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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:紫将の覚悟(堀越高・中村健太)
by 土屋雅史

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 絶対に泣かないって決めていた。最後までカッコいいキャプテンでいたかったから。でも、もうダメだ。ベンチに入れてあげられなかったアイツらの顔を、いつも最大限の愛情で支えてくれた人たちの顔を見てしまったら、あとからあとから涙があふれてくる。

「試合が終わった直後はそこまでではなかったんですけど、堀越の応援の方々が最後にスタンドから大きな声援を送ってくれたので、そこで涙が出ちゃいましたね。ずっとこらえていましたし、泣かないようにしていたんですけど、悔しいという想いと申し訳ないという想いで、涙が出てしまいました」。

 堀越高(東京A)を牽引し続けてきたキャプテン。FW中村健太(3年=FC東京U-15むさし出身)が大きな責任と、大きな重圧の中で戦い抜いた1年間の最後には、この役割を経験した誰もが見たことのない、特別な景色が広がっていた。


 最初は数ある選択肢の中の1つというイメージだった。FC東京U-15むさしからU-18への昇格が叶わなかった中村は、いくつかの進路の候補を絞り込んでいく。「最初は流経とか帝京長岡に行きたいと思っていたんですけど、1回練習に行ってみようかなと思って、実際に行ったら『一番“サッカー”をしているな。楽しいな』って思って、堀越に決めました」。

 入学直後から公式戦の出場機会を得ていた中村の意識がはっきりと変わったのは、その年の最後に待っていた選手権だ。都予選を勝ち抜いた堀越は、初戦の高知高戦に勝利を収めたものの、2回戦で長崎総合科学大附高に0-1で敗戦。後半36分から出場した1年生は、ピッチの中で敗退の瞬間を味わった

「長崎総附との試合で負けてしまった時に、『ああ、これは自分がやらなきゃダメだな』って思ったんです」。抱いた危機感から、起こしたアクションは新チームのキャプテンへの立候補。学年は関係ない。覚悟を持った人間がやるべきだ。確たる信念に基づいて、中村はボトムアップ方式のキャプテンという重責を背負おうと、自ら名乗りを上げる。

 部員の投票では少なくない票を集めたが、最終的にキャプテンは最上級生が務めることになる。「そうなったらもう仕方ないので、それなら自分はキャプテンをしっかり支えていきたいなと思いました」。既にチームの中心としての自覚は、1年生の冬からしっかりと携えていた。


 なかなか結果に恵まれなかった2年目を経て、中村は当然のごとく新キャプテンに就任。試合に臨むメンバー選考や戦術の選択も、試合中の選手交代も、つまりはチームにまつわる全権を担うことになる。3年生になったばかりの4月に話を聞くと、自身のリーダーぶりにはまったく納得していなかった。「もっとできますね。チームメイトへの声掛けであったり、もっとハードワークする部分だったり、背中で見せていくものが例年のキャプテンに比べて弱いかなと。そこはもっとやらなきゃいけないと思っています」

 一方で掲げた目標は力強い。「自分がキャプテンをやって、どういうチームにしたいかと考えた時に、勝ちにこだわるチームと、周りに感謝して愛されるチームになりたいなと思っていて、目標としてはやっぱり選手権とインターハイで全国に出場して、ベスト8を超えられるようなチームにしていきたいですし、個人としては毎試合得点を重ねて、数字という結果を求めていきたいと思っています」。ところが、グループの成長曲線は思ったような軌跡を描いてくれない。

 関東大会予選は準々決勝で敗れると、インターハイ予選も2回戦でPK負け。システムも採用した4-3-3の形がなかなかフィットせず、グループの歯車は噛み合わない。リーグ戦でも8失点を喫した大敗もあれば、夏場からは悪夢の5連敗も経験。その上、ケガに見舞われた中村はこの苦境の中で2か月近い離脱を余儀なくされる。

「夏に自分がケガをして、チームも5連敗した時は、『なんでオレがキャプテンをやっているんだろう……』と思って、放り出したくなりました。メチャメチャ辛かったです」。主力に3年生が少なく、下級生が多くを占めるメンバー構成も相まって、一歩間違えばチームが崩壊しかねない状況に、悩みばかりが深くなっていく。

 考えて、もがいて、中村はある結論に行き当たる。もともとが強気な性格。グループを引っ張ろうとするあまり、いつの間にか周囲への当たりも強くなっていたことに想いが至る。

「自分の思い描いたチームに近付けるために強く言う時もあったんですけど、自分の言葉遣いだったり、周りの選手たちがどうしたいのかを感じて、それを受けてどうチームに影響を与えていくかは、もうメチャメチャ考えました。そこからは結構周りの意見を採り入れながらやるようになったことで、状況が良くなってきたのかなと思います」。

