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「誰よりもジェフを愛していた」…兄・勇人から弟・寿人へと託される思い

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ジェフユナイテッド千葉FW佐藤寿人(左)とMF佐藤勇人

 花束を持った弟が現れる。引退発表会見を開いたジェフユナイテッド千葉MF佐藤勇人は驚きの表情を見せた。その後、FW佐藤寿人からメッセージを贈られると、勇人の目は潤んでいたように見えた。

 ともに千葉(当時・市原)の下部組織で育ち、00年にトップチームに昇格。02年に寿人が出場機会を求めてチームを離れると、その後は同じユニフォームを着ることはなかった。あれから18年。今季から寿人が千葉に復帰したことで、再びチームメイトとしてJ1昇格を目指して戦っていた。

 しかし、J2リーグ第20節町田戦に1-2で敗れ、18位に転落したことで勇人は引退を決断。「シーズンの半分が終わったときに、チームがどこの場所にいるか。それがすべて。自分の最後の価値じゃないけど、それで決めようと思っていた」。その決断を聞いた寿人は「いろんなものを背負っての決断だった。反対とか、『まだできるからやって』とは言えなかった」という。

「誰よりもジェフを愛し、誰よりもジェフのために戦ったプロサッカー選手としてのキャリアを終えるという決断を聞かされたときは、返す言葉がなかった。自分がどうこうではなく、チーム状況が何とか好転するために、自分の決断を起爆剤としてチームが上向きになるようにという思いで決断に至っていた」(寿人)

 千葉がJ2に降格して今季は10年目。勇人は「自分なりのけじめ。クラブとして次の時代というか、そうやって進まないといけない。10年かけて上がれず、その間ずっといた自分が、次の11年目からは次の選手たちに託すべきだと思った」とチームのために、ユニフォームを脱ぐ決断をしている。そして、「寿人と一緒にプレーできた最後のシーズンが、このような結果になっていることをとても悔しく思う」と昇格争いに絡めなかったラストシーズンを悔いた。

 寿人は知っている。「兄の勇人がずっと、このクラブを背負い続け、苦しい時も戦い続けてきた」ことを――。だからこそ、勇人から「僕(寿人)がいるからこの決断ができた」と言われたときには、「いやいやお兄ちゃん、それは重いぜ。そんなに期待しないでよ」と思ったようだが、「ヤバいな。やらなきゃいけないな」と勇人が抜けたチームの先頭に立つ覚悟を決めている。

「わがままな弟として、まずは一言『お疲れさま』という言葉をかけたい。あとは、ジェフに対する思いは久しぶりに一緒にやって、僕は到底かなわないというくらいの思いを感じた。これからの新しい、明るいジェフの歴史を築いていくことに尽力してくれると思うので、そこに向かって頑張って下さい」

 寿人にエールを贈られ、少しだけ目を潤ませたように見えた勇人。2人がプロサッカー選手として、同じユニフォームを着て戦えるのは残り6試合だ。「僕だけでなく他の選手も勇人のために全部勝つという思いで挑むと思うので、6試合悔いのないように戦いましょう」(寿人)と、2人で挑むラスト6試合で完全燃焼する。

(取材・文 折戸岳彦)

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