていました。
一番印象に残ってる練習は砂浜でのフィジカルトレーニングでした。アヴァイは海の近くにあったのでよくこの練習はやってましたね。練習後はみんなで海に入るんですがそれがまた気持ちよかったんです。
アヴァイでの生活はこんな感じでした。

次回もブラジル留学の話をしたいと思います。

※本コラムは水曜頃更新予定です。コラムの感想やルーマニアでプレーする瀬戸選手への質問はこちらまでお寄せください。

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