 キャプテンの変化は、チームメイトの意識も変えた。「だいぶいろいろな選手たちが主体性を持ってくれて、自分で責任を持ったプレーや発信をしてくれるようになったので、その中で少しチームのバランスは取れていったのかなと思います」。本当に少しずつ、少しずつ、チームらしくなっていきながら、堀越は勝負の選手権へと足を踏み入れていく。


 どのチームにとってもシーズンの総決算。簡単な試合なんて、あるはずがない。3回戦の東京成徳大高戦をPK戦で何とか制し、準々決勝では難敵の駒澤大高に1-0で辛うじて競り勝つと、準決勝の日大三高戦では驚くような“采配”があった。2点を先行した堀越は、後半に入ると1点を返され、なおも攻め込まれる展開を強いられていた終盤。ピッチサイドに掲げられた交代ボードには、キャプテンの背番号を示す“10”の数字が浮かぶ。

 中村は「あれはもう両方のふくらはぎが攣っていて、『自分がいても役に立たないな』と思ったので、交代しました」と事もなげに振り返る。負ければ終わりの一発勝負。選手権予選の準決勝だ。しかも1点差に追い上げられている状況で、自分で自分を交代させる決断なんて、そうそう下せるようには思えない。

 佐藤実監督の言葉が印象深い。「普通の監督だとキャプテンには『ちょっと我慢しろ』と言うかもしれないですけど、そうするとチームのパフォーマンスが上がらないですし、あの時はもう自分の足が動かないことはわかっていて、中村が自分で判断して出てきたんですけど、アレができないとキャプテンが交代を決めるなんてできないんですよ」。

 試合はそのまま2-1でタイムアップ。堀越は決勝進出を手繰り寄せる。勝利の采配を振るった中村は、ある先輩の助言を思い出していたという。「一昨年のキャプテンの宇田川瑛琉くんに『自分が代わる判断も持っておかないといけない』と言われていたので、今日は『ここで代わるしかないな』と自分が思えたことで、あの時の瑛琉くんの言っていたことが少しわかった気がしました」。ボトムアップのキャプテンが受け継いでいる覚悟の一端が、この日の交代に垣間見えた。

 修徳高と対戦したファイナルでは、チームメイトに救われた。1点のビハインドで迎えた後半40分に、エースのFW高谷遼太(3年)が執念の同点弾を叩き込み、土壇場で追い付いて突入した運命のPK戦。先攻1人目のキッカーとして登場した中村のキックは、相手のGKに弾き出されてしまう。

「自分が決めて流れを持ってこないといけない場面で外してしまって……。でも、みんなのところに戻った時に、誰一人として文句、不満、不安がなくて、『もう仲間を信じよう』と言われて、『ああ、確かにもう信じるしかないな』って。だから、最後まで仲間を信じられたんです」。

 GKの吉富柊人(3年)が相手のキックをストップすれば、2人目以降のキッカーたちはきっちりゴールを沈めていく。修徳の5人目がクロスバーにぶつけ、勝利が決まった瞬間から、中村は涙が止まらない。

「正直、まずこの舞台に立てると思っていませんでした。最初にチームをどうしていきたいかを話し合って、『東京制覇』という目標を立てたんですけど、ほど遠いなと。きっと予選の1,2回戦ぐらいで負けて、『結局ダメだったね』みたいな感じで終わるかと思っていました。本当に一人ひとりがかなり成長してくれたなと思います」。キャプテンの想いも、背負ってきた責任も、みんなちゃんと理解している。苦しい時期を過ごしてきたチームには、いつしか強固な一体感が生まれていた。


 1月6日。選手権準決勝。紫のユニフォームを纏った堀越の選手たちは、国立競技場のピッチに立っていた。『堀越史上最高のベスト8を超える』という目標を鮮やかに塗り替えた彼らは、定め直した日本一という大きな野望に向けて、近江高(滋賀)と対峙する。

「1点目の時はあまり焦りもなかったんですけど、2点目、3点目と立て続けに獲られて、『ちょっとヤバいな』と。どう改善していくべきかを、前半が終わるまでに頭の中で整理できていなかったですね」。最初の45分間を中村はそう振り返る。11分。13分。22分。いずれも鋭いカウンターを真正面から浴び、堀越は3失点を喫してハーフタイムを迎える。

 興奮状態に陥っていたチームメイトを落ち着かせ、中村は指揮官とも話し合い、改めて残された45分間への策略を共有する。「完全に守備がハマっていなかったので、フォーメーションを3-4-3にして、もうマンツーマンでハメに行くと。あとは『最初の10分のうちに点を獲れば、絶対に流れは変わる』と監督に言われたので、そこは意識しながら後半に入りました」。

 相次いで交代カードは切った。前半で交代したリーダーの1人、MF吉荒開仁(3年)の進言もあって、終盤はシステムも3-5-2にシフトした。それでも1点が遠いまま、時計の針は進む。所定の90分が過ぎ、2分が追加されたアディショナルタイムもほとんど終わりかけたころ、FW高木琉世(3年)が高谷との連携からPKを獲得すると、スポットには10番を背負ったキャプテンが歩み出る。

