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SEVENDAYS FOOTBALLDAY by 土屋雅史

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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:32番のラストステージ(日本大・千葉武)
by 土屋雅史

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 最後の最後で勝ち獲った一際大きな背番号は、4年間を全力で駆け抜けてきた証に相違ない。だから、その姿勢で、その背中で、示す。このチームで出会ったかけがえのない仲間たちに対する揺るがない信頼を。今までの人生であらゆるものを注ぎ込んできたサッカーに対する情熱を。

「この4年間、日大でサッカーをやってきた集大成がこのインカレで、それこそこの大会のために社会人チームで頑張ってきたところもあるので、とにかく後悔がないようにサッカーをしようという想いはありますね」。

 “社会人チーム”を逞しく束ねるキャプテンから、“トップチーム”を支えるラストピースへ。追加登録でインカレのメンバーに滑り込んだ日本大の32番。MF千葉武(4年=ベガルタ仙台ユース)はサッカーキャリアの集大成として最高の景色を見るために、目の前のやるべきことと向き合い続けている。



 ピッチサイドにその男の姿を認めた応援席の部員が、「ベガだよ、ベガ!」とにわかにざわめき始める。日本大にとって実に20年ぶりの出場となるインカレの1回戦。高松大を相手に3点をリードしていた後半25分。32番を背負った千葉が、少し陽の傾き始めたピッチへと駆け出していく。

「自分の中では『もう入れないのかな』という想いはあったんですけど、腐らずに、ひたむきにやっている姿というのをスタッフが評価してくださって、追加登録という形で最後の大会のメンバーに選んでもらったというのは、素直に嬉しかったですね」。そう語る千葉が、今年の主戦場として身を置いてきたのはトップチームではない。

 川津博一監督が自らの率いる日本大サッカー部の構造を説明してくれる。「ウチには部員が80数名いて、トップチームとIリーグ(インディペンデンスリーグ)のチームに加えて、社会人リーグに登録しているチームがあるんです。“社会人チーム”は3,4年生のメンバー外の選手たちで、Iリーグの方は1,2年生のメンバー外の選手で、あとはトップチームという振り分けをしています」。

 千葉がプレーしてきたのは“社会人チーム”。東京都社会人リーグ1部を戦う『FC N.』のキャプテンとして、トップチーム入りを狙う選手たちを1シーズンに渡って束ねてきた。

「自分から『やりたい』と言ったわけではないんですけど、チームからの推薦みたいな感じでキャプテンになって、やっぱり社会人チームとして『関東リーグ昇格』という偉業を成し遂げたい気持ちはありました。それでも、やっぱりトップチームを目指す人間がキャプテンをやるべきだと思うので、そこを目指す背中に付いてきてほしかったというのが、キャプテンとして思っていたことですね」。

 とはいえ、現状としてトップチームに食い込めない3,4年生の想いを1つにまとめることが、簡単であるはずがない。「とにかく会話を増やしましたね。自分の想いをぶつけるミーティングを開いて、選手1人1人がどう思っているのかというのを話し合ったり、時には『もっと厳しいことを言わないといけないな』と思う選手には、僕から相当厳しいことを言いましたし、そういうことは常に意識してやってきました」。

 千葉はチームメイトの前向きな姿勢に助けられたという。「僕の言葉を素直に受け止めてくれる選手が本当に多かったので、次の日の練習から顔つきがガラッと変わったりする選手もいましたし、真剣に話を聞いてくれる選手が多かったと思います」。結果的に“社会人チーム”はリーグ戦で2位に食い込み、関東リーグ2部への参入を巡る関東社会人サッカー大会へと駒を進める。

 彼らは“先鋒”の役割も担っていた。「日大の3チームの中で一番最初の大会が社会人の参入戦だということはわかっていたので、そのあとに大会があるチームも良い形で流れに乗れるように、優勝を目指して頑張るだけだねということは話していました」と千葉が話すように、関東社会人サッカー大会の後には、Iリーグの全国トーナメントとインカレが続いていく。まずはオレたちが、確かな結果を。『FC N.』はモチベーション高く、決戦へと挑む

 涙を流すキャプテンの元に、チームメイトたちが走り寄っていく。「自分が1年間築き上げてきたチームが、最後に優勝という良い形で終われたのは本当に嬉しいことでした。自分が厳しい言葉を掛けた選手も自分の元に駆け寄ってきてくれて、自分への愛情を感じましたし、『何としてもキャプテンを勝たせてあげたい』という想いもみんなから伝わってきて、涙が出た感じですね。本当に最高でした」。

