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内田篤人@BLUES戦記

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「ドーハの悲劇って…憲剛さんも知らないよね?」
 
 15日にカタール入りした当初、報道陣はすべての選手に対し、15年前についての質問をぶつけていた。
 93年10月にあったW杯米国大会アジア最終予選。首位で迎えた最終戦でイラクと対戦した日本は、米国行きの切符をほぼ手にしたと思われた後半の終了間際に得点を決められ、初のW杯出場権を逃してしまった。

 今や伝説となっている悲劇の舞台でフル代表が戦うのは、そのとき以来だ。当時5歳の内田篤人が「オレは知らない」と苦笑いしている横を、仲のいい中村憲剛が通ったとき、内田はすかさず尋ねた。

「知ってるよ。だって泣いたもん。中学生だったからね」

 80年生まれ、内田より8歳上の中村憲剛は両手で顔を覆う真似をして、得意そうな笑みをうかべた。

 今回の代表メンバーは「ドーハの悲劇を覚えている」派と「ドーハを知らない子供たち」の2派に分かれており、そのボーダーにいるのが中村憲剛や玉田圭司だ。中村俊輔や川口能活、寺田周平はといった30歳以上の選手は、覚えている以上に、実体験としての悲しみがある。

 中村憲剛のリアクションに少々意外な顔をした内田だが「日本の歴史だから知っておかないといけない。でも、時代は流れてるよ」と言ってニコッとした。

「ドーハって、それよりもカタール国際で優勝したイメージのほうが強い。北京五輪予選でも来たけど(その試合は黒星)、高3のときに初めて来て優勝しているからね。優勝賞金が1000万円くらいあったらしくて、プロの選手はお金をもらったみたいだけど、オレは高校生だったからなし。スーツになったらしい」

 W杯予選という重圧のかかる舞台でも、内田は緊張するタイプではないと自己分析している。アウエーでの今回のカタール戦は、内田の役割で言えばカウンターへの対処が最重要課題の一つになる。

「最近の失点はみんなカウンターから。それはプロだからみんなわかっている。カウンターを受けたときはとにかく、相手をつぶそうと思う。嫌だな、とかそういう思いはない」

 攻守の切り替えを早くし、スピードで相手のコースを切る。ときにはファウルを犯す勇気・判断力も必要だろう。時代は流れている。内田の仕事は、ドーハを悲劇の地ではなく、歓喜の地にすることだ。

※本コラムは不定期更新です(内田招集時、日本代表W杯予選前後更新を予定)。ぜひ感想をこちらまでお寄せください。

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