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素顔のなでしこたち

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 スマートフォン対応の電子サッカー雑誌「ゲキサカプラス」で好評連載中の『素顔のなでしこたち』。日本女子代表(なでしこジャパン)の主力選手のインタビュー記事と撮りおろし写真を掲載したスペシャルコンテンツの一部をゲキサカでも特別公開します。
 女子W杯制覇、ロンドン五輪アジア最終予選突破。国民栄誉賞も受賞し、「なでしこジャパン」が流行語大賞に選ばれるなど、2011年の“顔”となった彼女たちの素顔に迫るロングインタビュー。第4弾は、INAC神戸レオネッサのDF近賀ゆかり選手です。
 なお、電子サッカー雑誌「ゲキサカプラス」はiPad、iPhone、iPod touch、ソフトバンク3G携帯、ソフトバンクアンドロイド携帯に対応。アプリ「ビューン」にて閲覧可能です。ゲキサカプラスでしかご覧いただけない写真も多数掲載されていますので、是非そちらでもお楽しみください。


―INAC神戸に移籍してきて1年目でなでしこリーグを優勝しました。日テレ・ベレーゼ時代にも何度も優勝していますが、また違う喜びがありましたか?
「これだけ女子サッカーが注目された中で優勝できたということで、また違う価値があったのかなと感じる部分もあります。ちょっと感覚は違うかもしれないですね」

―開幕から連戦連勝でした。新しいチームにはすぐに溶け込めましたか?
「どれぐらいで馴染めるのかなという不安もありましたけど、もともとINACにいた選手が温かく迎えてくれました。監督が(2010年7月まで日テレ・ベレーザの監督を務めていた)星川(敬)さんということもあって、そんなにやりづらさを感じることなく、チームに合流できたと思います。そういう面ではチームのみんなに感謝しています。
 でも、結果は無敗でしたけど、全然順調に優勝したとは思っていません。むしろ最後の方は苦戦して、ドローが続いてしまうこともありましたし、(10月30日の)レッズ戦も負けそうだった試合をぎりぎりで返しました(0-1から後半44分に澤穂希のゴールで引き分けに持ち込んだ)。周りで言われているほど簡単に取れた優勝ではなかったなと感じています」

―10月1日の新潟戦に引き分けて開幕からの連勝が止まりました。
「自分たち主導でボールを動かせないゲームは試合展開も難しくなりますし、動かせていてもなかなか点を取れずにDF陣が我慢し切れないで失点してしまることもありました。ちょっとガタついた時期になかなか戻せないという現状はあったかなと思います」

―どうやって解決していこうと思ったんですか?
「そういう中でも結果として負けなかったのは、チームとして大きかったと思います。攻撃陣が無得点で終わった試合はシーズンを通して1試合もなかったですし、点を取ってくれるというのは信じていました。攻撃陣の個人の能力を見ても、先に点を取られても必ず取り返してくれるというのは感じていたので、DFとしてはどれだけ我慢できるか、どれだけ前にスムーズにパスを送れるか。そこがこのチームにとってすごく大事だったと思います」

―苦しみながらも無敗で優勝できたことが逆に自信になりましたか?
「本当だったら全勝優勝というのが一番良かったと思いますけど、苦しんで、苦戦しながら勝ったということにもすごく価値があったと思います」

―守備としては16試合で8失点。2試合に1失点の計算ですが?
「後半戦は失点がかさんでしまったので、DFとしてはちょっと悔しい思いが残っていますし、もうちょっと減らせる部分は絶対にあったと思います。前半戦の失点が少なかったのは、前からの切り替えの速さや全体の守備の意識という面で、前の選手に助けられていた部分もありました。守備も攻撃も前線の選手に助けられていたので、後ろとしてはもうちょっとどっしり構えたいというか、『後ろがいれば安心して攻撃にいける』と思ってもらえるぐらいにならないといけないと思っています。個人としても、4バックとGKを含めた守備陣としても、足りない部分や課題が多かったと感じています」

―シーズン8失点でも多い?
「そうですね。最後にかさんでしまったということもあって、ちょっと納得いかないですね」

 新天地での1年目は、なでしこリーグ制覇というこれ以上ない結果で実を結んだ。しかし、シーズン中の厳しい戦いだけでなく、シーズンを迎えるにあたっても不安は拭えなかった。澤、大野忍、南山千明、そして近賀。日テレ・ベレーザから一気に4選手がINAC神戸に加入するという激動のオフは、『絶対に優勝しなければならない』というプレッシャーになって跳ね返ってきた。

―大きなプレッシャーと戦うシーズンだったと思いますが?
「移籍という部分で『新しいチームがどういうチームなのか』『どうなるのかな』という未知数の部分もありましたが、ベレーゼのときと変わらずに『優勝はしなきゃいけないものだ』という思いをずっと持ってやっていました。優勝できて、ホッとしている部分と、よかったといううれしい気持ちと半々ですね」