「試合中のPKはキャプテンの自分が蹴るというのは決まっているので、あとはここでしっかり決めようと。PKには自信があったので、落ち着いて蹴ることができました」。揺らしたゴールネットに跳ね返ったボールを、全速力で取りに行く。



 それからほどなくして、タイムアップのホイッスルが国立の大空に吸い込まれる。「『これで終わりなのか……』という想いが最初に来ましたね。『高校サッカーをみんなでできるのもこれで終わりか』って」。1-3。意地の1点を聖地に刻み、堀越の進撃は準決勝でその行く手を阻まれた。

「試合が終わった直後はそこまでではなかったんですけど、堀越の応援の方々が最後にスタンドから大きな声援を送ってくれたので、そこで涙が出ちゃいましたね。ずっとこらえていましたし、泣かないようにしていたんですけど、悔しいという想いと申し訳ないという想いで、涙が出てしまいました」。

 絶対に泣かないって決めていた。最後までカッコいいキャプテンでいたかったから。でも、もうダメだ。ベンチに入れてあげられなかったアイツらの顔を、いつも最大限の愛情で支えてくれた人たちの顔を見てしまったら、あとからあとから涙があふれてくる。戦いの終わったグラウンドに一礼して、中村はロッカールームへと消えていった。



「まずは胸を張って良い結果だと思います。新しい歴史を創るということは、選手権に出ることが決まった時から決めていて、その目標設定したものを達成できたということは相当凄いことなんだなと今は思っていて、まったく下を向く必要はないと思うんですけど、それは当たり前に達成できたことではなくて、応援があるからこそ自分たちも戦えるので、そこに対しての感謝は絶対に忘れちゃいけないなと思います」。

「後輩たちには自信を持ってほしいです。たぶんこのピッチに立つことって、自分が1年生だったらメチャメチャ緊張して、良いプレーができないと思うんですけど、アレだけのびのびとやれるんだったら、自信を持っていいですし、あとは自分たちがやらなきゃいけないことから目を背けず、ちゃんと向き合ってほしいです。ボトムアップをやっていく以上は、それが一番大事だと思うので。その責任をまっとうしないと、試合は絶対に勝てないと思うので、そこに対しては強くあってほしいです」。

 キャプテンとしての“模範解答”を紡ぎ終わると、少しだけ本音が覗く。「キャプテンはメチャメチャ大変でした。この1年はサッカーをしている時は楽しかったですけど、それ以外は楽しくなかったです(笑)」。忘れてしまいそうになるが、まだ18歳の青年だ。その双肩に掛かってきた重圧は、想像することすら難しい。

 佐藤監督は1年間共闘してきた中村の成長を、こういう言葉で表現した。「本人もよく言っているんですけど、ちょっとわがままで自分本位で、ベクトルが自分に向いてしまうタイプの子だったんですけど、それが仲間の意見を聞き入れたりとか、仲間に自分のできないことを託すようになったりとか、そういう人間的な幅は相当広がって、実際にこの大会中にも彼が伸びている気はしました」。

「ウチでキャプテンをやるヤツって相当な覚悟がないとできないですし、そのプレッシャーに押し潰されそうな時って何度もあるんですけど、その時にいろいろな先輩が支えてくれたりとか、彼の中にあるものを引っ張り出してくれたりとかしてくれている状況で、本当に成長しましたし、今後が凄く楽しみだなと改めて思っています。他の選手もそうですけど、もっと彼の今後の未来を、僕自身は追ってあげたいなと思っています」。

 メチャメチャ大変だった1年の最後には、国立競技場の景色が待っていた。悩んで、苦しんで、沈んで、もがいて、それでも前に進むしかなかった。このチームのキャプテンを務めるということは、そういうことなんだと覚悟を決めていたから。選手権予選が始まった晩秋のグラウンドで、中村が口にしていたことを思い出す。

「ボトムアップを始めてから、歴代のキャプテンが積み上げてきてくれた歴史を、ここで崩したら自分の責任だなとは毎日考えているので、自分が歴代のキャプテンに恥じないようなプレーをして、全国にチームを導けたらいいなと思っています」。

 歴代の誰もが成し得なかった、『堀越史上最高』の全国4強へとチームを導いた2023年のキャプテン。中村健太が懸命に、全力でやり切った1年は、きっとこれからも自分と同様に“堀越のキャプテン”という役割に頭を悩ませながら、道なき道を歩む後輩たちのいまに、勇気を与え続けていく。



■執筆者紹介:
土屋雅史
「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に『蹴球ヒストリア: 「サッカーに魅入られた同志たち」の幸せな来歴』『高校サッカー 新時代を戦う監督たち』

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