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“福島県代表”高萩の被災地への思い 「いいニュースを届け続けたい」

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 7月の東アジアカップで日本代表に初選出されたサンフレッチェ広島のMF高萩洋次郎。福島県出身として初の日本代表選手は、東日本大震災で被災した故郷への思いを常に胸に秘めながらピッチの上で戦い続けている。高校2年時にプロ契約を結んでから10年。進化する27歳を直撃したゲキサカ独占インタビュー第2弾――。

―高校2年生だった2003年4月にJリーグデビューし、11月にはプロ契約も結びました。広島ユースの一員として大会に出場しながら、同時にプロの練習にも参加していた当時はどんなことを意識していましたか?
「とにかくガムシャラに練習して、試合してということしか考えていなかったですね。トップチームに行くと、やっぱりレベルの違いがあって、なかなか自分の思ったとおりにはプレーできませんでした。そこにどうやって追いついて、追い越していけるか。それを考えながらガムシャラに練習していましたね。ユースに戻ったときには、ユースの選手には負けたくない気持ちがありましたし、周りの選手にも『トップに行っている洋次郎には負けたくない』という気持ちがあったと思います。そういう意味での相乗効果はありましたね」

―早くからプロになることを目標にしていたんですか?
「正直、あんなに早くプロになれるとも、トップチームの試合に出れるとも考えてはいませんでした。でも、身近でトップチームが練習しているのを見たり、試合を見に行ったりもしていたので、そういう意味では明確な目標を持てていたと思います」

―2006年にはJ2の愛媛FCにレンタル移籍しました。
「サンフレッチェでなかなか試合に出られず、『経験を積んで来い』という形で愛媛に行くことになりました。行ったからには、試合に出て活躍して、経験を積んで戻ってきたいと思いましたし、もっと言えば『サンフレッチェじゃなくても、他に取ってくれるチームがあるなら』という覚悟もあったぐらい危機感を持っていました。試合に出ないといけない、試合に出て活躍しないといけないと思って、必死にやっていましたね」

―レンタル移籍を告げられたときはショックでしたか?
「もちろん悔しさはありました。サンフレッチェで試合に出られていないという悔しさもそうですし、『他で経験を積んで来い』と言われたことへの悔しさもありました。『また這い上がってやろう』という思いは強くなりましたね」

―高萩選手と同じように、齋藤学選手や柿谷曜一朗選手もJ2を経験して、その後、日本代表にまで上り詰めました。
「J2は下のカテゴリーですけど、1年間を通して試合に出るという経験は、サッカー選手にとって一つのきっかけやスタートになると思います。J1にいて、途中出場が多いよりも、シーズンを通して先発で試合に出続ける経験のほうが若い選手には必要なのかなと思っています」

―7月の東アジアカップでは初めて日本代表に選ばれました。あらためてどんな大会でしたか?
「相手は日本に対してすごく高いモチベーションで戦ってきていたと思います。球際だったり、いろんな部分で『日本には絶対に負けたくない』という気持ちがひしひしと伝わってきました。自分もそういう相手に対して気持ちの部分でも上回っていかないといけないと思いましたし、プレーの面でも簡単には自由にやらせてくれないなというのは肌で感じました。そこはJリーグの中でも実践していきたいと思っています」

―東アジアカップ後、柿谷選手は日本代表に定着しました。高萩選手も、海外組のいる日本代表に入っていきたいという気持ちは強く持っていますか?
「今の日本代表に選ばれて、試合に出たいという気持ちはあります。ただ、まだまだ足りない部分がたくさんあるので、Jリーグでしっかりと結果を出して、また呼ばれるように活躍したいと思っています」

―本田圭佑選手は「個」の力が大事だとよく言います。高萩選手にとっての「個」とはどういう部分ですか?
「個人で突破したり、シュートまで持っていったりという部分では、ズバ抜けた力は持っていません。ただ、ボールを持ったときに決定的な仕事をする、決定的なパスを出すという部分は、日本代表に行っても通用すると思っています。ボールを引き出せる選手が日本代表にはたくさんいますし、(東アジアカップで柿谷)曜一朗と一緒にプレーしても『いい動き出しをしてくれるな』と思いましたし、日本代表の試合を見ていても岡崎(慎司)選手がいい動き出しをしているなというのは見えるので。ああいう選手と一緒に組んで、ゴールにつながるようなプレーができたらいいなというイメージは持っています」

―柿谷選手は東アジアカップで佐藤寿人選手の動きを参考にしているとも言っていました。普段、広島で佐藤選手と一緒にプレーをしていることで高萩選手のプレーが磨かれた部分もありますか?
「寿人さんの動き出しは日本でもトップレベルだと思いますし、ああいう選手にパスを出し続けているというのは、自分が磨かれている一つの要因だと思います。いい動き出しをしてくれれば、パスは合わせられるという自信も持っています」

―佐藤選手からは試合中もパスを要求されているんですか? それとも常に自分から動きを見ているんですか?
「動き出しに関しては、相手からの要求もそうですし、自分が見ていないとパスは出せないので、両方ですね。でも、日本代表になると、練習時間も短かいですし、パスを出す側が、シューターやボールを受ける選手に合わせることが重要だと僕は思っています。パスを出すほうはいくつかの選択肢の中から選べますし、受けるほうは動けばいいという感覚でいてくれたほうがやりやすいかなと思います」

―日本代表には海外組の選手も増えてきました。高萩選手自身は海外に挑戦したい気持ちはありますか?
「チャンスがあれば経験してみたいという思いはありますが、今はサンフレッチェで試合に出させてもらっていて、優勝争いをしています。サッカーの質も、Jリーグの中ではトップレベルだと思っていますし、僕に合っているスタイルだとも思っています。この経験も今の僕にとってはすごく大きなことなので、それを捨ててまで海外に行ってチャレンジするかというのは悩む部分でもあります」

―東アジアカップのときには福島県出身で初の日本代表選手として福島でも大きなニュースになりました。
「福島に対する思いというのは、震災後、特に強くなっていますし、地元の福島に対して、被災地に対して、何らかの影響を与えたいと思い続けてプレーしています。『福島県出身で初めての日本代表選手』と呼ばれて、向こうの新聞やテレビのニュースにも取りあげていただいて、福島の人たちに喜びや勇気を与えることができたのかなと。これからもいいニュースを福島に届け続けたいと思いますし、もっともっと増やしていきたいと思っています」

(取材・文 西山紘平)


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