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柴崎岳はテネリフェに「夢を与えた」…スペイン人番記者が証言する日本人選手獲得の余波

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スペイン2部での挑戦を選択したMF柴崎岳

 95年間のクラブ史の中で日本からサッカー選手がやって来たことはなかった。スペインで最も高い標高に位置し、世界で3番目に大きい火山・テイデのふもとに住む100万人がクラブを取り巻く情熱に生きている島――。それがテネリフェだ。

 そして今、現地ではほとんど無名に近い日本人選手がファンの間にブームを巻き起こっている。MF柴崎岳に関する情報はほとんどない。しかし、クラブW杯でレアル・マドリーを相手に2得点を決めた事実が「きっと素晴らしい補強になったに違いない」という思いをかき立てるのだ。

 テネリフェ島にはサッカーへの情熱が息づいている。島内最大のクラブは1990年代に黄金期を築いた。当時はホルヘ・バルダーノ、フェルナンド・レドンド、ユップ・ハインケスら、輝かしいスターたちがチームを2度に渡ってリーガ・エスパニョーラ5位の高みへ導いた。さらにエリオドロ・ロドリゲス・ロペス(テネリフェの本拠地)で行われたシーズン最終戦で2年連続、レアル・マドリーに勝ってみせた。“白い巨人”たちのタイトル獲得という野望を砕く決定的な役割を果たしたのだ。また、この時代にはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)準決勝進出という偉業も成し遂げたのだった。

 しかし、クラブは4500万ユーロ(約54億円)以上の債務を抱えて2部に降格し、2011年には2部Bまで落ちてしまう。ブランキアスーレス(テネリフェの愛称)が再び2部に昇格するまで、それから2年シーズンを要した。

 現在のクラブは財政状態が安定し、チームの好成績も明るい未来を予見させるものだ。1部リーグへの復帰も視野に入ってきたと言っていい。この功績の大部分はペップ・マルティ監督によるものだ。世間の耳目をそれ程集めることなく、2000年代に選手として脚光を浴びたテネリフェの指揮官はチームを確実に掌握して選手たちをまとめ上げた。結果、シーズンの半分が過ぎても1部昇格の希望を抱ける順位につけることができている。

 シーズン開幕前から昇格候補だったわけではないが、クラブは目標をプレーオフへの進出に設定していた。当初は経営規模で勝るレバンテ、ジローナ、ヘタフェ、ラージョ、サラゴサといったライバルたちがひしめく中、上位6位以内でフィニッシュするのは難しく思われたが、10月末から好調期に突入して勝ち点を積み上げることに成功した。それ以降、23節までリーガ12試合でたった1敗しかしていない。

 かつては夢のように思われた昇格に向け、着実に歩みを進めているのだ。そして、その夢を現実のものとするために求められたのが選手の補強だった。

 マルティ監督が好んで使う4-2-3-1のシステムは、ピッチで高い創造性を発揮できる選手の存在を欲していた。チームにいる4人のMFたちはドリブルで局面を打開したり、連係して相手守備陣を困惑させたりといったクリエイティブな動きを得意としているわけではないからだ。1月にマルク・コロサスが退団したこともあり、監督の要望する選手を獲る必要性があった。

 ティロネ、ラチドを獲得した後、移籍市場が閉まる前にファンたちの心をくすぐるような特別なイベントが発生する気配はなかった。だが、サプライズは起こった。

 柴崎加入の報はテネリフェ島に大きな波紋を広げた。まさにチームに欠けていたものを持っている選手がテネリフェにやってきたのだ。この補強はすぐさまファンを活気づけた。SNSもこの日本人選手に関してのコメントで溢れだす。島で暮らすことや母国を離れての新生活に慣れることができるのか。

 そして何よりスペインで要求される高い水準のプレーができるのか。とりわけフィジカルや闘争心が必要な2部で際立ったプレーをするためには、タレント性やスキル以外の部分も重要になってくる。

 もっとも、そんな疑問の声を押しのけて最も目立った言葉を一つ挙げるとするなら、それは「夢」だった。それほどテネリフェ島の住民たちは、遠く極東からやってきた日本人選手に期待を寄せているのだ。

 島内やメディアから大きな注目を集めた、という点においてすでに彼の獲得は正当化されている。あとはピッチの上で結果を出すだけだ。柴崎がスペインの環境に適応して実力を発揮できれば、マルティ監督が選ぶスタメンリストに名を連ねることは十分に可能だろう。デビューのときは、刻一刻と近づいてきている。

 今まで「テネリフェ」と聞いても日本の皆さんはどこにあるのか、分からなかったのではないだろうか。よほどのスペイン通かサッカーファンでない限り、テネリフェがスペインにあることすら、知らなかったと想像する。あるいは地名だと認識することすら、できなかったかもしれない。

 だが、それももう終りに近い。柴崎がスペインを訪れたことにより、テネリフェは日本の皆さんに認識された。今後、彼がピッチに立ち、ゴールを決めていけば、より知名度は上がっていくはずだ。仮に日本でボールを蹴る子どもたちが「テネリフェ」を認識するような日が来るとしたら、それは柴崎が成功を収めた証明になる。

 そして柴崎の成功はすなわち、テネリフェのファンたちが長年抱いていた「夢」が叶う、ということを意味するに違いない。

文=ラモン・エルナンデス(スペイン紙『マルカ』/テネリフェ番記者)

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