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“セクシーフットボール”の深層(下)~無名の公立校が示した育成の本質~

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監督として野洲高を日本一へ導いた山本佳司・現甲南高教頭(左)と山本氏の教え子でもある横江諒(甲南高サッカー部顧問)

 野洲高が日本一を達成した2005年度は、近畿大会優勝の草津東高が強かった年代だ。当時、野洲の監督を務めていた山本佳司(現甲南高教頭)が、「(野洲は)『サッカーでは絶対に負けたくない』という選手が多かった」と振り返るものの、新人戦、インターハイ予選共に涙を飲んでいた。しかし、山本がアドバイザーとして関わった同年のU-18滋賀県選抜チームは、岡山国体(9月)で草津東を中心としたGKと3バック、中盤よりも前は野洲の選手というメンバー構成で挑み、3位に入賞。これで確かな自信を得た野洲の選手たちは、全国高校選手権予選でも備えていた力を発揮する。準決勝では後半アディショナルタイムに追いつかれながらも、延長戦で草津東を下すと決勝でも北大津高を撃破し、2度目の選手権出場権を手にした。

【選手権はたった1試合でも成長できる舞台】

 初出場は3年前で選手権の空気を知る選手は一人もいない。「まずは正月を越えよう」と話し合ったが、「練習試合で強豪と対戦する機会が多く、国体でも全国の力がどれくらいか分かっていたので、僕も選手も全国に行ければ戦える自信を持っていた。ずっと貯めていたパワーが草津東に勝って吹っ切れた感じはある」と山本は振り返る。

 スタイルの完成度も高かった。相手のマークを物ともしない華麗なテクニックや連携に目が行きがちだが、この年の肝になったのは田中雄大(現・秋田)や金本竜市(→京都産業大)が繰り出す展開力だ。自陣からの丁寧なビルドアップの合間に青木孝太(元・千葉)へロングパスが入るのが攻撃の合図。身体を張ってボールをおさめる青木のサポートに、楠神順平(元・川崎F、現南葛SC)や平原研(→近畿大)、乾貴士(現・エイバル)ら中盤の選手が入ると、彼らが高い位置で作る密集からショートパスとドリブルを上手く使い分けて、相手ゴールに迫る。相手を複数枚引き付けてから、サイドチェンジを入れるためDFの対応が間に合わず、いとも簡単にフリーの局面が作れる場面も多かった。多彩な攻撃を止めるのは難しく、修徳高との初戦を物にすると、一気に日本一まで駆け上がっていく。

 このチームは、選手一人ひとりの個性を認め、ストロングポイントを前面に押し出した。両サイドの突破力、ディフェンス陣の粘りと展開力、中盤のゲームコントロールとスルーパス、サイドチェンジ、何よりも連動性と連携の美しさは従来の高校のサッカーとは一味も二味も違った。

 山本は「高校生は大会を通してめちゃくちゃ伸びるし、良い意味で力が抜ける。それに、あれだけの観客の前でプレーすると物凄く集中するから、たった1試合でも大きく成長する。試合を重ねるごとにドンドン上手くなっていくから、観ていて楽しかった。『この子ら、こんなに上手かったっけ?』という瞬間がたくさんあった」と山本は、選手の成長に指導者としての喜びを感じていたという。

 同時に快進撃がいつ終わるのか不安もあった。特に3-2でシーソーゲームを制した2回戦の四日市中央工高戦は肝を冷やしたという。また、決勝の鹿児島実高戦で相手が繰り出したパワープレーによって、同点ゴールを許した際も、強豪校の勝利に対する執念心に唸らせられた。

 残り時間わずか、優勝目前での失点は心が折れても不思議ではない。延長戦で再リードを奪い、2-1で掴んだ日本一の称号は、諦めない気持ち抜きではあり得なかった。「大会前に『高校サッカーを変える』とインタビューで答えていたので、結果で証明できてホッとした。でも、そう思って言葉にしたから成し遂げられたと思っている。選手たちは、監督の言葉を信じていたし、監督に恥はかかせられないという思いも感じ取れた。何より彼ら自身が勝利に貪欲だったし、『公立の無名な高校でも、諦めずに頑張り続ければ人は変われるんだ』と示せたのが嬉しかった」。

