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F東京MF高橋秀人 今を支えるコーチとの出会い

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第一回インタビュー「インターハイ。その響きに憧れた」はこちら
 FC東京と契約してからも、本当にプロでやっていけるのかという確証は持てなかったという。出場機会もなく、レベルの高い選手たちとプレーを続ける中で、MF高橋秀人は自信を失っていった。そんな中で、選手全員のプレーを細かく見て、声を掛け続けてくれた一人のコーチによって、高橋は負の連鎖から抜け出すことができた。彼の言葉を聞いていると、『出会い』の重要性を再認識させられる。

―学芸大に進学してからも、最初はアルバイトに明け暮れていたと聞いたのですが?
「そうです。当時も自分がプロに行けるとは思っていなかったので、アルバイトに明け暮れていました。学費や家賃は親に払ってもらいましたが、水道代、光熱費、食費、部活は自分で払っていたので、奨学金を無利子で借りて、残りのお金をファミレスとサッカースクールのアルバイトで稼いでいました。サッカー選手になったときも、支度金でみんなは大体、車を買っていたりしたのですが、僕は奨学金を返したので、ゼロからのスタートでしたね(笑)」

―授業、部活、アルバイトをこなして、休める時間がなかったのでは?
「ありませんでしたね。本当にきつかったです。授業が1限からあって、部活は18時から20時半くらいまでやって。自主練して、ボールを片づけて。すぐにシャワーを浴びて、ちょこっとだけご飯を食べて、22時から深夜2時までバイトして、家に3時くらいに帰る。それで、次の朝また8時に起きる…っていう流れでした」

―大学でサッカーを続けていたのは、何か目標があったんですか?
「高校のときに、大学生の国際大会であるユニバーシアードがあるので、せっかくだからサッカーは常に最前線でやっていきたいという思いがありました。そのユニバーシアードも、歴代のメンバーを見ると有名な選手が多いんですよ。昔は大学を出て、プロになる選手が多かったので。だから、ユニバーシアードに入れたらいいなと思っていました。でも、1年のときとかは、試合にもまったく出られなくて、ユニバーシアードはおろか、関東選抜も絶対に無理だなっていう感じだったんです。もっとも大学1年のときはバイトに明け暮れていたので、あまりサッカーに集中していなかったんですよね。でも、大学2年のときに、たまたま出た駒澤大との試合で、たまたま相手のエースを抑えたんです。そのときの駒澤大の監督が、僕らが4年になったときに行われるユニバーシアード日本代表の監督を務める方で、関東選抜Bに呼んでもらって、とんとん拍子に全日本大学選抜に入って、遠征メンバーにも入って。それでユニバーシアードにも出ることができました」

―そこでチャンスを掴みきる力は、すごいですね。
「今思うと、掴みきったっていう感じではなくて、4年時のユニバーシアードに向けて、2年間かけてオレを育てようといているなっていう感じでしたよ。別に全国大会でも、決して僕が何かしたというわけではなかったので。ただ、大学2年のときにコーチに『すべてを投げ打ってサッカーに集中すれば、プロになれるのにもったいないぞ』と言われたのは、一つのきっかけでした。アルバイトの日数を減らして、最終的にアルバイトを辞めたら、プレーのパフォーマンスも安定していくのを実感できましたね」

―その後はユニバーシアードにもキャプテンとして出て、FC東京の強化指定選手にもなります。このあたりでは、自分の進む道もはっきりして来たのでは?
「いや、強化指定選手になったからといって、プロを目指したっていうのはないんです。結局、サインをした後も『本当にサッカーでいいのかな?』と思っていたくらいなので」

―契約してからもですか?
「契約してからも、正直(笑)。それは不安だったこともありましたよ。『自信があるからサインした』っていう言葉がありますけど、そんな自信なかったですしね。高校生とか、ユース上がりの選手とか『自信がありますか?』っていう記者の問いに対して、『あります』と答えることで自分を高めようという意識はあると思いますが、実際にそこで本当に、本音でやっていける自信があるのかと言ったら、全員があるわけではないと思うんです。あまり僕は自分を高く評価しないので、サインはしたけど、正直セカンドライフのことを考えていましたね」

―安定志向というか、カバーリングを常にしてきたわけですね。
「親からはずっと『公務員になれ』と言われて育ってきたので、そういうこともあるかもしれませんね。難しかったのはプロになって1年目でした。それまではFC東京の練習に参加して『ある程度、やれるな』と思って、学芸大に戻ると一番うまくて、ほとんどボールも取られないし、逆にボールも奪える。それで自信を持った状態で、またFC東京の練習に行く。そうするとノリノリだから、意外とチャレンジできるんです。ところがプロになり、ここが日常になると、そんなにすべてがうまくいかない。常に勝っている状態でプレーできるわけではないので、大学のときよりヘタになっているなっていう錯覚に陥りましたね。どんどん自信をなくして、プレーも精彩を欠いてっていう悪循環になりましたね」

