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ジダンが世界を獲るまでの道のり…少年時代に「それが理想的でないのはよく分かっていた」

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ジネディーヌ・ジダン監督がトップ選手に上り詰めるまでの道のりを語る

 現役時代に栄華を極めたレアル・マドリージネディーヌ・ジダン監督だが、トップ選手に上り詰めるまでの道のりは長く過酷なものだったようだ。スペイン『マルカ』が『OTRO』で語った内容を伝えている。

 ジダン監督は16歳だった1988年にカンヌとプロ契約を結び、1992年にボルドーへ移籍。1996年から所属したユベントスではセリエA連覇などに貢献し、2001年7月に当時史上最高額となる9000万ユーロ(約112億円)でレアルに移籍した。同クラブでは“銀河系軍団”の中心として2001-02シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)を制覇。また、フランス代表では自国開催の1998年W杯とEURO2000で母国を優勝に導き、ドイツ開催の2006年W杯決勝を最後に現役を引退した。

 プロ入りまでのいきさつについて、ジダン監督は次のように話している。

「最初から私にはハッキリしていた。私が望んでいたのは、サッカーをすることだけだった。だが、学校ではなかなかうまくいかず、両親にはよく怒られたものだ」

「それが理想的な態度ではないことはよく分かっていた。それからある日、両親に言われたんだ。『本当にやりたいことがあるのなら、それをやればいい』と」

「両親からの許可を得てからは、とにかく夢を叶えるために全力になった。カンヌに行って、プロの練習風景を見たときに『僕もこれがしたい』と思うようになった。あの時から、最高の選手になるためにできることは何でもやった」

 親元を離れてカンヌに入団してからは、トップコンディションで試合に臨むためにライフスタイルも変えたという。

「よく眠ったし、バーへ行ってバカなこともしなかった。飲むのは水だけ。それとストレッチをよくやった」

「可能なかぎり最高の選手になるために全てをやったんだ。なんとしてもそうしなければならなかった。それこそが両親を幸せにするためにできることだった。これは私の人生ではあるが、同時に両親にも誇りをもってもらいたかった」

「有名になるためには、とにかく良いプレーをしなければならなかった。最近とは違ってね。他の選手とは違うということを証明しなければならなかったんだよ。当時はとにかく選手枠が限られていて、若手選手は1人か2人しかチームにいなかった」

 当時のクラブには若い選手を積極的に起用する余裕はなく、成功するために必死だったと回想するジダン監督。「最近は状況が大きく変わった。流れが早くなったこともあり、選手たちはもう失敗を恐れたりしなくなった」と、現在との違いを語っている。若手時代に厳しい生存競争を勝ち抜いた経験が、その後の選手・指揮官としての栄光を支えていたのかもしれない。

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