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2年連続の大怪我の末に…福岡内定・明治大FW木戸皓貴が手にしたもの

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福岡内定・明治大の主将を務めるFW木戸皓貴

 二度の大怪我を乗り越えるというよりも、二度の試練を糧に、自分自身のなかへ深く刻んで明治大FW木戸皓貴(4年=東福岡高/アビスパ福岡内定)は進み続ける。両膝を痛めた経験から来る恐怖や不安は、決して自分のなかから消えていくことはない。それでも暗い影に呑み込まれないよう、チームのために、誰かのために。紫紺のキャプテンはゴールを目指す。

 大学2年の夏、総理大臣杯・2回戦で右膝前十字靭帯損傷の大怪我を負った。約8か月のリハビリを経て戻ってきたが、復帰して迎えた3年時の同大会決勝で今度は左膝前十字靭帯損傷。大阪の地で2年連続の大怪我に見舞われた。それでも二度目の離脱を乗り越えて、今年5月中旬にはフル出場を果たすまでに回復。頼れるストライカーが明大のピッチへ戻ってきた。

 しかし苦難は続く。5月末の練習で同箇所を傷めてしまい、再離脱。「これからだという時にいつもダメになる。本当にどうしたらいいかわからないし、正直焦ります」。復帰を果たしたはずが先の見えないリハビリ期間は続いた。


――二度目の大怪我から今春に復帰も、5月末から7月頃へかけては再離脱。その時期が一番つらかったそうですね。
「去年の総理大臣杯で二度目の大怪我をして、その時にはその瞬間が一番辛かったんですけど、今になって振り返ると、今年復帰してから再離脱となった時期が一番きつかったです」

「最上級生になり、役職としては主将という形でチームを引っ張らないといけない立場。そういうのを含めて考えたとき、一日でも離脱することが相当だめというか、自分の中でマイナスだなと思ってもいたので。復帰当初は順調だったはずが練習でまた何回も痛めて、復帰して、痛めてを繰り返してやばいなと感じていました」

――なかなか良くならず再手術という選択肢もあったそうですね?
「もう一度オペをするという話はずっとあったし、どうしようかと迷っていたんです。でも100%良くなるならば、手術の選択肢もあったかもしれないですけど、オペをしても100%ではない。なので、オペをしたくないと、オペなしで最善の治療をしたいと監督やトレーナーにも伝えました。色々診ていただいた結果、リハビリと筋力強化をしていけば大丈夫じゃないかとなったので、そこからの2、3か月は必死にリハビリをしてという期間でした」

――木戸選手を欠いた明治大は前期リーグで結果が出せず、中位以下に沈み続ける状況でした。
「そういう意味でも、あの時が一番きつかったですね。なかなかチームの結果が出ていなかったし、外からみんなの顔色を見ていると、何とかしてあげたいなと感じる部分が相当あって。みんながミーティングをして、必死にやっているけれど、結果が出ない。そういうなかで自分はプレーできないもどかしさがありました」

 不振のチームで何もできないもどかしさを抱えながら、必死にリハビリへ取り組む日々。実戦復帰から遠のくなかでも、これまでの実績を評価され、ユニバーシアード日本代表にも選出された。だが回復具合が思わしくなかったことや過密日程等も考慮して、同代表は辞退。総理大臣杯へ照準を合わせた。

 万全の状況で8月に戦線復帰すると、9月に行われた総理大臣杯ではチームを3年連続の決勝進出へ導く活躍。惜しくも準優勝となったが、過去二度の大怪我を負った地で堂々とプレーするたくましさをみせた。


――ユニバ代表選出当時は、選ばれたことへの感謝を話し、世界大会を楽しみにされていましたが、結果的に辞退されました。
「ユニバ代表に選んで頂いて、いきたい気持ちも強くあったんですけど、自分はこの明治大で育てられて成長したというのもあって……。ここで無理をするよりも、総理大臣杯で怪我をした悔いは、そこでしか晴らせないなという思いもあったので、ああいう決断になりました」

――迎えた総理大臣杯では、2年連続の大怪我を負ったこともあり、『止めておいた方がいいんじゃないか』と心配する声もあったそうですね。
「自分のなかでも“怖い”というか、そういう思いは相当強かったです。それでも復帰したての時は怖かったですけど、段々とチームに馴染んできて、大会に入る時も不安は過ぎりましたけど、それ以上に楽しみに思う気持ちの方が増していました」

