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憲剛の最新本を立ち読み!「史上最高の中村憲剛」(10/20)

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 川崎フロンターレのMF中村憲剛の南アフリカW杯から現在までの5年半を描いた『残心』(飯尾篤史著、講談社刊)が4月16日に発売となった。発刊を記念しゲキサカ読者だけに書籍の一部を公開。発売日から20日間、毎朝7時30分に掲載していく。

めぐってきたチャンス<下>

 ゴールを決めたのは、またしてもメキシコのエース、ハビエル・エルナンデスだった。

 後半21分、メキシコの右コーナーキックが鋭い弧を描き、日本のゴールに向かう。ニアポストにいたメキシコの選手が頭で後方に逸らすと、誰よりも早く反応したエルナンデスがいとも簡単にヘディングで決めた。

 スペイン語で「小さなエンドウ豆」を意味する「チチャリート」の愛称を持つエルナンデスは、身長175センチと日本人と大差ない体格でありながら、マンチェスター・ユナイテッドで3シーズン連続して2ケタ得点をマークしている世界的なストライカーである。

 そんな選手を、日本の守備陣が警戒しないわけがない。

 常に視野に入れ、細心の注意を払っていたはずだったが、21分のゴールだけでなく、その12分前の後半9分にも彼の姿を見失い、クロスからのヘディングゴールを許していた。

 エルナンデスは派手な動きをするわけではない。むしろ、のらりくらりと前線をさまよっているように見えたが、チャンスの匂いを嗅ぎつけると、まるで獲物を視野に捉えた野獣のような俊敏さでゴール前に姿を現し、ゴールを陥れた。

 先制された直後、内田篤人吉田麻也を立て続けに投入し、4-2-3-1から攻撃的な狙いを持った3-4-3へとシステムを変更したアルベルト・ザッケローニは、2点差に広げられ、最後の交代カードを切る決断を下した。

 ベンチには、ストライカーのハーフナー、アタッカーの乾貴士清武弘嗣が控えていたが、呼び寄せたのは、中村だった。

「遠藤に代わってボランチに入って、攻撃を組み立ててくれ」

 それが、指揮官の指示だった。

 2試合続けてボランチに投入される。しかも、ゴールが欲しい状況で起用される――。

 何かが変わりつつあった。

 ところが、準備の整った中村がピッチサイドに立とうとしたとき、アクシデントが起きた。左ふくらはぎの負傷を悪化させた長友佑都がペナルティエリア内に座り込み、メディカルスタッフの治療を受けたが、プレー続行が不可能となったのだ。

 中村の出場にもストップがかかり、監督とコーチ陣による即席会議が開かれた。

 結論が出たのは、3分後のことだった。中村の出場は予定どおりだったが、交代するのは遠藤保仁ではなく長友で、システムを再び4-2-3-1に戻すことになった。これにより、中村はトップ下に入ることになり、ボランチでプレーする機会は失われてしまったが、出場できるなら、そんなことはどうでもよかった。

 残り時間は約15分。チームメイトにジェスチャーで「4枚」と伝えた彼は、メキシコのゴールに向かって全力で駆けていった。

「自分のスタイルがまったく手も足も出ないという感触はなかったです」

 試合後の取材エリア、中村の言葉には力がこもっていた。

 日本はメキシコに敗れた。だが、中村の投入によってテンポよくボールが回るようになった日本は後半41分、岡崎慎司のゴールで一矢報いることに成功した。

 プレーメーカーである中村は、ボールに何度も触ることでリズムを作り、ゲームをコントロールするプレーヤーである。本来なら先発か、途中出場でも後半の頭から出場するときに、持ち味が最も発揮されるタイプと言える。

 少ない残り時間で試合の流れを劇的に変えるスーパーサブの役割を託すなら、わかりやすい武器を持ったストライカーか、敵陣を切り裂くドリブラーのほうが相応しい。

 だが、イタリア戦、メキシコ戦と2試合続けてリードを許した時間帯に投入され、自身の起用法に幅が生まれたことを中村は感じていた。

「みんな疲れていたから、自分がみんなの足にならなきゃいけないと思っていた。誰よりも走って受けて、さばいて出ていく。ムダ走りしてスペースを空け、守備で頑張る。途中出場の役割は整理できているから、あとは刻一刻と変わっていく状況に、いかに合わせられるか」

 中村との質疑応答は、なおも続いていた。

 その途中で囲みの輪から抜けた僕が別の選手の話を聞き終えた頃、中村への囲み取材も終わったようだった。中村はこちらのほうに歩いて来ると、そっと言った。

「今までなら出番のない状況だったからね。少しはアピールになったんじゃないかな」 

 何か吹っ切れたような表情で、中村はバスの待つ通用口へ、再び歩みを進めていった。

 だが、結果としてこのメキシコ戦が、彼にとってザックジャパンでの最後のゲームとなる。

 ブラジル、イタリア、メキシコとの真剣勝負に挑んだ日本のコンフェデレーションズカップは3戦全敗で幕を閉じた。世界の列強との間には、まだまだ小さくはない差が存在している。

 ワールドカップまで残り1年弱。ザックジャパンは変革のときを迎えようとしていた。

(つづく)


<書籍概要>

■書名:残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日
■著者:飯尾篤史
■発行日:2016年4月16日(土)
■版型:四六判・324ページ
■価格:1500円(税別)
■発行元:講談社
■購入はこちら

▼これまでの作品は、コチラ!!
○第9回 めぐってきたチャンス<上>

○第8回 コンフェデレーションズカップ、開戦<下>

○第7回 コンフェデレーションズカップ、開戦<上>

○第6回 妻からの鋭い指摘<下>

○第5回 妻からの鋭い指摘<上>

○第4回 浴びせられた厳しい質問<下>

○第3回 浴びせられた厳しい質問<上>

○第2回 待望のストライカー、加入<下>

○第1回 待望のストライカー、加入<上>

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