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ブラジルサッカー通信 by 藤原清美

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元代表SBシシーニョ、復活をかけて
by 藤原清美

 今月22日、ローマでプレーしていた右SBシシーニョ(32)が、ブラジル北東部のクラブ、スポルチ・ヘシフェに移籍した。

 シシーニョは2005年のサンパウロ時代、リベルタドーレス杯、クラブW杯の優勝に貢献、ブラジル代表としても、2006年のドイツW杯にカフーの控えとして参加し、2試合の出場も果たした選手だ。

 そのシシーニョが、スポルチ移籍の数日前、ブラジルで話題となっていた。サッカーのためではなく、アルコールが自らの経歴を妨げたことを、ブラジルのテレビインタビューで告白したことによる。

 一時はブラジルで「カフーの次世代を担う」と期待された彼だが、サンパウロからレアル・マドリーを経て、2007年にローマへ移籍し、レギュラーから外れた頃から、飲酒癖が始まった。シシーニョは「練習に行っても、試合に出られないと分かっていた。そのストレスで、家に帰れば友達を呼んで飲んだ。楽しく飲めば嗜好品である酒も、限度を超えれば、サッカーの喜びを奪うものになっていった。いったん飲み始めればビール3ケースは空けていた」と語った。

 その後、2010年に古巣サンパウロにレンタル移籍するが、「練習中も、夜、飲みに行くことしか考えていなかった。チームへの尊重に欠けていた」と語るとおり、目立った活躍はできずにローマ復帰。その後も2011年にビジャレアルにレンタル移籍するが、出場わずか6試合に終わるなど、その経歴は不安定なものになった。

 私がシシーニョとよく話し、インタビューしていたのは、セレソン時代の2005年、2006年だ。彼は20歳でアトレチコ・ミネイロとプロ契約したときも、プロになれたことで有頂天になり、毎晩飲み歩いて、コンディションを崩した経験がある。立ち直り、2004年にサンパウロに移籍した際には、プロでありながら、あえて選手寮に住むなど自分を律し、世界のトップクラスに上り詰めた。

 そんな過去を乗り越えてのセレソン到達だったので、当時は「右SBとして、ジョルジーニョに憧れて、ずっとそのプレーを見てきた。今は、カフーのあとに続きたい。彼をお手本として頑張らないと」と、本当に意欲に満ちていたし、いつも満面の笑顔だった。

 スポルチへの移籍会見で、シシーニョは神妙な表情をしていた。「妻のサポートがあって、僕は立ち直った。今、新たな人生を歩もうとしている。シシーニョが、サッカーをするためにヘシフェに来たんだということを見せたい」と語る彼は、あえて1年間の短期契約を結んだ。今後、最初の2か月のお試し期間を経て、クラブが望むならば、1年か2年、契約を延長するという形を、自ら望んだ。シシーニョ、32歳の再出発を応援したい。

[写真]2005年10月セレソン遠征のための機内のシシーニョ

※本コラムは不定期更新です。このコラムの感想をこちらまでお寄せください。

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