 『FC N.』は堂々と関東社会人サッカー大会を制し、来季からの関東リーグ参入を力強く手繰り寄せる。関東を勝ち抜いたIリーグのチームも、準決勝でPK戦の末に惜敗したものの、全国3位という結果に。2つのチームの奮闘を経て、改めてトップチームは1年間を締めくくるインカレへと歩みを進めていく。


“32番”をメンバーに入れた理由を、川津監督はこう明かしている。「もともとはIリーグチームの活きのいい下級生を2人入れて、あとはキーパーというイメージだったんですけど、Iリーグの全国大会を見に行った時に、『強度が上がった時に、ちょっと下級生では難しいかもな』ということを感じて、であれば、『今の上級生でゲームに使える人間を入れた方がいいかな』ということで、千葉が最後に滑り込みで入ったというところですね」。

 そのメンバー入りは、意外とあっさり伝えられたという。「スタッフから『追加登録したから、頑張って』と言われました(笑)」。だが、もちろんこの抜擢を意気に感じないはずがない。自分のために、社会人チームでともに戦ってきた仲間のために、確かな覚悟を携えて、32番を託された4年生は大学最後の大会を迎えていたのだ。

「メンバーに入ったからには出たかったですし、出たからには結果を残したいなと思っていました。不思議と緊張はあまりなくて、『サッカーをやりたいな』という想いでずっとアップもしていたので、嬉しいという気持ちが大きかったです」。インカレの1回戦。高松大を相手に3点をリードしていた後半25分。千葉が少し陽の傾き始めたピッチへと駆け出していく。

 受けて、捌く。ボールを持ったら、前へ、前へ。「まだまだレベル感的なところも自分には見合っていない感じもあるんですけど、自分の100パーセントのプレーは出し切ったので、もう少し周囲の質やレベルやスピード感に付いていけるようになると、チームにもっともっと貢献できるようになれるのかなと思いましたね」。中盤に位置しながら、改めてトップチームのレベルを感じつつ、ゆっくりと自分をゲームに溶け込ませていく。

 それはまさかの“指名”だった。36分。日本大がPKを獲得すると、ベンチから「ベガ!ベガ!」と千葉がキッカーを務めるように指示が飛ぶ。「PKなんてまったく考えていなかったです。キャプテンのナツ(阿部夏己)が蹴ると思ったんですけど、スタッフが『行け』と(笑)。メッチャ緊張しました。これまでにないぐらい緊張したんですけど、もう思い切って蹴るだけでしたね」。



 32番がスポットに立つ。1つ、深呼吸。腹をくくって蹴り込んだのは、向かって左。GKも同じ方向へ飛んだものの、ボールは確実にゴールネットを揺らす。それは4年目にして、千葉がトップチームで挙げた初めての得点だった。

 キッカーを務めそこなったキャプテンのDF阿部夏己(4年=徳島市立高)は「最初は僕が蹴る感じだったんですけど(笑)、ベンチの声もあってみんなも『ベガ、行こう!』みたいになったので、しっかり落ち着いて決めてくれて良かったです」と笑いながら、千葉がチーム全体に与える影響について、こう話している。

「千葉はこれまで社会人チームでキャプテンを務めてくれて、どうしても学生スポーツはトップチーム以外に温度差が出てくる中で、彼がずっとそういう温度差が出てしまいそうな子を盛り上げて、律してやってくれていたので、彼の存在がなければ自分たちの結果も出ていないでしょうし、社会人チームも優勝と昇格を成し遂げてくれた中で、千葉がチーム全体にプラスとなる働きをしてくれていたので、そういう意味ではこれからもトップチームではないカテゴリーに所属することになる選手に対して、『最後までやり続ければ、こうやって最後の大会で結果を残せるんだ』ということを示したことにもなりますし、本当に大きな1点だったと思います」。この言葉を紡げるキャプテンの人間性にも、日本大サッカー部の在り方が見え隠れする。

