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内田篤人@BLUES戦記

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 6月2日、日本代表は午前9時30分発の日本航空チャーター便で、成田空港から決戦の地、ウズベキスタンのタシケントに向かった。約9時間のフライトを終えて飛行機が到着したのは午後3時前。日本とはマイナス4時間の時差がある。

 入国審査前に、日本では滅多に見なくなった水銀体温計で体温を測り、報道陣も含めて全員が異常なし。荷物を持って外に出ると、気温は25度を超えており、汗ばむ陽気が岡田ジャパンを迎えた。

 ところが夕方には急激に涼しくなってきた。日本代表にあてがわれた練習会場は、昨季ジーコが監督を務め、今もリバウドが所属しているブニョドコルのホームスタジアム「JAR(ジャー)スタジアム」。練習が始まったのは、陽が傾いてきた午後6時45分で、そのころには気温が20度くらいに下がり、約1時間の練習を終えたころにはさらに2,3度下がって、ジャンパーなどの上着なしではいられないほどに冷えていた。

 「飛行機ではほとんど寝ていた。空港に着いたのが早かったから、持っていたマンガを全部読んでしまっていたし。着いたら体温測ったけど……意味あるんですかね? 気候は意外に涼しい。暑いよりはいいよね」

 キリンカップのチリ戦を”蓄積疲労緩和”のために回避した内田は、ベルギー戦で90分間フル出場。これにて、国際Aマッチ通算20試合出場となった。21歳64日での20キャップ到達は、中田英寿の21歳69日を超える史上最速の達成だ。

 「特別に何か感じたというのはない。通過点? そうですね。変にみんなに良かったねとか言われるより、別に何も言われずに良かったですよ」

 すかして言っているわけではない。内田の言葉は率直な感想だろうし、ずっと見ている報道陣から見ても「特別な区切り」という意味合いは見あたらない。昨年1月、岡田ジャパンの発足と同時に先発メンバーに抜擢されてから1年半。脇目もそらずに右サイドを疾走してきた流れの中で生まれた数字だ。

 けれども、清流がごとき1年半を過ごしてきたわけではないことは、内田の体が物語っていた。「心拍数が下がらない」と打ち明けたベルギー戦前に続き、タシケントで口にしたこともまた、くぐってきた荒波の大きさ、深さを感じさせるものだった。

 「ここ2カ月は、まじキツかった。吐いたこともしょっちゅう。ACLで吐いたとき(4月23日、シンガポール・アームドフォース戦)が最初じゃなくて、実はその前から何度もあった。10歩あるけば吐くくらいな感じで、試合が始まって3分で吐き気が来たこともある。もう治ったから言うけどね」

 ただ、うれしいことに体重は増えている。正月以降で4キロくらい増えたとのことで、今は66、67キロだそうだ。「まだ若いから成長するんだよ」と笑顔混じりに言うが、吐き気との戦いは、大人の体へとアップグレードしていくための関門だったのかもしれない。

 鹿島では体調不良が続いていた5月2日の千葉戦でベンチからも外れ、休養に努めたことがある。内田いわく、「オリヴェイラ監督が”代表もあるけん”ということで、フル出場しなかったり、配慮してもらった」。クラブも”日本代表・内田”をしっかりサポートしているのだ。
 
 フル出場したベルギー戦は「鹿島も含めて最近は90分ということがあまりなかったからね」と振り返ったように、試合の中ではボールタッチでのミスも目立ち、シュートまでいくこともなく、試合終了後は座り込んでかなり疲れた様子を見せていた。

 「気持ちの盛り上がりは……もう少し、試合当日になってからかな。オレはいつもそうだけどね」

 様々な人に支えられて今がある。内田は今、そのことを実感しているはずだ。当面の目標であるワールドカップ出場権獲得まで、あと一歩。

※本コラムは不定期更新です(内田招集時、日本代表W杯予選前後更新を予定)。ぜひ感想をこちらまでお寄せください。

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