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DF比嘉、予感があった戦力外…後悔しない男は千葉での復活誓う

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 どんなときも変わらない。屈託のない表情で自らの思いを口にする。飾った言葉や気取った言い回しはせずに、素直な言葉を紡いでいく。戦力外という憂き目にあっても、DF比嘉祐介はつとめて明るく「マリノスがすごい好きだったから。4年間は楽しかったし、本当に良かった」と言い切った。

 流通経済大在学中に関塚隆監督に見出され、U-21日本代表に選出されていた比嘉。大学3年時には同代表の一員としてアジア競技大会優勝に貢献し、進路が注目された。大学4年時には複数クラブからオファーがあるなか、横浜F・マリノスへの入団を決断。同年には自らは故障をしたもののユニバーシアード競技大会で金メダルを獲得し、鳴り物入りでプロ生活をスタートさせた。

 しかしプロ1年目となった2012シーズンはJ1で1試合の出場に留まり、ロンドン五輪を戦うU-23日本代表からも落選。2年目は0試合の出場に終わり、3年目の2014シーズンは京都サンガF.C.へ期限付き移籍。復活を誓ったものの、J2で18試合1得点の結果に終わった。横浜FMへ復帰した今季はJ1でわずか1試合の出場。浮上を果たせないままに、4シーズンが過ぎ去った。

 そして今冬に突きつけられたのが契約満了。“戦力外”となる予感はあった。正式な通告を受けたのは最終節前だったが、「その前から薄々気づいていたというのはあった。4年目で試合に出ていないし、やばいんじゃないかとは思ってました」と言う。

 実際に通告を受けての心境については「最初はショックというか、しょうがないのはわかってるけど、サッカーのことを考えたら当たり前だよなとは思ったけど。まじかー……と思って。マリノスが好きだったから」と明かした。

 それでも比嘉は「構えていた分、切り替えはすぐに出来た。次に契約したチームでやるしかないと思えた」。横浜FMでの4年間に後悔は一切ないといい、「俺、後悔とか元々しないから。なるようになると思ってるし、プロになって後悔なんてしたことないし、考えたこともないから。やるしかないっしょ」と前を向く。

 そして退団決定から約1か月後の12月30日にジェフユナイテッド千葉への入団が正式に発表された。流通経済大付柏高時代の3年間を過ごした千葉の地で復活を目指す。千葉を率いるのは、U-23日本代表当時に教えを受けた関塚監督。さらに同代表スタッフだった小倉勉コーチ、里内猛フィジカルコーチ、藤原寿徳GKコーチも揃っている。

 ロンドン五輪本大会メンバーで落選した比嘉だが、関塚監督に対してはいいイメージを持っているといい「自分をずっと使ってくれていた監督だし、五輪では俺がコンディションが悪かった。関さんとは俺の中でいい印象で終わっているから」と説明した。

 千葉について「J1にいないといけないチーム」と表現したDF。新たなホーム・フクアリでの試合へ思いを馳せると「いいスタジアムだし、サポーターの人たちと一緒に熱くなれる気がする。三ツ沢と同じサッカー専用スタジアムだから、ホーム感があって、サポーターとの距離も近いし、面白いかなって」と声を弾ませる。

 千葉で新たな挑戦が始まる。「4年間もコンスタントに試合に出ていないから。とにかく1年間を通じて、しっかりと試合に出て、J1に上がれるのが一番いい。不安はない。やるだけ」と誓った比嘉は「関さんも呼んでくれたし、オグさんとかスタッフも一緒だし、そこで試合に出て、優勝して、J1に昇格したら、みんながハッピー。これからがすごい楽しみ」と先を見据えた。比嘉は比嘉らしく、前だけを見て走り続ける。

(取材・文 片岡涼)

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