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素顔のなでしこたち

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 スマートフォン対応の電子サッカー雑誌「ゲキサカプラス」で好評連載中の『素顔のなでしこたち』。日本女子代表(なでしこジャパン)の主力選手のインタビュー記事と撮りおろし写真を掲載したスペシャルコンテンツの一部をゲキサカでも特別公開します。
 女子W杯制覇、ロンドン五輪アジア最終予選突破。国民栄誉賞も受賞し、「なでしこジャパン」が流行語大賞に選ばれるなど、2011年の“顔”となった彼女たちの素顔に迫るロングインタビュー。第8弾は、2012年よりスペランツァF.C.大阪高槻に移籍したFW丸山桂里奈選手です。
 なお、電子サッカー雑誌「ゲキサカプラス」はiPad、iPhone、iPod touch、ソフトバンク3G携帯、ソフトバンクアンドロイド携帯に対応。アプリ「ビューン」にて閲覧可能です。ゲキサカプラスでしかご覧いただけない写真も多数掲載されていますので、是非そちらでもお楽しみください。


 まさに電撃移籍だった。2012年2月16日、ジェフユナイテッド千葉レディースは丸山桂里奈が今季からなでしこリーグに昇格するスペランツァF.C.大阪高槻へ移籍することを発表した。2011年9月のロンドン五輪アジア最終予選・中国戦で右膝前十字靭帯を損傷し、全治6か月の診断を受けた丸山。負傷も癒え切らない中、ロンドン五輪イヤーに新天地を求めた理由は何だったのか?

―高槻に移籍しようと思った決め手は何だったんですか?
「今まではずっと強いチームや上手いチームでやりたいと思っていました。自分はFWなので、そういうチームでいいボールが来て、自分がゴールを決めるということがアピールにつながると思っていたんです。でも、いろんなチームと話をして、ジェフとも話をして、自分を一番必要としてくれていたのが高槻でした。最初から声をかけてくれていたのが高槻と言ったほうがいいかもしれないですね。最初は(高槻に移籍しようとは)考えていなかったんですけど、自分を一番必要としてくれているのが伝わってきて、その中で自分も高槻を必要とする部分を感じて。これからのチームだし、一緒にチームづくりをしていくということに魅力を感じました」

―移籍を考え出したのはいつなんですか?
「移籍に関してはずっと考えていて、W杯が終わったあとくらいからはずっと考えていました」

―何をきっかけに移籍を意識するようになったんですか?
「W杯で優勝して、世界で一番になって、もっと高いレベルでやりたいというのをまずは考え始めました。ケガをしないで移籍できればよかったですけど、私の場合はケガをしてしまったので。ケガをしてからの移籍はすごく難しいし、ロンドン五輪も近いので、ジェフに残ることも考えたんですが……」

―プロ契約を希望して移籍に至ったという報道もありましたが?
「実際のところ、最初はプロでやろうということは考えていませんでした。お金がなくてもいいからサッカーをしたいという話をしていて、プロにこだわってはいなかったんです。高槻と話をしていて、必要とされているチームに行きたいと思ったし、その中であとからプロ契約という話が付いてきた感じでした。だから高槻がプロじゃなくても、私は高槻に行ったと思います」

―高槻に移籍するうえで不安はなかったですか?
「これからのチームだし、2部から上がってきたばかりなので、チームも決して強いわけではないですけど、その中でもみんな志は高く持っています。関西と言えばINAC(神戸レオネッサ)ですけど、すぐには勝てないかもしれないけど、何年かしたらINACともしっかり戦えるようにしようとチームとして考えています。そういう気持ちの面で自分も高いモチベーションで入れると思いましたし、高槻が自分にピッタリだなと思いました」

―高槻でどんな役割を果たしていきたいですか?
「今は代表の中でも年齢は上ですし、代表で経験してきたことを高槻の人たちに伝えて、引っ張っていけたらなと思ってます。私はFWなので、得点というのが結果につながったり、評価につながると思うし、高槻で得点するということに意味があるのかなと思っています」

―移籍を決める前になでしこジャパンの選手に相談することはありましたか?
「初めは澤さん(澤穂希)に相談しましたし、ケガをしているということですごく心配してくれて、メールも頻繁にくれていました。高槻に移籍することが発表される前も『絶対にだれにも言うな』と言われていたんですが、私が『澤さんには言いたいので、澤さんにだけは言ってもいいですか?』と事務所の人にお願いをして、『いいよ』と言ってもらえたので、澤さんには言いました。澤さんは『関西に来るならINACでしょ』と言ってましたけど(笑)。でも今はケガをしてるし、『早くケガを治して一緒にサッカーをしようね』という感じで。あとは『(家が)近くなるから早くご飯食べに行こうね』という感じですかね」