「(二度怪我した場所である)長居でやった試合も正直いえば怖かったんですけど、それ以上にチームを勝たせたいと、そういうところにフォーカスできていたので、試合に出ることを怖がってはなかったです。それがプレーと結果につながったと思います」

――怪我をしたときのことを思い出し、試合前日に眠れないことなかったのでしょうか?
「試合前は眠れなかったです。試合とか練習とかをやっている時は全然怖くないんですけど。ピッチ外とかで人の試合を見たりするときの方が怪我のことが過ぎったり、変な頭の回転になるので、そこが難しいですね。そんなイメージはしたくないのに、『うわぁ……』と思ってしまったり……。なので試合の夜とかは色々イメージして、結構眠れなくて。でも、あまり寝なくてもいける人なので!問題は無かったです(笑)」

――今年の総理大臣杯決勝を迎える心境はどのようなものでしたか?
「楽しみな気持ちもあるけど、ここで2回も怪我したんだという恐怖もあったので、会場に入る時とかは複雑でした。決勝当日の午前中には、4年生の岸本(英陣)と小池(大佑)と山崎(浩介)を自分が誘って、神社へお参りにいきました。怪我をしないようにと優勝できるようにと、やれることはやろうと思ったんです」

「今振り返ると怪我に対しての怖さよりも、優勝したいという気持ちの方があったし、なんとしてでも自分が決勝まで連れて行くという気持ちがあったので、それが決勝進出という結果につながったと思います。これからも怪我に対する怖さとかは、ずっと残るものだと思うし、怪我をした人にしかない恐怖心とかは、今後も付き合っていかないといけないと思っています」

「8か月もリハビリをやってきたのに、怪我をした一瞬で全てが振り出しに戻って。二度目のリハビリは相当長く感じてしんどかったし、一日一日さぼってはいけないし、正直言って折れるくらいにきつかったです。でも今は過ぎると早いなと感じています。それくらい充実していました」

「朝の6時から毎日同じトレーニング。集中しているつもりでも気が散ったり、本当に意味があるのかな?と不安にもなりました。やらないとまた怪我するという危機感だけでやるのは本当にしんどかったです。それでも毎日朝から、周りの仲間が同じように必死にリハビリをしているので、自分も手を抜くことなんか絶対にできない。そういう明治の環境にいられたことは大きかったと思います」

 昨季の関東リーグ王者、総理大臣杯覇者である明治大だが、今季のリーグ戦では出遅れが響き、2連覇は逃した。とはいえ、辛うじてリーグ5位以内を確定させ、全日本大学サッカー選手権(インカレ)出場は決めており、最後の大舞台でのタイトル奪取を目指す。

――苦難の連続だった大学サッカーも残りわずかです。
「リーグ残り数試合という所では、順位が下のチームとやる方が難しいとは思っています。自分たちもチャレンジャーという気持ちでいきたいですが、1部残留のかかっている相手は、それ以上に危機感を持ってやってくると思う。今もチームのミーティングで話してはいるんですけれど、相手がどうこうではなくて、総理大臣杯みたいに、自分たちのサッカーで戦っていくということをやれば、自然と結果はついていくと思うので。このチームで自分自身も成長させてもらいましたし、もっとこのチームでやりたいというのが素直な気持ちです」

「そのためにもまずは、1試合1試合を勝たないとといけないのが現状。チームのみんなを信じて、一日一日の練習を積み重ねてやっていくしかないと思っています。それが難しいとみんなわかっていると思いますけど、先を見るよりも、まずは目の前の試合に勝つということ、そこを大事に。あとはちょっとした“隙”が出ないように、4年生が投げかけないといけないと思います」

「残り数試合というのは早いですけど、自分としては後期リーグを戦えているというのが嬉しくて、1試合1試合を噛み締めながらやっているので本当に楽しいです。振り返ると、この11月にサッカーをやっているのも3年ぶりなので(苦笑) だからこそ、みんなをより盛り上げたいですね」