 彼らの卒業後を見ていると、優勝したことが自信になっている。日本一のメンバーという過去に甘んじるのではなく、仕事で実績を残したり、指導者として活躍したり、野洲にいたことを誇りと自信にして今の立場で頑張っている。優勝して滋賀に帰ってきてから山本と野洲高は、「おめでとう」ではなく、「ありがとう」と言われる回数の方が多くなった。地元のスーパーが「感動をありがとうセール」を行った。選手の自己肯定感は高まり、人に認められるようになると身を正そうとする選手も増えていく。日本一という結果は、選手として以上に、人間としての成長を促進させたことは間違いない。

(写真協力=高校サッカー年鑑)


【技術は人のために使う】

 2008年度のチームも、日本一の年代に迫る力を持ったチームだった。選手権こそ2回戦敗退で終わったが、高円宮杯全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会では、東京ヴェルディユースや市立船橋高を撃破。現在、山本が教頭を務める甲南高でサッカー部の顧問を務める横江諒は、野洲で過ごした高校3年間についてこう振り返る。「ヤンチャだとかテクニックのイメージを持つ人が多いと思うけど、一番覚えているのは山本先生の『技術は人のために使うんだ』、『技術を活かすために周りがちゃんと走るんだ。』という言葉。実は献身的な選手が多く、グラウンドに立てばみんなで戦える選手ばかりだった。当時の山本先生の言い回しは、今でもパクらせてもらっている。今があるのは野洲高校のおかげ」。

 この10年は、クラブチームが増え、どの地域にも巧い選手が増えた。公立が中心だった滋賀県内でも私立が台頭し、戦国時代に突入した。優勝後も続いた選手権への連続出場も2011年度に予選決勝で守山北高に敗れ、6でストップ。それでも、翌年にはMF望月嶺臣(元名古屋、現・ヴィアティン三重)を中心に2バックで徹底してパスを繋ぐ超攻撃的なチームで選手権に出場するなど、高校サッカー界にインパクトを残している。

 春先には結果が残せず不安視されていた年でも、山本が「冬には戦えるチームになるから」と口にし、実際に選手権出場に導くケースも珍しくなかった。「高校サッカーの勝負の部分を最初に詰め込んでも、夏以降は失速してしまう。怖がらずにボールを繋いで主導権を握ることと、勝利を両立させるのには時間がかかる。守備意識を高め、判断の速さが野洲の武器になり、最終的に戦えるチームになっていく」。

 もちろん、高校サッカーが終わりに近づく選手権予選の時期には、山本が大事にする心が磨かれた選手も増えている。「ただ試合をするだけでなく、色んな物を背負っている。高校サッカーが持っている意味を選手なりに感じる。そこで自分の力を出せるかが大事。よくあるのは力がある選手やチームが選手権でかみ合わないケース。ヤンチャ坊主の選手がかしこまっていたり、緊張する選手が更に緊張しているケースがいっぱいある。そうならないメンタリティーを育てておくのが大事。『負けたくない』じゃなく、夢である選手権を目指すために『勝ちたい』と思う気持ちをどれだけ大きく育てられるかで、どんどんチャレンジする気持ちが湧いてくる。大事な選手権で、どんどんチャレンジできる積極的なチームが魅力的だと思う」。

 こうした考え方は、選手権優勝から15年が過ぎた今も教え子たちに着々と受け継がれている。山本は甲南高へ転任したが、野洲にはコーチとして後進の育成に励む者がいれば、現役選手と共にボールを追い掛けるOB選手の姿もある。野洲の選手たちはその情熱に触れ、また心を磨く。この流れが途絶えない限り、今後も野洲から観る人を魅了する選手が出てくるはずだ。日本一になった年代のメンバーと酒を酌み交わすと、多くの選手が覚えているのは雨の中で行われた練習試合だという。対戦相手は格下の高校で、小太りのMFが水溜まりでこけた姿を見て、ベンチの選手が笑ったことに山本が激怒した。「一生懸命頑張っている選手を笑うのが許せなかった」という山本の姿勢は、サッカー選手である前に一人の人間としてどうあるべきかを子どもたちに伝える出来事だったのは間違いない。高校サッカー史に残る“セクシーフットボール”の深層から見えてきたのは、技術ではない選手育成の本質だった。

全3回(了)

(写真協力=高校サッカー年鑑)


執筆者紹介:森田将義(もりた・まさよし)
1985年、京都府生まれ。路頭に迷っていたころに放送作家事務所の社長に拾われ、10代の頃から在阪テレビ局で構成作家、リサーチとして活動を始める。その後、2年間のサラリーマン生活を経て、2012年から本格的にサッカーライターへと転向。主にジュニアから大学までの育成年代を取材する。ゲキサカの他、エル・ゴラッソ、サッカーダイジェストなどに寄稿している。

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