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ブラジルサッカー通信 by 藤原清美

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U-15鹿島アントラーズ、U-15日本ブラジル友好カップで3位入賞!
by 藤原清美

 毎年8月の「U-15日本ブラジル友好カップ」が今年もリオデジャネイロにあるCFZ(ジーコサッカーセンター)で開催された。U-15世代の重要性を強く唱えるジーコが主催するこの大会も、今年で第15回。この世代としてはブラジルでも最も規模が大きく、重要な公式大会で、準決勝からはテレビでも中継される。

 今年もブラジル全国からフラメンゴ、フルミネンセ、バスコ、ボタフォゴのリオ4大クラブをはじめ、サンパウロ州のコリンチャンスやサントス、ミナスジェライス州のアトレチコ・ミネイロやクルゼイロなど強豪が集った。その中に今年は日本から鹿島の下部組織であるアントラーズ、ノルテ、つくばと、Jリーグ選抜、市川トレセンの常連に加え、ジェフユナイテッド市原・千葉が初参戦。全27の参加チームが、熱戦の日々を過ごした。

 優勝したのは、強豪バスコ。しかし、今大会では歴史的な出来事が起こった。というのも、過去14年間、日本勢は一度も予選リーグを突破したことがなかったのだが、今年、鹿島アントラーズとJリーグ選抜の2チームが一挙に決勝トーナメント進出。アントラーズは何と3位を達成したのだ。

 ジーコはイラク代表監督として韓国合宿に旅立つ当日まで、日本勢の戦いぶりを見守っていた。そして、この過去最高の大躍進について「少年たちは日本にいるときから良い準備をしたことで、ここに来たとき、それを繰り返すことができたんだ。それに、今ではほぼすべてのJリーグのクラブが下部組織を持ち、選手たちは日本でも、かつてないほど大会に出場している。それによって、もっと意欲的に練習できるようになったことも成長の理由だ」と語っていた。

 日本にいるときからの準備。その詳細は、鹿島アントラーズの育成部長、高島雄大氏が答えてくれた。まず、日本でもこの大会を戦うチームで合宿を行ってきたこと。それに、例年より1日早く、開催地リオに入ったこと。これはジーコが毎年言い続けてきたことだ。いつもは開幕前日の朝にリオ入りし、午後に練習して、翌日の初戦を迎えてきた。それが今年は開幕2日前の午後に到着し、その日はゆっくりと休息にあてた。1日のことだが、これが非常に大きかったという。

 さらに、鹿島の場合は指導陣がこの大会の常連なので、審判のジャッジの仕方の違いなど、経験から得た知識を、事前に選手たちに浸透させた。

 鹿島の下部組織は海外遠征も多くこなしているので、外国人と対戦することに恐れがなかった。また、レベルの高い相手との対戦では、一瞬、集中力が途切れただけでも、そこを突かれて失点につながってしまう。そのため、アシスタントコーチはベンチから常に「集中しろ!」「自分たちで切れるな!」と、とにかくそこを徹底させるために、大事なところで大声をかけ続ける役割を担っていた。そして、メンタル面では、ジーコと共にプレーし、そのスピリットの継承者である賀谷英司監督の存在がとても大きい。

 高島氏は、こうした準備はすべてジーコが住友金属に来てからの成果だと言う。ジーコと一緒に仕事をしながら教わったことを、これまで確実に活かしてきたことで、こうして15年目の3位入賞が達成された。的確な指導をしたジーコと、それを長年に渡って継続してきた鹿島の勝利だった。

 ジーコは「この大会で重要なのは、日本とブラジルの少年たちの試合を通した交流だ。しかも、強豪が参加するこうした国際大会では、将来、頭角を現す選手も発掘される。この大会から多くの選手がブラジル代表や日本代表に到達してきたことは大きな成果だ。ここでの戦いは観察されているんだよ。将来、ビッグクラブや日本代表の偉大な選手になれるかどうかをね」と言っていたが、そのとおり、ブラジルの強豪クラブが興味を持った日本の選手たちも数人いた。

 今回の参加選手たちの心には、それぞれ達成感や悔しさ、いろいろあるだろう。すべてが貴重な経験で、大きな収穫だ。そして、だからこそ、ジーコからすべての少年たちへのメッセージ「頑張り続けること」が心に響く。

[写真]3位に到達し歓喜の鹿島アントラーズ

※本コラムは不定期更新です。このコラムの感想をこちらまでお寄せください。

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