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内田篤人@BLUES戦記

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「オカちゃんが喜んでいた。(本田圭佑から)横パスが来たとき、緊張したって言っていたよ。俺も嬉しかったね」
 6月24日にデンマークを3-1で下し、決勝トーナメント進出を決めた岡田ジャパンは、翌25日にベースキャンプ地のジョージに戻った。
 岡崎とはこの一年余り、遠征先でともに過ごすことが多かった。北京五輪からのチームメートであり、ワールドカップアジア予選ではともにレギュラーとしてプレーし、岡田ジャパンにワールドカップ出場権をもたらす原動力となった。
 だが、今大会は二人とも先発落ちした。二人の間にどんな会話があったのか分からないが、シンパシーが流れていたのは間違いないはずだ。
 悔しさを押し殺して日々の練習に励んでいた仲間が、デンマーク戦で初ゴールを決めた。それが素直にうれしかった。
「オカちゃんとは宿舎の敷地がすごい広いので、15分くらい自転車で走ったりしたよ。気持ちよかったなぁ。
もちろん、チームが勝ったこともうれしかったですよ。自分が(試合に)いられたらもっとうれしかったけど、悔しくはなかった。喜びのほうが大きかったです」

 そして、29日。日本はパラグアイにPK戦の末に惜敗した。史上初のベスト8入りは逃したが、堂々たる戦いぶりと、敗戦の後に互いに肩を抱き合う選手たちの姿は、日本全国に感動を巻き起こした。
 だが、忘れてはならない。
 南アのピッチに立てなかった5人の選手がいたことを。
 4試合、出場ゼロ。
 内田は、ふっきれたかのような、さばさばした口調で言った。
「ベスト16で日韓大会の時と同じ(成績)なので、もうひとつ上に行きたかったですね。僕は幸せなことにまだ22歳。年齢的にはまだチャンスはあると思います。遠藤さんも4年前のことがあった。ここからは自分次第。頑張り次第だと思います」

 7月1日に帰国した後、さまざまな準備をし、中旬にドイツに渡る予定だ。
 すでにドイツ語の勉強も始めた。
「ちょいちょいやっていますよ。高校のとき以来で久し振りだから、勉強が面白い。今思うと高校時代ももっと勉強すれば良かったかな。なんであそこまで体力回復に努めていたのか(笑)」
 ボルフスブルク監督時代のマガトに鍛えられた長谷部からも情報を得ている。
「聞きますよ、いろいろ。大丈夫じゃないの、と言われます。そういうところに飛びこんだ方がいいんじゃないですか。サッカーは10年できるかできないかだし、一回くらい行くのもいいと思う。仕事で海外に務めるようなものだし。他の人ほどは海外に執着心はないですけどね」
 内田は知っている。これから先は、すべて自分次第であるということを。シャルケで鍛え、4年後のブラジル大会では必ずピッチに立つ。誓いを心に刻んだワールドカップが終わった。

<写真>パラグアイ戦後の内田。ピッチに出ることはなかったが、このチームで体験した苦楽を忘れることはない

※本大会出場とはなりませんでしたがW杯というひとつの区切りを終え、内田選手は新天地へと活躍の場を移します。
内田選手の日本代表での活躍を追うべく08年9月にスタートした本企画も今回が最終回です。長らくご愛読ありがとうございました。
「内田篤人@BLUES戦記」の感想や長期にわたって執筆いただいたライター矢内由美子氏へのメッセージなど、ぜひこちらまでお寄せください。(ゲキサカ編集部)

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