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東欧のサムライ熱戦記 by 瀬戸貴幸

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ブラジル帰国後
by 瀬戸貴幸

みなさんこんにちは、瀬戸貴幸です。前回まではブラジル留学の話をしたので今回はその後の日本での生活の話をしたいと思います。

ブラジルに居たときの僕の考えは、ブラジルのジュニア年代の試合である程度活躍し、当時の日本人の代理人にJリーグのチームを紹介してもらい練習に参加するというものでした。しかしあまり目立った活躍もできず、帰国のときもばたばたしていたので、帰ってからは代理人とは連絡を取らず自分で何とかすることにしました。このときはJリーグのクラブに入る意識が強かったので、もう1回ブラジルに戻ろうなどとは考えていませんでした。ただあまり焦りのようなものはなく、正直まぁ大丈夫、なんとかなるだろう、ぐらいの考えでした。

まずは帰ってアルバイト先を探し、夜に体を動かす場所を探すことにしました。ブラジルに行く前にやっていたアルバイトをまた始め、朝9時から夕方17時まで働き、夜は19時や21時から練習できるチームに行きました。
その中のひとつが元セレッソ大阪のJリーガーの知人が働いていたフットサル場のフットサルチーム、愛知ニューウェーブスです。そのチームには当時、現Fリーガーなんかも居て愛知県では強豪でした。チームに高校のときの同級生も居たのですんなり溶け込めました。そのチームに入る前から友人にはサッカーがやりたいからフットサルは体を動かすためだけと言っておきました。それでも土日になると遠征で東京なんかに行ったりして、やっぱり熱は入ってましたね(笑)。このチームは元Jリーガーとか現Fリーガーが集まったチームで東京に行ったときの大会では現在のFリーグのバルドラール浦安にも勝ったんですよ。それくらいレベルは高く本当にいい環境だったと思います。
フットサル以外には草サッカーのチームに3チームほど通っていました。ひとつは東海リーグのチーム、もうひとつは愛知県リーグのチーム、最後は地元の先輩たちで作られた名古屋市リーグのチームでした。
週の大体のスケジュールは、月は東海リーグのチーム、火は愛知県リーグのチーム、水木はフットサルチーム、金は地元の市のチーム、土日はフットサルか地元のチームの試合に行っていました。毎日、何かしら体を動かしていましたね。
この地元のチームは高校の時からずっと行ってるチームで、今ではみんなおっさんで練習はやらず土日の試合だけやってるんですが、当時はみんなが都合のいい金曜日で仕事の終わる21時くらいから練習をやっていました。練習といっても集まってミニゲームをするだけなんですが、それがかなり真剣で、かなり面白かったんですよ。終わるのはいつも次の日の0時とか1時で近所の人がうるさくて眠れないからって苦情が来て警察によく止められていましたね(笑)。 
高校生のときも熱田高校は伝統の100本ダッシュというのを冬にやるんですが、それを走った後はもう筋肉痛で足が動かないんです。それでも練習後にその先輩から電話があって今日来いよ!って呼び出されるんです。僕はもう疲れたから行けない!って言うんですが、お前サッカー嫌いなの?って言われて、『好きにきまっとるがや』と思って結局はまたサッカーをやりに行って夜中までボールを蹴っていましたね(笑)
そうやって何チームも回ってコンディションを維持していたら右足を疲労骨折してしまったんですよ… その頃は『俺もうだめなのかな』と思ってしまいましたね。

その後の話は次回したいと思います。

※本コラムは水曜頃更新予定です。コラムの感想やルーマニアでプレーする瀬戸選手への質問はこちらまでお寄せください。

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