「去年のリーグ戦は優勝と言う形でしたけど、今年はなかなか結果が出なくて悩んでいて、総理大臣杯では3年連続の決勝進出ですごいとも言われましたけど、今年は優勝できなかった。なので、最後のインカレで絶対に優勝して、“終わりよければ全てよし”といきたいです。インカレで優勝して、そのためにここまできつい思いをしてきたんだと思いたい。そう感じる位に浮き沈みがあったシーズンだったので」

「怪我をしている4年生も、インカレに出場できれば復帰が間に合う。怪我をした辛い気持ちは自分が1番わかっているからこそ、そういう奴の為にも、今出られる奴らがしっかりと責任を持って結果を出して、インカレ出場というところを獲得しないといけないなと。それが率直な思いです」

 大学4年間の多くをリハビリに費やした木戸だが、ピッチに立てば結果を出していたこともあり、今年10月23日にはアビスパ福岡への来季加入内定が発表された。来春からは、高校時代を過ごした福岡の地で以前から「夢のひとつ」と話していたJリーガーになる。

――アビスパ福岡に入団が内定した経緯は?
「2年ぐらい怪我でプレーしていない中でも、自分を一人のサッカー選手として、評価してくださったし、自分が怪我で一番悪いときでも見てくれました。高校時代も福岡で戦ったというのもありますね。正式というか具体的な声をかけてもらったのは、去年の総理大臣杯頃でした」

――福岡に対するイメージは?
「何度かチームへ帯同させてもらったのですが、J1とJ2を行き来しているクラブであるんですけど、しっかりチームとして、ひとつになって、ひとつのものを成し遂げようとしているのを感じました」

「高校時代に練習参加させてもらった時は、正直バラバラというか、どちらかと言うとやらされているサッカーのような雰囲気に感じたんです。でも、今年帯同してみて、チームがひとつになっているというか、ひとつの目標にひた向きに向かっている姿というのが、明治大に似ていると感じました。プロですけど天狗にならず、しっかり一日一日を積み重ねているというところ、技術やどうこうではなく、そういうひたむきなところに惹かれました」

「元々の出身は熊本なので、ジュニアやジュニアユース、高校時代はアビスパはライバルでしたし、九州ではナンバーワンのクラブだと思っていました。自分がそこに入るイメージというのは、正直なかったので今は少し不思議な気持ちはあります」

――不思議な気持ちがあるのは意外でした。
「いや、結構不思議ですね。でも『地元の選手』と『福岡に帰ってきてくれる』と言っていただいたので、温かい感じがパワーになるなと。高校時代に福岡でプレーしていた印象がとてもあるみたいで、そこは大きいですし嬉しいです」

――今回のスパイク『NEMEZIZ(ネメシス)』の履き心地は?
「画像とかで見るとかなり派手で細身の印象ですよね。自分は足が横に広いので、合うスパイクがなかなかないんです。正直、今回もあまり期待は高くないなかで履いてみたんですけど、本当に今まで以上にフィットして、びっくりしました。本当にこれはやばいです!」

「履いた瞬間に伸びて、足の甲周りもフィットします。最初は硬いイメージだったんですけど、足を入れてみると伸びるのでめちゃくちゃフィットしました。今まで、膝だけでなく中足骨の怪我をしたこともあるので、スパイクへのこだわりは持っています。本革だと足に負担がかかるイメージがあったので、革では無いスパイクを履いてきましたね」

「それと、自分はずっと靴擦れをしていたタイプなのですが、このスパイクはかかとの部分にすごくクッションが入っているので、靴擦れをしなくなりました」

――色の好みなどはありますか?
「やっぱり派手なのがいいです。昔から派手なのを履いています。好きな色で選ぶというよりも、結構ミーハーなので(笑) 新色を見たら、それを履いたりしています。あとはユニフォームの色に合わせて決めています」

「中学生の時に一度かなり派手なスパイクを履いていたんですけど、すごく調子が悪くて。試合が終わった後に『お前が目立っているのはスパイクだけだぞ!』と怒られてから、少しの間は派手なスパイクは履けなくなりました(苦笑) それを覚えていますけど、高校くらいからはまた派手なスパイクに戻っています」

――験担ぎなどはありますか?
「去年は左から履いていましたけど、今年は右から履いていますね。特に理由は無いですけど(笑)」

(取材・文 片岡涼)

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