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ニュルンベルク移籍の長谷部「自分のため、わがままになってもいいのかなと思って決断した」

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 ボルフスブルクからニュルンベルクへの移籍が決まったMF長谷部誠は3日午前に帰国。夕刻の練習を終えたあと、移籍についての心境を語った。

「移籍した理由は本当にたくさんある。全部話すと1時間くらいかかりそうなのでやめますけど」と切り出すと、神妙な面持ちで言葉をつないでいった。

「6年間、ボルフスブルクで自分はチームにすべてを捧げてきた。これからもそういうやり方もあったと思うが、そういう中でいろいろなことを考え、少しわがままになってもいいのかな、自分のためにやってもいいのかなと思った。そういう気持ちが自分の中では大きい」

 02年、藤枝東高校から浦和に加入。浦和が初めてリーグ優勝を果たした06年の翌07年夏に、ドイツからオファーが来た。だが、当時の浦和は初出場のアジアチャンピオンズリーグで決勝トーナメント進出を決めたばかりというタイミング。好条件のオファーに心は大きく揺れたが、浦和に慰留され、「レッズにアジアナンバー1のタイトルをもたらしてから移籍したい」とオファーを断った。ボルフスブルクへ移籍したのは、同年11月にチームを見事アジアチャンピオンに導いたあとの08年1月だった。

 長谷部はそのボルフスブルクでも08-09シーズンにブンデスリーガ優勝。多くの信頼できる友人、知人も得、長谷部自身にとって思い入れの強いチームとなっていった。気がつけば浦和時代とほぼ同じ年月がたっていた。

 一方で、昨シーズンから出場機会が減るという悩みを抱えるようになっていた。特に前半戦は出場機会が激減。日本代表に出ることでコンディションを維持するような、苦しい日々を過ごすことになる。本職のボランチ以外で出ることが多いのも悩みだった。

 昨シーズン後半はレギュラーの座を再度つかんだが、今シーズンも開幕から出番はほとんどなし。8月29日の代表発表会見ではザッケローニ監督が「長谷部はチームで試合に出ていないので、ここ(代表)で使わないといけない」と発言するまでになった。日本代表にとってもキャプテン長谷部のコンディション不安は大きな悩みの種。決断が迫られる状況に直面していた。

 開幕まで9か月と迫ったW杯の存在が決断を後押ししたのではないかという質問に対しては「それも一つの大きな要素だと思う」と即答した。ニュルンベルクにはザックジャパンの同僚であるFW清武弘嗣がおり、移籍に関しての相談もしたという。

「チーム内での競争がもちろんあるが、チームの方からもリーダーとして引っ張っていってくれと言われているし、新しい場所でまたフレッシュにやっていきたい」

 ニュルンベルクでは念願のボランチで出場する公算が大きい。新天地への移籍を“吉”とさせ、日本代表がさらに上へ行くための力に。チームのためにすべてを捧げてきたキャプテン長谷部が初めてわがままになり、2度目のW杯へ向けて、勝負をかけた。

(取材・文 矢内由美子)

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