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素顔のなでしこたち

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 スマートフォン対応の電子サッカー雑誌「ゲキサカプラス」で好評連載中の『素顔のなでしこたち』。日本女子代表(なでしこジャパン)の主力選手のインタビュー記事と撮りおろし写真を掲載したスペシャルコンテンツの一部をゲキサカでも特別公開します。
 女子W杯制覇、ロンドン五輪アジア最終予選突破。国民栄誉賞も受賞し、「なでしこジャパン」が流行語大賞に選ばれるなど、2011年の“顔”となった彼女たちの素顔に迫るロングインタビュー。第8弾は、2012年よりスペランツァF.C.大阪高槻に移籍したFW丸山桂里奈選手です。
 なお、電子サッカー雑誌「ゲキサカプラス」はiPad、iPhone、iPod touch、ソフトバンク3G携帯、ソフトバンクアンドロイド携帯に対応。アプリ「ビューン」にて閲覧可能です。ゲキサカプラスでしかご覧いただけない写真も多数掲載されていますので、是非そちらでもお楽しみください。


 中学時代は読売・メニーナに所属。高校進学に伴い、ベレーザに昇格することもできたが、あえて高校サッカーへの道を選んだ。日本体育大卒業時もベレーザ入団が決まりかけていたが、一転してYKKから移管したばかりの東京電力女子サッカー部マリーゼ入りを決めた。丸山の選ぶ先は常に“イバラの道”であり、高みを目指すうえでは遠回りにも見える。しかし、常に挑戦者でありたいという信念が彼女を動かし、不思議と代表への道につながっている。

―メニーナから村田女子高へ進学したのはどういう理由だったんですか?
「ベレーザに上がれたんですけど、自分が高校サッカーがいいなと思ったんです。メニーナから高校に行った人にもいろいろ話を聞いて、高校サッカーっていいなと思って。それに、あんまり上手くはないけど、そういう高校サッカーを強くしたいという気持ちもありました。いつもそういう感じなんです。マリーゼに入ったときも、本当はベレーザに行く予定だったんですが、それをやめてマリーゼに行ったので。YKKが移管してきてマリーゼになるというタイミングで、だからそのときもすごく弱かったけど、新しいチームになるから強くしたいという気持ちが出てきて。自分にはそういうのが合っているというか、信念みたいなものなんですかね」

―決断力があるんですね。
「買い物でもなんでも即決なので。試着とかしないですから。『これがいいから、これ!』みたいな感じで(笑)。新しいものも好きですね。新発売とかにも敏感ですよ。コンビニでも、すぐに見つけて買うみたいな。そういうのにはすごい敏感です(笑)」

 マリーゼに入団した2005年、リーグ戦で8得点を決めた丸山は新人王にも選ばれた。しかし、2007年にグロインペイン症候群を発症。同年の女子W杯出場を逃す。2008年に行われた北京五輪では代表に復帰したが、2009年にはグロインペイン症候群の再発に加え、坐骨神経痛を併発。するとリハビリのために福島を離れる時間が増え、チームとの間に溝が生まれていった。結局、丸山はチームメイトへ挨拶することもできず、マリーゼを退団した。所属チームを失い、ただ黙々とリハビリをこなす丸山のもとに突如、アメリカ移籍の話が持ち上がる。26歳でトライアウトを受け、合格。アメリカでの挑戦が始まるが、言語の問題もあり、5か月間でわずか4試合の出場に終わり、失意の帰国となった。

―多くの挫折を乗り越えてきた丸山選手ですが、特にマリーゼでのリハビリ時代は苦しかったのではないですか?
「当時はJISSに通っていて、そこでリハビリをしている他のアスリートの人に支えられたというのもありました。両親もそうだし、いつも応援してくれているファンの人たちの言葉というのが私にとっては大きいので。それがあったおかげで、くじけなかったと思います」

―今振り返って、アメリカへ行ったことは間違いじゃなかったと思いますか?
「行く前と行ったあとのギャップが激しくて、『こんなはずじゃなかった』というのは毎日思っていました。自分より上手くない人が試合に出ていて、すごく悔しかったというのもありましたし、どうしたら試合に出られるのか、ずっと考えてました。その中でも自分は一生懸命練習して、コミュニケーションも頑張って取ろうと思っていたけど、結果が出なくて。それは自分の中に挫折として残っていることですが、それがあったから一回りも二回りも成長できたと思うし、精神的に強くなれたのはアメリカに行ったからだなと思います」

―今までで一番の挫折は何ですか?
「マリーゼをやめて、アメリカに行って挫折して。そこですかね。マリーゼをやめたときも、私の思ったとおりにやめられなくて、誤解とかもありました。事実じゃないことが噂で回ったりもしました。私ってそういう噂を立てられやすいんですよね。初めて会った人に『噂と全然違うよね』と言われることも多いので(笑)。なんでそんなに言われるのか分からないですけど、逆にそれだけ注目されてるのかなと思うようにしています。でも、アメリカに行って、ここで見返せるチャンスが来たのに、結局アメリカでもダメで。プライドみたいものは、そこで崩れましたよね」