―ベレーザから4人が加入しました。4人ではどんな話をしていましたか?
「優勝に対する気持ちの面で、もともとINACにいる若い選手にもう少し意識してもらいたいという話はしていました。南山や自分はベレーザ時代に働きながらサッカーをするという経験をしていましたが、INACには働くことを経験していない選手もいます。
(編集部注:INAC神戸レオネッサはプロクラブに近い体制を取っており、選手は関連会社の社員だが、基本的に選手は社業に就かず、サッカーに専念できる環境にある)
 それがいいのか、悪いのかは分からないですけど、確実に他のチームよりは環境がいいので、普通に考えればそういうチームが優勝するのが当たり前だと思います。私がベレーザにいたころもそうでしたが、そういう環境にいる選手たちには負けたくないという思いを他のチームは絶対に持っているはずです。義務感じゃないですけど、『自分たちはいい環境でやっているんだから勝たないといけない』という意識が少し薄いのかなというのは感じていました。そういうことは自分たちが伝えていかないといけないと思っていましたし、実際に4人で何回かそういう話もしました」

―シーズンを戦っていく中で、周りの選手たちも変わっていった手応えはありましたか?
「どうですかね。今はまだ分からないです」

―そんな中でも先ほど「温かく迎えられた」とおっしゃっていましたが?
「チームに合流する日は『やっぱり嫌がられるんじゃないかな』ってみんなで話していました。『なかなか溶け込めないんじゃないかな』という不安もありました。でも、実際はそんなこともなくて。外から見たINACの印象だと、サッカーに対してそんなに熱い感じがしなかったんですが、中に入ってみたら、みんなサッカーに対して一生懸命ですし、そこはいい意味で意外でもあって、本当に助かりましたね」

―すぐに不安はなくなりましたか?
「みんなで真剣にサッカーの話をすることもありましたし、若い選手がサッカーのことを聞きに来てくれることもありました。ビックリしましたけど、そういうのはすごくいいことだなと思っていたので、自分も話せることは話したいと思いましたね」

 右SBという守備的なポジションでありながら積極的なオーバーラップからの攻撃力が魅力の近賀。2003年の日テレ・ベレーザ入団時も、2005年の代表デビューのときも、ポジションはサイドハーフなどの攻撃的なポジションだった。SBにコンバートされたのは2007年。当時のなでしこジャパン、大橋浩司元監督の抜擢が、彼女の潜在能力をさらに引き出すこととなった。

―なでしこリーグの優勝が決まったASエルフェン狭山戦で先制点。これが移籍後初ゴールでした。
「ずっとゴールを取っていなかったので、残り試合も少なくなって『今年はもうゼロで終わるのかな』『まずいな』と思っていました。点が取れたことはよかったですけど、アシストがゼロだったので……。個人的にはそっちの方が悔しいですね」

―SBでもゴールやアシストへのこだわりを強く持っているんですね。
「自分はそこが求められていると思いますし、自分の中でも大きなポイントにしている部分です。得点に絡む部分はもっともっと増やしていきたいですし、増やしていかないといけないと思っています。優勝しましたけど、個人としてはすごく課題も残ってしまったので、それを次につなげたいと思っています」

―2003年に日テレ・ベレーザに入団したときはサイドハーフでした。もともと攻撃が好きなタイプでしたか?
「好きですね。守備はそんなにうまくないので、いつもCBを組む人に迷惑をかけています。代表では岩清水(梓)選手に迷惑をかけていますし、チームでは甲斐(潤子)選手にもカバーしてもらっています。守備はもうちょいしっかりしなきゃという感じですね(笑)」

―SBにコンバートされたときはどう思いましたか?
「ビックリしました。自分がDFをやるなんて思ってもいなかったので。代表の大橋監督が、当時のベレーザの松田(岳夫)監督に『次の代表合宿に近賀をSBで呼びたい』と言ったみたいで、松田さんから『次、SBで呼ぶらしいけど、どうだ?』と聞かれたことを今でも覚えています」

―やっぱり守備に不安があったんですか?
「守備はできないですけど、当時は代表に呼ばれたり呼ばれなかったりという時期でした。そういうところでチャンスがあるなら、自分の特長を出しながら、新しい部分にチャレンジしたいと思いましたね」

―SBにコンバートされるにあたって自分の中で変えた部分はありましたか?
「特に変えたことはないと思います。サイドハーフでやっていた動きを一つ後ろでやろうと。守備の面では違う部分がたくさんありましたが、代表だったらイソさん(池田浩美、旧姓磯崎)がCBをやっていて、ゴミさん(加藤與恵)がボランチにいて、隣と前がそういう選手に囲まれていました。自分の特長を出しやすかったというか、2人からも『積極的にやっていいよ』と言われていたので、そういう中でプレーさせてもらえて、自分にとってはすごくいい“SBデビュー”だったと思います」

―いろんなアドバイスも受けたんですか?
「守備の面ではいろいろな話をしてもらいましたし、攻撃の部分では『どんどん出て行っていいよ。あとはカバーするから』と言ってもらえたので、そこは本当に助かりました。今でも感謝しています」

(取材・文 西山紘平)

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