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東欧のサムライ熱戦記 by 瀬戸貴幸

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日本での日々
by 瀬戸貴幸

みなさんこんにちは。瀬戸貴幸です。
前回に続きブラジルから帰国後の日本での生活について話をしたいと思います。
運悪く足を骨折してしまい、次の日はフットサルのリーグ戦の重要な一戦だったのでチームメイトには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。その試合は松葉杖を持ってベンチから応援していました(笑)。後日、そのフットサルチームのトレーナーに1週間のメニューを組んでもらい、毎日地元のスポーツセンターに行ってそのメニューをこなしました。メニューは筋力的なトレーニングや体幹トレーニングだったんですが、そのスポーツセンターに通っていたおじちゃん、おばちゃんはびっくりしたと思いますよ。右足にギプスをつけた若者がバランスボールでトレーニングしてたり、自転車をこいだりしていたことは(笑)。そのときは怪我をしてサッカーができないことにストレスは溜まらなかったんです。逆にこの期間をいい準備期間と思いトレーニングに励みました。やっぱり、そうやってポジティブに考えることで物事はうまく進んでいくものだと僕は思います。アルバイトも一時は行けずに、家にいるか地元のスポーツセンターにいるかの毎日でした。それが約1ヵ月半から2ヵ月ほど続きました。

その後ギプスが取れてアルバイトにも復活したんですが、以前のように普通にはまだ歩けなかったんです。まずは普通に歩けるようになるまでに時間がかかり、それには少しイライラしました。俺の足どうなってんの?という感じで。
ギプスを取ったときには実際は骨がまだしっかりくっついてなかったのかもしれません(笑)。完治するまでには3ヵ月半から4ヵ月くらいかかったんですが、3ヵ月くらい経ったときには完治してないのにフットサルのリーグ戦に出てました。まぁそれくらいサッカーが好きということなんですが、今思うと全然プロフェッショナルではなかったですね(笑)。

東海リーグのチームと愛知県リーグのチームには行かなくなりました。フットサルと地元の先輩のチームで体を動かすことにしました。それから2~3ヵ月は特になにもなく、そんな自分に嫌気が差して、もうサッカーは止めて就職しようかと考えたんです。そう思ったのはこのまま続けていてもJへのツテもないし、このまま時間が過ぎるだけだと思ったんです。親からはもう一度大学に行ったら?とも言われましたが、大学は全く考えませんでした。そのときにある人からは「好きなこと以外はやっても続かないよ!」と言われたんです。僕の場合それはサッカーで、無理に就職しても続かないと思いなおし、またサッカーを続けようと思ったんです。ちょうどその頃に兄のところにブラジル時代の友人から電話があり、ルーマニアについての話がありました。そのときは本当にサッカーを止めなくてよかったと思いましたし、これはチャンスだと思いました。

その友人からは代理人を紹介してもらい、その代理人の紹介でルーマニアの2部や3部クラブのトライアウトを受けに行くという内容でした。その友人の人とも実際に会い、話を聞いたりしました。親にもお願いをしてこれはチャンスなので行かせてくださいと言いました。ブラジルの時と同様で母は行かせたくなさそうで、父は好きなようにしろという感じでした。もし自分の親がこういう親でなく断られていたら今の僕は居ないと思うんです。だから親には本当に感謝しています。それから兄の存在が大きく、ブラジル時代の友人と今も連絡を取っているんですが、そういうつながりがなかったら今僕はルーマニアでプレーしていないと思います。だからつながりというのは大事なんだと思いました。
こうしてルーマニアに出発することになりました。
次回は今、僕がプレーしているルーマニアでの話をしたいと思います。

※本コラムは水曜頃更新予定です。コラムの感想やルーマニアでプレーする瀬戸選手への質問はこちらまでお寄せください。

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