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「ドイツに行って良かった」C大阪復帰の丸岡満が語るドルトムント、香川真司、そしてリオ五輪

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 ドイツで培った経験のすべてをセレッソ大阪のJ1復帰にぶつける。C大阪U-18からトップチーム昇格が内定した直後の14年1月、ドルトムントへの期限付き移籍が発表されたMF丸岡満。Jリーグを“経由”せず、いきなり海外に挑戦すると、14年9月20日のマインツ戦に途中出場し、ブンデスリーガデビューを果たした。トップチームでの公式戦出場はこの1試合だけだったが、主に下部組織であるU-23チームでプレーした2年間は貴重な経験になった。今夏のリオデジャネイロ五輪出場も視野に入れ、“日本復帰”を決断した20歳のアタッカーがゲキサカのインタビューに応じた。

―ドイツでの2年間はどんな経験になりましたか? 昨年10月にはそれまでU-23の監督を務めていたダービト・ワグナー氏が退任する監督交代もありました。
「ワグナー監督はどちらかというと技術より当たりの部分や激しさ、熱さを大事にする監督でした。試合の中でもボール回しはほとんどなくて、ロングボールや空中戦の戦いが多かったですね。監督が代わってからはサッカーのスタイルもトップチームと同じようになって、11月には僕自身、リーグ戦で2点取ることができました。ポジションもそれまではボランチをやることが多かったんですが、トップチームと同じ4-3-3のウイングになって、やりやすかったですね。トップチームのトーマス・トゥヘル監督からセカンドの監督に『ミツはトップチームでこのポジションをやっているからセカンドでもこのポジションで使ってくれ』と言ってくれていたみたいで、そこで結果を出せたことは良かったと思っています」

―ドイツでの生活にも馴染んでいたようですが、ドイツ語は香川真司選手とどちらが上手でしたか?
「間違いなく僕ですね(笑)。香川選手はチームの中でいつも英語を使っているんです。一番困るのは、僕がトップチームに行ったときに香川選手が僕に英語で話しかけてくることでしたね。僕がドイツ語で『ドイツ語でしゃべってください』と返すと、『あ、お前ドイツ語しゃべれるんだな。忘れてた』って(笑)。僕は1年半、家庭教師をつけてドイツ語を勉強しましたが、最後の半年間は英語でドイツ語を勉強していました」

―適応力には自信が付いたのではないですか?
「どこに行ってもやっていける自信はありますね。大阪に3年間住んでいたので、たまにドイツ語でボケてチームメイトを笑わせたりしていました。トップチームの合宿でスイスに行ったときも『カンナムスタイル』を踊りましたからね。チームに韓国人選手がいるのに、なぜか僕に回ってきて(笑)。ロイスやオーバメヤンが動画で撮影していましたが、爆笑してましたよ」

―香川選手はどんな先輩でしたか?
「お兄ちゃんみたいな感じですね。チームメイトだったのは1年半でしたが、1週間のうち5日間ぐらいは一緒にいたと思います。この1年半で香川真司を一番見てきたのはたぶん自分だと思います。いろんな部分で勉強になりました」

―勉強になったところというのは?
「普段のストレッチやマッサージもそうですし、足りてない部分の体幹だったり、そういうところにしっかり時間を費やしていました。練習が終わって家に帰ると、普通はゆっくりしますけど、そういう時間をマッサージに使ったり、ジムに行って体幹トレーニングをやっていました。食事も野菜をたくさん取ったり、すごく気を遣っていて、そこは僕も見習っていかないといけないですね。オフの部分でもっともっと生活を変えていかないといけないというのは、香川選手と出会ってすごく感じたことです」

―日本代表の10番と長い時間、一緒にいたのは本当に貴重な経験ですね。
「高校時代からずっとあこがれの選手でした。1年に一回、オフになると香川選手が(C大阪の)寮に来ることがあって、僕も一度だけ会ったことがありました。握手して、写真を撮ってもらって……。そのときの写真を香川選手に見せたら驚いてましたね(笑)」

―日本でプレーしている同年代の選手とは連絡を取り合っていたんですか?
「ほとんどなかったですね。やっぱりライバル意識があるので、僕からも連絡しないですし、向こうからも来なかったです。ネット上でお互いの情報を見るというか、それぐらいですね。仲の良かった選手もいますが、同じプロになってからは連絡が途切れています。大阪にいたら違ったのかもしれないですが、ドイツは遠いですし、時差もあるので、ネット上でお互いの活躍を知るぐらいでした」

―その中でも気になる選手、意識する選手というのはいましたか?
「オリンピック世代の選手ですね。オリンピック代表のメンバー発表のときは、いつもニュースでメンバーを見ていました。『あ、俺は入ってないんだな』って。それはそうですよね。もし入っていたら、事前に通達が来るはずですから(笑)」

―移籍するにあたってリオデジャネイロ五輪のことも考えましたか?
「今は試合に出ることが必要だし、試合をもっともっと経験することが必要だと思っています。新しい場所でしっかりとレギュラーを勝ち取っていかないといけないですし、それがオリンピックにもつながると思います。もちろん、オリンピックのことは考えていますが、頭の奥のほうに閉まっています。自分は一度もオリンピック代表に選ばれていないですし、『オリンピックに出たい』とか偉そうなことは言えませんから。今は一歩一歩、進んでいくことが大事だと思います。去年までセカンドチームにいましたが、ドイツのセカンドチームのレベルというのは日本の人には分からないと思います。それは僕にしか分からないし、僕はドイツに行って良かったと思っています。同学年で浦和の関根(貴大)みたいに日本で輝いている選手もいますし、僕もセレッソでプレーしていたら、もしかしたらもっと試合に出ていたかもしれないけど、僕はドルトムントでの2年間がこの先のサッカー人生を変えてくれると信じています」

―海外志向を持っている現役高校生にアドバイスがあればお願いします。
「僕は17歳のときにセレッソのトップチーム昇格が決まって、そのあとすぐにドルトムントから話をいただきました。最初はセカンドチームと言われていたけど、迷わず入りました。実際に2年間挑戦して、すごく良かったと思います。僕は一番近くにいた先輩である香川選手に、海外であれ、Jリーグであれ、大学であれ、一番大事なことは自分でしっかり選択をして、チャレンジする気持ちだと教わりました。今の高校生には是非、自分が選択することに責任を持ち、チャレンジする気持ちを常に持ってほしいと思います。海外で活躍すれば、日本代表への道も近くなると思います。チャンスがあれば、絶対に行ったほうがいいと僕は思います」

(取材・文 西山紘平)

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