―佐々木則夫監督には?
「移籍を前提で動いていることは早くに伝えていたんですが、どこのチームに行くかは言ってなかったので、あとからメールで連絡しました。でもやっぱりノリさん(佐々木監督)は私が決めることに対して賛成してくれるというか、すべて自分次第だし、自分が思った道を行くべきだというのはいつも会ったときに言ってくれてます。私の場合、サッカーの技術というより、ケガをしているので、そのケガの治り具合やコンディションさえよければいいということは言ってくれているので」

―五輪イヤーに移籍することに不安はなかったですか?
「いろんなことを我慢してジェフに残ることの方が、ロンドンを考えたときによくないと思いました。私の気持ちを周りの人は知らないから『なんでわざわざ違うチームに行くんだ』と思ったと思うんですけど、ジェフでやるよりも他のチームでやることの方が、私はロンドンに近いと思ったんです」

―慣れない土地への不安は?
「高槻に幼なじみが住んでるんですよね。そういうのも後押しになりましたけど、本当にゆかりのない土地で、試合で行ったことがあるくらいなので。まさか関西に住むとは思っていませんでした(笑)」

 2011年7月に行われたドイツW杯で世界一に輝いたなでしこジャパン。9月にはロンドン五輪アジア最終予選を戦い、無敗で予選突破を決めたが、中国との最終戦に途中出場した丸山は右膝前十字靭帯損傷の重傷を負い、手術を受けた。東京・国立スポーツ科学センター(JISS)でリハビリの毎日を送った。

―リハビリ中には佐々木監督がお見舞いに来てくれたそうですね?
「ノリさんはケガをしたときも『お前だったら大丈夫だよ』という感じだったので。チームメイトも同じで、結構みんな軽い感じでした。重い空気は見せないというのもありましたね。ノリさんはわざわざディズニーランドでダッフィーのぬいぐるみを買ってきてくれて」

―魔法で治るように魔法使いのダッフィーをくれたんですよね?
「女心をつかんでますよね。かっこいいなと思いましたよ。好きにはならないけど(笑)。すごいステキだなと思ったし、やっぱりこういう監督だからみんな付いていくんだなと思いましたね。アテネ五輪のときの監督の上田栄治さんが私をA代表に選んでくれたので、上田さん以上の監督はいないと思ってたんですけど。ノリさんが上田さん以上かと言われたら、そこは両方好きなので(笑)。それくらい信頼していて、ノリさんはなんでも自分が思ったことを伝えられる監督だなと思います」

―佐々木監督のためにもロンドン五輪で優勝したいという気持ちが強いですか?
「北京五輪で負けて、4位に終わって、そこから優勝を目指していこうというのは北京のメンバーでずっと話していました。ロンドンで結果を残したいという気持ちは強いですし、ノリさんと一緒にサッカーをして、ノリさんのためにも勝ちたいというのはありますね」

 ドイツW杯を戦ったなでしこジャパンにおいて、丸山は年齢では上から3番目。ベテラン選手ながら“いじられキャラ”として、チームを盛り立てた。現在のなでしこジャパンは上下関係が厳しくなく、仲の良さが取り柄。その団結力こそが世界一の原動力だった。しかし、かつての日本女子代表には絶対的な縦関係があったのだという。

―学生時代に初めて入ったときの代表チームと今のチームでは違いますか?
「超厳しかったですよ。私が若かったときはゲンコツで殴られたりもしていたので。私にも非はあるんですよ。ちゃんとしてなかったので(笑)。でも、本当に先輩は怖かったし、ユースのときから代表は怖いものだと思わされていましたね。プレーも委縮しちゃうくらいで、自分のプレーを出せなくて。上の人たちがいたから自分たちもしっかりしたし、その人たちが積み重ねてきたことがW杯の優勝にもつながったと思うので、全然それでいいんですけど。今の時代で自分も若かったら、もっとよかったなとは思いますよね(笑)」

―変わったきっかけは何だったんですか?
「上の人が抜けたからとか? うそうそ(笑)。若手の人たちも同じように話せるようになったからじゃないですかね。若手の意見を取り入れたり、本当に仲がいいんですよ。澤さんがすごい選手だからといって、年下の選手としゃべらなかったら、チームはまとまらないじゃないですか。でも、澤さんはすごいけど、フランクに話すし、天然だし(笑)。そういうのがあるからチームもまとまるのかなと思いますね」

―どちらの代表が好きですか?
「優勝したし、チームとしてまとまっているから今の代表は大好きですけど、私が最初に入ったときの代表もよかったですよ。そのときそのときのものですし、比べられないですけど、それぞれにいい部分があったと思います」

(取材・文 片岡涼)

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