 アメリカから帰国した丸山はジェフユナイテッド千葉レディースに入団する。そこでは苦しい走り込みの日々が待っていた。プライドを捨て、ただひたすらに練習に取り組んだ。すると、佐々木則夫監督が視察した練習試合でのプレーが代表復帰につながる。ドイツW杯イヤーの2011年5月、アメリカ遠征を行うなでしこジャパンに招集されると、アメリカ戦の後半18分から途中出場。わずか30分ほどの出場時間でゴールを決められず、試合も0-2で敗れたが、そこでの動きが評価され、ドイツW杯メンバーに選ばれた。

―佐々木監督がジェフでの練習試合を見て、代表復帰につながったということですが?
「その練習試合を見て選んだと言ってますけど、その前からちょくちょく見に来てくれていました。状況や状態を確認してくれていたので、そういうのもあったから頑張れました」

―代表選出は意外でしたか?
「そんなこともなかったですね。ずっと調子は良かったですし、アメリカ戦の30分も『ここでインパクトを残すプレーをしないと』という気持ちがあったので、自分が持っているものは全部出せたと思うんです。得点には絡んでないですし、点も取れなくて負けたんですけど、自分の中では100点ではないけど自分らしいプレーはできたかなというのがあったので。あとは自分のチームに帰って、しっかりやるだけという気持ちでした」

 ドイツW杯の準々決勝・ドイツ戦。丸山は後半開始から出場すると、0-0で迎えた延長前半3分に澤のパスから劇的な決勝点を決める。過去8戦未勝利(1分7敗)だった開催国のドイツを下す歴史的なゴール。W杯史上初となる4強入りの立役者となり、一躍、国民的なヒロインになった。今ではテレビにも引っ張りだこの丸山。リハビリ中の選手がメディアに露出することに対して批判的な声もある。しかし、丸山は女子サッカーのことを真剣に考え、そして来たるべきロンドン五輪への強い決意を秘めている。

―W杯のドイツ戦では劇的なゴールも決めました。
「代表ではここぞというときに決めてなかったので。五輪でも決めていないんですよね」

―ドイツ戦のゴールが代表では3年ぶりのゴールでした。
「そうでした? あのときは無我夢中でやってましたし、どうにかしてノリさんの期待に応えたいという気持ちでした。アピールするとかではなくて、ノリさんが私を使ってくれたことの意味を証明したいと。出るときも『お前だったら絶対にできるから』と言ってくれましたし、何としてでも得点したいという気持ちがありました」

―W杯で優勝して、変わった部分はありますか?
「自分は変わってないですけど、周りが変わるので。戸惑う部分もありましたけど、あんまり周りに流されないで、自分が思うことはこうだって決めているし、これだけサッカーが注目されてすごくうれしい気持ちがあるので。メディアに露出するのは良くないという人も多いですけど……」

―リハビリ中にテレビ出演していたことに対してでしょうか?
「『出てください』と言われるのはすごくありがたいことなので、どういう形でも女子サッカーをアピールしたいなと、W杯で優勝する前から思っていたんですよね。だから、メディアに出ることで女子サッカーを見に行かない人にも知ってもらって、テレビで見ているおじいちゃんやおばあちゃんが『この人、女子サッカーの人なんだ』と思ってくれるだけでもいいんです」

―引退後のことを考えることはありますか?
「例えば自分が親だったら、自分の産んだ子どもが、W杯で優勝した選手にサッカーを教えてもらえるってなったら、すごいと思うし、子どもの指導もしてみたいですね。私、教員免許も持っているので、教師というのもすごくやりたいなと思いますけど。あとはカフェが好きなので、カフェを開きたい! プライベートでやりたいです(笑)」

―いつまで現役を続けていきたいですか?
「大きい目標が終わったあとは考えますし、年齢的にも考えていかなきゃいけない歳だとは思いますけど、サッカーができる間はやりたいですよね。澤さんも34歳? 35歳? 分からないですけど(笑)。でも澤さんだからできるというのはありますよね、絶対。だから自分はまた違った形でサッカーをやめてからもサッカーに携わっていきたいですね。でも、できる限りは現役でやりたいです。他のことはサッカーをやめてからでもできますけど、サッカーは今しかできないので。今できるときにやっておかないと」

―夏にはロンドン五輪が待っています。
「まずはいいコンディションに持っていくというのが一番です。もしロンドンのメンバーに選ばれたら、選ばれたことに満足するんじゃなくて、W杯のドイツ戦ではゴールを決めましたけど、決勝ではゴールを決められなかったので。ロンドンでは、そういう歴史に残るようなゴールをもっともっと決めていきたいです」

(取材・文 片岡涼)

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