―良い状態だと、少し高いレベルでも普通にできますが、その良い状態に戻れる場所がプロになったことで、なくなったわけですね。どうやって克服したのですか?
「ここでも指導者に恵まれました。今は徳島にいる長島裕明コーチが、一つひとつのプレーを全部覚えていてくれて、すごく細かく指導してくれたんです。試合に出ている選手たちならともかく、試合に出ていなかった僕らにも、すごく細かく声をかけてくれました。例えばパスをミスしても『こういう意図があったんだから、いいんじゃないか』って、意図まで汲み取って誉めてくれたりしたんです。声が枯れるまで、絶えずアドバイスを含めた声を出し続けてくれた。当時、試合に出ていなかった選手のだれに聞いても『長島さんがいなかったら、高いモチベーションを保てなかった』と言うと思いますよ。最初は結構、みんな『そこまで言わなくてもいいよ』という感じだった選手も、シーズンが終わる頃になると、全員が長島さんを慕っていました。僕は最初から慕っていましたけどね(笑)。本当に長島さんがいなければ、今の僕はいないくらいです」

―非常に重要な出会いだったわけですね。出会いのつながりでいくと、現在履いているナイトロチャージとは、どんな出会いだったのですか?
「最初は履く気がなかったんですよ(笑)。スパイクを変えると感覚がまた違うので、馴染むのに3日くらいかかるじゃないですか。それで最初は抵抗があったんです。でも、履いた瞬間からイヤなイメージがありませんでしたね。もともと、こういうちょっと鋭角になっている合成皮革のシューズが履きたかったんですよ。ちょっと独特な言い方になりますが、ロボット感覚というか、伸びが少ない。だから、雨が降ったときでもピッチの状態が、どんな状況であっても同じなんですよね。グリップがしっかりしているんです」

―確かに型崩れはしなさそうですね。
「他の皮のものだと、足馴染みはいいのですが、1か月履くと絶対に履けないんですよね。だから、スパイクのピークの時間が短いんです。でも、ナイトロチャージはピークの時間が抜群に長い。初日は馴染ませなければいけませんが、2日目から履きつぶすまでがピークですね。全然、履き心地も変わらないんです。それと今年の湘南戦は、僕のミスで負けてしまったんですが、その次の清水戦からはこれを履いたんですね。そうしたら点を取れたので、縁起も良いんですよ(笑)。色も目立つし、サポーターの方にも注目してもらえると思います。今までは黒を多く履いてきましたが、たまにはイメージチェンジをと思って履いたら結果も出たので、プレーもどんどん派手になっていけばいいですね」

―プレーにはどんな影響がありますか?
「力強さですね。そもそものコンセプトは90分運動量を保って、タフに動き回って、コンタクトにも耐えられるというところです。そういうスパイクだと、重いイメージありますが、そんなこともありません。前のスパイクとは、インパクトも違うんですよね。ボールを蹴ったときの奥行きがあるというか。これまでと同じ強さでボールを蹴っても、ボール一つ分は飛ぶような、より力をボールに伝えてくれる感じです。あと、耐久性についても、僕が保証します。日本代表の遠征に行っていた間も、約1か月間、これ1足で過ごせましたから。すぐ履きつぶしてしまうという人にも、お勧めしたいですね」

―最後に日本代表選手として活動することで、見えてきたことはありますか?
「僕は最近まで『うまくなりたい』っていう気持ちを忘れていたというか、代表選手がゆえに、こうしなきゃいけない、ああしなきゃいけない、その『しなきゃいけない』っていうプレッシャーに駆られ過ぎていたんです。少年の純粋なときは、試合のためにうまくなろうじゃなくて、今、そこにあるボールと自分との関係だけじゃないですか。『リフティングを100回したい』『ボールをこっちに進めたい』。それは『試合のときにこっちに進めたい』というのじゃなくて、今、このボールを進めたい。そういう原点の原点の純粋なときの気持ちっていうのを、プロになって結果を求められて、過程を気にしなくなってきたんです。でも、やっぱりそうやってボールと向き合っているときの方が、うまくなっているんですよね。日本代表で清武(弘嗣)とかが純粋に、練習が終わってからも、いつまでもいつまでもボールを蹴っている姿、そういうポジティブに楽しむ姿を見て、自分の方向は間違っていったのかなと思いました。だから、今は楽しんでボールを蹴っていきたいと思います」

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(取材・文 河合拓)


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