「自分はBチームで1年間、いや、ほぼ4年間やってきて、それでもひたむきにやってきたことをスタッフの方々が評価してくださって、こうやって試合に出してもらって、最後にPKも蹴らせてもらって、そういうところを評価してもらえる環境が日大にはあると思うんです。そういう環境があるよという手本を、Bチームの選手たちには良い形で示せたのかなと思います」。4-0と快勝を収めた試合後。応援団の声援に応える千葉の表情には、充実の笑顔が浮かんだ。



 決して順風満帆な4年間を過ごしてきたわけではない。むしろ、悔しい経験のほうが多かったはずだ。それでもこのチームでサッカーと全力で向き合うことができた“2つの要因”を、千葉は次のように話してくれている。

「やっぱり同期と家族の存在だと思います。同期に関しては、みんながいろいろな想いを抱えながらサッカーしてきていたのも知っていますし、そういう想いを抱えながらも一生懸命頑張っている姿を見ると、自分も『目の前のことに屈している場合じゃないな』と思えましたし、あとはもう応援してくれている家族がいるというところで、中途半端な終わり方はできないので、『最後までしっかりサッカーをやり切って終わりたいな』って。ここ最近は同期と家族のことを思いながらずっとやっていました」。

 宮城県出身の千葉は、小学校3年生の時に被災した東日本大震災で母親を亡くしている。それからは父親と2人の兄と固いスクラムを組んで、日々を過ごしてきた。日本大サッカー部の公式noteで、千葉は家族への想いをこう綴っている。「震災で被災した実家の前で、4人で肩を組んでこれから4人で頑張っていこうなと意気込んだ日から本格的にプロサッカー選手を目指し、お父さんに恩返しをすると誓った」。

 何の憂いもなく、大学までサッカーを続けさせてくれた家族への感謝は尽きない。「たぶん一番キツかったのは父だったと思うんです。これから家族をどうしていくかもそうですし、僕たちは3兄弟なので、3人に不自由なくサッカーをできる環境を整えたり、大学に行かせたりというのは、本当にキツかったと思うんですけど、何1つ苦しい顔を見せずにサポートしてくれたので、感謝しかないですね」。

 今でも千葉が心のど真ん中に据えているのは、いつも母親が口にしていたフレーズだ。「父や兄の姿を見ていると、本当に中途半端では終われないですし、それこそ母も『常に全力で』とずっと言っていたので、僕も『やるなら本気で、全力でやりたい』と思ってきましたし、大学でもその教えに従ってきたという感じです」。5人家族の絆が、苦しい時にはいつも自分を支えてくれた。プロサッカー選手にはなれなかったけれど、これからも続いていく人生の中で、その強固なスクラムが崩れることは決してない。


 こちらが話を長く聞き過ぎてしまったせいで、チームメイトが様子を窺いにやってきた。千葉が「先に行ってていいよ」と言うと、「ここまで待って、『行ってていいよ』ってなんだよ」という言葉が返ってくる。そういえば、彼は仲間から『ベガ』と呼ばれていた。その理由を問うと、「同期にもう1人“チバタケル”がいるんです。なので、ベガルタ出身の僕が『ベガ』と呼ばれるようになりました(笑)」とのこと。もう1人のチバタケル=千葉剛大(4年=前橋育英高)と一緒に昇格と優勝を味わったのも、良い思い出だ。

『行ってていいよ』のやり取りを見ているだけでも、千葉と仲間の関係性が垣間見える。「本当に最高の仲間ですね。本当に日大に来て良かったです。仲間にも恵まれて、サッカーに打ち込める環境も整っていて、僕らの想いを汲んでくれるスタッフの方々がいて、こんな環境はなかなかないと思うので」。

 ゆえに、勝ちたい。このスタッフと、この仲間たちと、4年間のすべてを捧げた大学サッカーの最後に、就職を機に本格的なプレーからの引退を決めたサッカーキャリアの最後に、最高の景色を見てみたい。

「サッカーはとりあえずここで一区切りなので、個人的には『もうやり切った』と言えるように、後悔がないようにしたいですね。インカレもここからはさらに厳しい戦いが続くと思うんですけど、仲間とチームで乗り越えていきたいです」。

 ピッチにいてもいなくても、自分にできることは必ずある。仲間と家族への感謝に彩られた、32番のラストステージ。真剣に頂点を目指す日本大サッカー部と千葉の冬は、まだまだ終わらない。



■執筆者紹介:
土屋雅史
「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に『蹴球ヒストリア: 「サッカーに魅入られた同志たち」の幸せな来歴』

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